第156話 健康診断

 年齢を重ねると、共通で上がる話題は専ら『健康』に関することばかり。若い頃はその事について深く考えることは無かったが、今はそのことを身を以て実感している。

 いつまでも若い気持ちはあれど、肉体の方が現実を受け入れろと訴えてかけてくるのだから、余計に意識してしまうのかもしれない。

 気が付けば体型が変わり、食生活が代わり、生活スタイルまでも緩やかに変化。積み重ねた不健康は、いつしか私自身の身に重くのし掛かってしまっていた。

 それでも、いつまでも若い頃と同じ肉体を保ち続けている人も居る。

 私の友人は、今でも若々しく、健康そのもの。それがとても羨ましくて仕方が無い。

 以前、その友人に、健康になる秘訣を尋ねたことがあるが、返ってきた返答はありきたりなもので、何一つ特別なことは無い。

 頭では分かって居ることでも、それを実践するまでがなかなかに難しいのだと目を背けた現実問題。いい加減向き合わなければならないことは自分でも分かっては居るのだが、それでもどこかで頭を擡げた面倒臭さが、明日からと言う誘惑を伴い不健康と対峙することを遠ざけてしまう。

 だがいい加減、現実と向き合うときがやってきたようだ。

 毎年行われる健康診断に出た大きな溜息は、今現在感じている正直な気持ちの表れだろう。

 案内を受ける順番通り検査場に周り行っていく一連の流れ。前日から空腹を訴える腹は、食べ物を寄越せと喚いているが、前に出た腹が平たく凹む気配は一切無い。いつの間にか増えてしまった体重に恐ろしさを感じながら、ただ、ただ、検査が終わることを祈り続ける。

 これが健康を維持するために必要なことだと頭では理解しているのに、心は全く別の事を考えてしまうのは、その結果に怯えながら生きる事を嫌がってしまうからだろう。

 今年はきっと悪い結果が提示されるのかもしれない。

 それは毎年襲われる、憂鬱な時間だった。

 年齢が積み重なると検査の幅も広くなるから余計に頭が痛い。

 去年までは無かった通知に再び溜息。今までその場に足を運んだことの無かった検査場の待機室には、同じように暗い表情を浮かべた人がぽつぽつと点在していた。


 身体のメンテナンスは、日頃から気に掛けていないと少しずつガタがくるようだ。


 後日手元に来た結果は芳しくない内容。

 やはりなと思いながら、それでもショックは隠せない。

 再検査という文字を見て盛大に吐き出す溜息。この状況は、とても気が重くなるものだ。

 己の自己管理の甘さが連れてきた結果論だとしても、いつまでも勘違いしたままで居たかった。

 それでも、現実は容赦なく己の身に降りかかる。

 仕方ないと手に取った電話で再検査の予約を入れ目を伏せる。

 これ以上悪い結果が出ないことを願って。


 再検査の日はあっという間に訪れた。

 あの日から、気持ち程度ではあるが健康になれるよう生活を見直す事は努力してみた。

 たった数週間の頑張りで結果が著しく変わるわけでは無かったが、それでもやらないよりは増しだろう。

 例え生活指導が入ったとしても、一度目の結果よりは数値は改善しているはずだと思いたい。

 そんな事を願いながら挑む再検査は、以前の検査に幾つか項目が追加されたもの。案内通りに施設を移動し、一つずつ片付けていくと、あっという間に時間が過ぎていく。

 そして、最後に残った検査。

「……始めて聞く検査だなぁ……」

 手渡されたファイルに表記されている言葉は、今まで聞いたことの無いもの。

「……なんて読むんだ? これ」

 明らかに日本語では無い言葉の後ろに続く『検査』という文字だけは辛うじて読めるが、概要説明のプリントを見ても、母国語でも英語でもないため内容が理解出来ない。

「まぁいいや」

 検査を担当するスタッフから此処に向かうように指示をされたのだから、これも検診に必要な検査には違い無い。いずれにせよ、余り長く病院という施設に留まりたくないという気持ちから、私は急いでと検査室の扉を開く。

「どうぞ」

 室内は予想以上に冷えて肌寒いと感じた。

「ファイルはこちらに」

「あ。はい」

 名前が呼ばれるまで待機室のベンチで時間を潰す。特にやることも無く手持ち無沙汰。余りにも退屈で思わず欠伸が零れてしまった。


 いつの間に眠ってしまっていたのだろう。


「終わりましたよ」

「え?」

 肩を揺すられ起こされると、先程のスタッフが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

「大分お疲れのようですね」

 これで検査は終わりです。お疲れ様でした。その一言で無理にベンチから立たされると、追い立てられるようにして部屋から放り出されてしまう。

「…………なん……だったんだよ……」

 検査を受けた記憶は無い。いつの間にか意識を失っていたのだから、それもそのはずだ。一体いつの間に検査をされたのだろうか。この部屋の中で何が起こったのかを思い出そうと記憶を辿るが、まるでそこだけを切り取られたかのように、記憶がぽっかり空いてしまっていた。

「……気味が悪い」

 帰って良いと言われたのだから、これ以上長居をしたくない。どちらにせよ、診断結果は後日にしか分からないのだからと、私はそのまま帰宅する。


 あれから数週間経つが、未だに私の検診結果は送られてこない。

 日が経つにつれ、何があったのかと不安だけが積もる。

 健康なのか、そうでないのか。一向に分からない答えに、私は一体どうすれば良いのだろう。

 あの日以来、生活習慣に気をつけて改善を努力はしているが、指標が定まらずとても不安定。

 こんなにも、『健康』という言葉に悩まされることになるなんて。

 私は今、健康なのだろうか。

 そればかりが気になり、気が気では無い私の身体は、気が付いたら随分と変わってしまっていた。


 だが、私はそれに気が付かないし気付けない。

 何故なら、検診結果がまだ手元に届かないのだから……。

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