第159話 理不尽

 いつだって、お母さんの言う事は理不尽だ。

 私が何を言ったって、彼女は全く耳を傾けてくれない。

 一方的に言いたいことだけを言って、あとは全く知らんぷり。

 始めの頃はそれが気に入らず食ってかかったことも多いが、いつからだろう。諦めて自分の意見を言わなくなってしまったのは。


「あなた、また成績が下がったでしょう?」

 この前のテストの結果。それを見せられながら行われる説教会は、いつもの事である。

「……ごめんなさい」

 口答えをすると彼女の機嫌が益々悪くなることを知っている私は、謝ることで危険の回避を試みる。

「謝れば済むと思ってるの?」

 この反応は想定内。どうせ説教の時間は、彼女が納得がいかないかぎり終わることはないのだ。心を無にして流してしまう方がよっぽど利口だというもの。どうせ何を言っても彼女は、私の言葉なんて受け止めてくれない。その理由が分かる以上、抵抗するのは本当に無駄なのだと感じている。

「ちょっと、聞いてるの!?」

 適当に聞き流していると、彼女は途端に感情を爆発させる。こうなると更に憂鬱な時間は追加され、解放されるまで延長戦が確定してしまう。それを回避するのも手慣れてきたもので、その気配を察知した瞬間、私の演技スイッチは瞬時に切り替わり、頑張ったけれど無理だった可哀想な子の顔が姿を現すのだ。

 アピールするのはどれだけ自分が頑張ったかと言うこと。一生懸命にやってみたけれど叶わなかったと訴えれば、彼女は不機嫌でこそあるが、納得したように引いてくれるからだ。

 そうやって、自分の気持ちに嘘を吐き続けて早数年。私は立派な嘘つきへと成長を遂げていた。


 人を騙すと言うことに罪悪感を覚えなくなったのはいつの頃からだっただろう。

 どうせ真剣に話したところで受け入れてもらえないのなら、適当に人間関係を続けるしか無いと悟ってからは、私の行動は随分大胆になった。

 始めに騙したのは母親で、頑張る事を放棄している事実を悟られないように上手く演技し仮面を被る。

 どうせ彼女の怒りは常に理不尽なものから始まって居るのだから、それに本気になって受け止めてやる必要は全くない。

 そうやって、彼女の性格を上手く利用し、相手を手玉に転がすことを覚えると、私は次々に標的になりそうな相手を探し彷徨った。

 そんなリスクを冒すのは、刺激を得たいと思ったからなのだろう。

 一方的に吐き出される理不尽に対し、大分貯まっていたかもしれない鬱屈している感情。

 もしかしたら、それを吐き出す場所が欲しかったのかも知れない。


 だが、そんな私にも転機というものが訪れたのだ。

 目の前には、私の事を大事だと思い受け止めてくれる唯一の相手。

 始めは彼も、ただ遊ぶためだけの対象の一人だったのに、いつの間にか私の方が溺れてしまっていた。

 つい先日告げられたプロポーズに、感極まって溢れ出す涙。二つ返事で受け入れると、幸せまでのカウントダウンが始まる。

 私にも漸く幸せというものが訪れる。

 そう思うと、居ても立っても居られず、ついこのことを母親に報告しに家に向かってしまったのだった。


「あんた、この結婚はやめなさい」


 私は何故、彼女から祝福の言葉をもらえると勘違いしたのだろうか。

 久し振りに言われた理不尽に、思わず目の前が真っ赤に染まる。

「私はね、あんたのためを思って言ってあげてんの」

 その言葉は、何を以てそう言ったのか全く理解出来ない。

「あんたにはね、幸せになって欲しいのよ」

 一方的に繰り出される持論は、私の意見など一切無視。

「そんな人のプロポーズなんて断って、この人なんてどう?」

 どこに用意してあったのだろう。机の上に置かれた大量の見合い写真を開きながら、やれ、どこの誰はどういう家柄だの、この人はこんな素晴らしい功績を残しているだのをつらつらと語り始めている。

 結局のところ、私はどこまでも彼女の操り人形なのかもしれない。

 どんなに頑張って自分を作ったところで、彼女が見て居るのは私という姿をした己の理想。

 自分が叶える事の出来なかった夢を、私という傀儡に背負わせ自己満足を味わいたいのだろう。


「……分かった。もういいよ、お母さん」


 もう、これ以上は聞いていたくない。

 一方的に話を遮ると、私はすっくと席を立ち椅子の背もたれに手を掛ける。

「私はあなたのお人形さんじゃないの」

 その衝動を抑えられなければ、待っているのは更なる地獄。

 それでももう、構わなかった。


 欲しいと願う自由を夢見て、私は勢いよく椅子を振り上げる。

 驚き恐怖で歪む彼女の顔目掛けて、それを思い切り振り下ろすと、嫌な音を立てて壊れる母親という形。


「……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 やってしまったことを後悔なんてしない。

 二度と動かないように何度も、何度も潰した後、私は家を後にする。

 向かう先は近所の交番。これから己の罪を自首するつもりだ。

 でも、もう、二度と振り返らない。

 何故なら今、漸く私は、『母親というなの理不尽』から解放されたのだから、だ。

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