第172話 長寿

 長生きをしたいと考えるのは、死というものを受け入れる事が難しいからなのだろう。

 出来る事ならば緩やかな終わりを。そう願ったとしても、必ずしもそれが叶うことはあり得ないこともある。

 ましてや、望まずして苦しみを与えられ終わるという可能性も確かにあるのだ。だからこそ、【死】というものが恐ろしいと感じてしまうのかも知れない。

 身体が思うように動かせなくなると、途端に気になり出すのは健康に関してのこと。命の終わりのカウントダウンが始まっているように感じ、気持ちばかりが焦り始める。そのせいか、今まで禄に向き合ったことの無い運動を始めようと意気込んだのは良いが、実際に取り組むにはハードルが高かった。

 もっと楽をして強靱な肉体を手に入らないものか。そんな風に考えてしまうのは、仕方が無い話なのかも知れない。

 それでも、そんな都合の良い魔法が有るはずも無く、妄想は儚い幻でしか無かった。

 とは言え、医療の進歩というのは目まぐるしいもので、その技術は日々進化しているのも事実だ。つい一世紀前までの平均寿命から考えると、今の寿命は大分長命になっているのは否定出来ない。一回り上の世代は口を揃えてこう呟く。「老いが遠ざかってしまっている」のだ、と。

 それでも矢張り、死ぬと言うことはとても恐ろしいと感じている。

 それは日に日に大きくなり、それに抗うように私は研究に取り込んだ。

 一秒でも長く寿命を延ばす方法は無いのかと躍起になっていたのかもしれない。

 これが良いと言う話を小耳に挟めば、金を惜しむこと無くそれを手に入れ、何処の国で最新の医療技術が開発されたという情報を手に入れれば、現地にまで行き視察をしそれを抱えの病院に導入したりもした。最先端医療から民間療法まで、ありとあらゆるものを試した結果、私は人よりも随分と長く生きることに成功したと言えるのだろう。

 いつの頃からか、私の身体の衰えは、驚くほど緩やかになったように思う。

 決して若返ることは望めなかったが、それでも、同年代の者達よりも老いは緩やかに進んで行った。いつまでも若々しさを保つために行う努力も功を成したのかも知れない。私はそんな自分自身を誇らしく感じていた。

 だが、最近はその考え方も少しずつ変化し始めている。

 確かに私は、長く生きると言うことに成功したのだろう。病気や怪我とは縁が無くなり、人よりも長い時をこの現実という時で過ごし続けている。年齢を聞かれると正確な数字を答えられない程、長い刻が過ぎた事だけは分かるのだが、それが積み重なる度、死への恐怖とは異なる、別の恐怖に苛まれる事に気が付いた。

 私は今、とても孤独だと感じている。

 共に過ごした人は皆、私を置いて去って行ってしまった。彼らはもう、何処を探してもこの世界には存在していない。私がどう足掻いても辿り付けない世界に旅立ってしまったのだ。

 幾つもの別れを経験して漸く気付いたことは、残される事の寂しさだった。

 私は彼らの事を覚えて居るのに、彼らは私のことを忘れ消えてしまう。

 それが増えれば増えるほど、私は一人だという事を思い知らされ、泣きたくなってしまった。


 回避したいと思っていた死が、今となってはとても恋しい。

 笑われても仕方が無いが、私は今、とても死ぬ事に憧れを持っている。


 強くなりすぎてしまった身体は、多少の事では命を縮めてくれる気配を見せない。

 出来る事ならば緩やかで穏やかな終わりを。そう望んでも、それを許してくれないのは、己が重ねてきた業の重さのせいだろう。


 一体どれくらい、私はこの先孤独をかかえて過ごさなければならないのか。

 終わりの無い旅路は常に不安で揺らいでしまう。

 もしかしたらという最も恐ろしい考えを振り切ると、私はまた新しい研究に没頭する。

 生きたいと願って進めていたものとは真逆の定理。


 私は今、とても、死ぬ事を渇望しているのだから、皮肉な話だ。

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