第171話 自由研究

 子どもの頃は、何故、自由研究をしなければいけないのかが分からなかった。

 ただでさえ、夏にある長期的な休みを名一杯楽しみたいと思っていたのに、大量に出される宿題のせいで毎日親に厭味を言われる日々。そこに自分で考えて行う自由研究がプラスされると、それだけで気分は憂鬱になった。

 自主性というものが苦手なせいで、いつも何を課題にするかを悩んだし、そういう学習は三日も経たずに飽きて終わってしまう。結局は、最終日に慌てふためきながらカンニングを行ったり、誰かの宿題に乗っかってグループ研究にしてもらったりと、そんな小賢しいことをしながら何とか乗り切ってきた思い出しかない。

 だが、そんな自由研究の中でも一つだけ。とても印象深く記憶に残っているものがあった。


 あれは確か、小学校五年生の時だったように思う。

 この年も例年通り、最終日付近まで何もせずに遊ぶだけで、夏休みが終わるかと思って居た。しかし、予想外の出来事というのは、いつ、何時に起こるか分からないものだ。ひょんな事から知り合ったクラスの異なる同級生。気が付けば、彼と共に自由研究を行うという話になってしまっていた。

 とはいえ、これは嬉しい誤算。先程も述べたとおり、自主的に研究内容を探す事が苦手な自分としては、合同研究にしてもらえるのは非常に有り難いと二つ返事で引き受けたのは言うまでもない。

 そんな彼との研究内容はというと、ある生き物の成長を記録するというものである。

 その生き物は彼が見つけてきたもので、一見すると子猫のように見える。そのため、子猫の成長記録を取るだけの退屈な内容かと肩を落としたのだが、彼はそうじゃないと首を振って口角を吊り上げて見せた。それじゃあどういった生き物なのかと尋ねても、具体的な説明は一切ない。何だかもやもやした思いを抱きながらも、そんな感じで猫のような生き物の観察という自由研究は始まった。

 始めの頃こそつまらないと思っていた観察だったが、毎日面倒をみていると、それなりに愛着は湧いてくるらしい。相変わらずこの生物が一体何なのかは分からなかったが、餌を与え世話を進めるにつれ自分に懐き甘えてくる様は可愛いと思ってしまう。

 いつの間にかその生き物に会いに行くのが日課になり、気が付けば一日の半分はそれの世話をすることに費やしてしまっていたのだ。

 そんな不思議な生き物だが、異様に成長するスピードが速いことに気が付いたのは、世話を始めて一週間が経ったときのことである。

 人間とは異なり子猫や子犬は大きくなるのが早いという事は何となく知っていたが、明らかに倍以上の大きさに育ったそれに、違和感を覚えたのはこの時が初めてだった。

 それでも、提出しなければならない宿題もあったし、何よりも世話をしていることで愛着も湧いてしまっている以上、中途半端に放り出すと言うことは考えられなかった。何となく嫌な予感はしていたものの、その違和感から目を背けつつ、この生き物の観察を続けていた。

 夏休みも終盤に差し掛かろうとしていた頃、共に研究をしていた同級生が数日間、世話を休むことがあった。事前に伝えられていたのは家の事情のため、親の実家に帰らなければならないということ。そう言う理由ならと生き物の世話を一人で受け持つことにし、その間の成長記録は出来るだけ分かりやすくまとめるよう頑張った。

 同級生が戻ってくるまであと二日となった日曜日。ちょっとしたミスから、僕はその生き物を建物の外に逃がしてしまった。

 生き物は大型犬くらいの大きさになってしまっていたから、大人に見つかったら保健所に連れて行かれてしまう。そうなったらという危機感で、必死に探して回ったものの、何処にも見つからず泣きそうになる。

 あの生き物を逃がしてしまったことに怒られるのも、あの生き物が死んでしまうことも望んで居ないため、何とかバレないように連れ戻す方法を考えたのだが、所詮小学生の悪足掻きだ。何一つ良い方法が見つからず、悔しくて泣いてしまった。

 だが、そんな心配を他所に、その生き物は二日後にちゃんと戻ってきてくれたのだ。

 ほっとしたのも束の間、また新たに感じる違和感に首を傾げる。

 でも、考えても多分答えなんて分からないのだからと、深くは考えず、大きく成長したという事だけノートに記し、その時の記録を終えた。


 結論から言うと、この研究は未提出となり、僕は先生からお叱りを受けた。

 何故提出できなかったのかというと、その生き物が突然死んでしまったからだ。

 その死体を僕は見る事が出来なかった。同級生がいつの間にか片付けてしまっていたから。

 そして、彼は僕に「この研究は無かった事にしよう」と持ちかけてきたのだ。

 当然、僕はそのことを断ったのだが、言い争いになった結果、先に手を上げてしまった僕が悪者になってしまい、彼の言い分を聞く形で研究を打ち切ったのだ。


 今考えてみれば、あれが一体何だったのか謎ばかりが残っている。

 あれが本当に自分の知っているような生物だったのか、あの時に感じた違和感がなんなのか、何一つ納得のいく答えは見つけられていない。

 それなのに、年々あれに対しての記憶は朧気になっていく。

 ただ、あの生き物について研究していたということは、確かな事実なのである。

 何故なら、その証拠に、あの時のノートはずっと、僕の手元に在り続けているのだから。

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