第198話 修正

 間違う事が怖い。

 常に正しい事だけを知りたいし、続けていたい。

 だからいつも心の消しゴムを持ち歩いている。間違ったときに直ぐに修正が出来るように。


 基本的に、とても不器用な人間だと認識している。

 何をやらせても中途半端で、もたもたしてる間に呆れられて大体他の人が作業を終わらせてしまう。

 それでも「必要無い」と言われないだけマシなのだろうが、本音の部分ではどう思われているのかなんて分からない。

「大丈夫だよ、気にしないで」

 そう言って笑う顔は全て仮面なのだろう。

 トラブルを起こさず、面倒毎を回避するために取り繕う嘘っぱち。

 だからそう言われる度「やはり今回も間違ったんだな」と分かるし、その都度心の消しゴムで修正を繰り返す。

 何度やっても上手くいかない人間関係は、これで何度目のリセットになるのだろうか。

 少しずつ摩耗していく自分自身に、段々と寂しさが募っていく。

 消しゴムを使う度に減っていく自分という形の残量。

 何度修正を繰り返せば、周りに認められる人間になれるのか分からず未だに堂々巡りだ。


 だが。転機というものは必ず訪れるものらしい。


 その人と知り合ったのは就職活動中のことだった。

 何度目の転職なのかはもう忘れてしまった。

 履歴書に書ききれない程の職場経験に泣きたくなりながら通い慣れた職業安定所の建物へと足を進める。向かうのは求人情報を探すことが出来る端末で、空いてる席を見つけて小さな溜息。

 職業訓練校やセミナーに参加して、興味のある技術は囓る程度で習いはしたが、求人票に書かれている条件に照らし合わせると圧倒的な経験不足がハードルとして立ち塞がってしまう。

 そうこうしている間に良いなと感じた求人は無くなり、気が付けばずっと出されっぱなしの求人票ばかりが残っている状態で。

 こうなってくるといよいよ焦りを感じ手当たり次第プリントアウトして面接の申込手続きをしていくのだが、条件が合わないや環境が馴染まないなどの理由で未だにマッチングは上手くいっていない。

 そんな時に面接に訪れた会社の前。

「大丈夫ですか?」

 運転席の窓ガラスを叩かれ驚いて顔を上げると、心配そうに覗き込む一人の女性と目が合った。

「…………あっ」

 咄嗟のことに狼狽えたせいで、余計な誤解を与えてしまったのだろう。彼女は「気分が悪いなら病院に行きましょうか?」と提案してくれた。

 何とか誤解を解き共に職業安定所の建物に入ると、ベンチに腰を下ろして一息吐く。

 どうやら彼女も離職したばかりらしく、新しい就職先を探しているとこのことだった。

 こちらの離職理由とは全く異なるものに、とても眩しく見えて羨ましいと感じる。

 己のスキルアップのためにと別業種に飛び込みたい。そんな勢いなんて全然考えられない自分自身にがっかりしながらも、少しだけ、彼女の事に興味が湧いた。

 それからは意気投合できたこともあり、彼女とは何回かご飯を食べに行くくらいには仲良くなった。

 彼女の気さくな人柄のお陰か、普段から張ってる気は随分と解れる。それがとても心地良く、気が付けば自然と笑顔と笑い声が増えていったように思う。

 そうして運が良いことに、彼女と同じ職場に就職する事が出来、この関係は思っていた寄りは長く続く事となった。


 仕事の内容から部署までは同じにはならなかったが、彼女は定期的に心配して声をかけてくれたり、食事に誘ったりしてくれた。

 彼女には本音を吐露できることから、彼女に対して依存度が上がるまではそれほど時間はかからなかったように思う。

 それでも【永遠に続く関係性】なんて存在しないことも理解はしていたはずだ。


「今度、結婚するんです」


 そう言って微笑む彼女の右手の薬指。婚約を意味するシンプルなリングは、彼女の輝かしい未来を現しているように光を反射して輝いている。

「……そう、良かったね」

 なるべく笑顔で答えるように努めながらも、何とか絞り出した台詞はそんな一言。

「結婚式に是非招待したいので、来てくれますか?」

 彼女からして見たら、親しい友人に祝って貰いたい。そんな無邪気な申し入れだったに違い無い。

「勿論、行くね」

 それでも笑顔が引き攣ってしまうのは、彼女が誰かのものになってしまえば、再び一人に戻ってしまうのでは無いかという恐れがあるからだ。


「じゃあ、また!」


 そう言って彼女は小さく手を振ると、軽やかな足取りで町の中へと消えていく。

「…………どうして…………」

 伝えられた事をどう処理して良いのか分からず、その場から動けないまま足元を見つめる。

 何が間違ってしまったのだろう。

 いや、きっと間違っていることなど無い筈だ。

 それでも何故か、彼女は何も言ってくれなかった。

 彼氏がいることも、結婚をするかも知れないという事も。

 親友だと思っていたのはこちら側の一方通行で、彼女にとっては沢山いる友人の一人にしか過ぎない関係。

 気にして声を掛けてくれたから、つい勘違いしてしまったのが運の尽き。

 始めから間違っていることに気が付かず、自分だけが特別だなんて安っぽい思い上がりに胸が締め付けられ涙が溢れる。


 久し振りに取り出した心の消しゴムは、もうすっかり擦り切れて小さくなってしまっている。

 この消しゴムで作った偽りの自分を消したら、今度こそ私は何処にも存在しない人間になってしまうかもしれない。

 それでも私は間違いを訂正したい。


 出来る事なら、生まれた瞬間から。

 全てリセットする事が出来れば良いのに。


 いつの間にか降り出した雨が町をしっとりと濡らしていく。

 幾つかの雨傘の中で、私だけが寂しく小さな存在として、ただずっとその場所に留まり続けたのだった。

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