第113話 大当たり

「おめでとうございまーす!」

 大きなベルの音が商店街に鳴り響く。二千円分のレシートで一回。その謳い文句に釣られて並んだのは、商店街が開催する福引きキャンペーンの待機列だ。当選者を張り出しているボードには、一等である金賞の部分が空欄のまま。まだ誰もそれを引き当てていないことが、一目見て分かる。

 正直な所、私はそんなにくじ運が良い方ではない。どうせ今回も残念賞。ポケットティッシュ……あわよくば、その一個上の食器用洗剤くらいがもらえればそれでいいや。それくらいの軽い気持ちで私の番が回ってくるのをのんびりと待っていた。

「おめでとうございまーす! 三等でーす!」

 待機列の前方からそんな声が聞こえてくる度、周りがざわつく。それもそのはずで、限られた当選枠の中から幸運を引き当てた人間が多ければ多い程、自分に回ってくる商品の当選確率は競争率が激しくなっていくのだ。くじ引きなんて時の運。そう頭では理解していても、心のどこかで期待値以上の幸運が訪れることを願わない人間など居ない。並んでいる何人かの中には、神に縋るように願をかけている人も居るのだから、それも仕方無い話だろう。

 たかがくじびき一つだが、当たれば嬉しいもの。そのためにわざわざ値段を調整して、くじ引き券変わりのレシートを用意してくる人も居るようで、数人前に並んでいる女性グループは、互いのレシートを見せ合い何回引けるのかという回数を確認しているようだった。

 そうやって少しずつ待機列が移動していく。


 ガラガラガラ。

「おめでとうございまーす!」

 ガラガラガラ。

「おめでとうございまーす!」


 今日だけで、福引きを担当しているスタッフは、このセリフを何回言うのだろう。そんなくだらないことを考えながら、前に並んだ人数を数えて欠伸を零す。期待しなければ残念だったときの結果に対してのダメージは少ない。そうやって、色んな事を諦め続けてきた人生。今回もそう。期待するだけ無駄だとのんびりと構え順番を待っていた。

「では、次の方〜」

 スタッフの手際が良いのだろう。あれほど長かった待機列は、思ったよりも早く流れていく。気が付けばあと二人ほどで私の番。福引きの引換券代わりとなるレシートを財布から取り出したところで、突然声を掛けられた。

「お兄さんごめんなさいね〜」

 どこから現れたのだろう。見知らぬおばさんが私の隣に立っている。

「あらぁ! 遅かったじゃない!」

 どうやら前のグループの一人だったらしく、遅れて合流してきたその女性に対し、並んでいた女性達はおいで、おいでと手招きしながら声をかけてきた。

「お兄さんごめんねぇ。おばちゃん、この人たちと友達だから」

 明らかに意図的に行われている割り込み。正直これは気分が良くない。

「間に合わないかと思ってヒヤヒヤしたわよぉ」

 しかし、こう言う人達には何を解いても効果は無いのだろう。悪びれる様子も無く自分たちの会話で盛り上がり始めた彼女達は、周りの空気なんて一切気にせず、これから回すことになる福引きの結果だけを楽しみに盛り上がり始めていた。

「…………はぁ」

 本来ならば、ここでガツンと注意出来れば格好良かったのだろう。それでも、面倒臭いことに巻き込まれたくないという気持ちから、この割り込みに対して注意することを諦め頭を掻く。後ろに並んでいる人達には悪いが、騒ぎを大きくして悪目立ちをするのは勘弁。どうせ良い結果なんて得られないんだから、注意してもしなくても同じだ。

 そうやって、目の前の女性グループの番が回ってくると、彼女達はこれでもかと言う量のレシートを提示し、ガラポン抽選器を勢いよく回し始めた。


 ガラガラガラ。

「おめでとうございまーす!」

 ガラガラガラ。

「おめでとうございまーす!」


 何度も何度も同じ言葉が繰り返される。複数名のグループのせいか、先程までのスムーズな流れは一端ストップ。結果に喜んだり悔しがったりを繰り返すもんだから、次第に場の空気は悪くなってきてしまった。

「それではこちらでラストになります」

 最後の抽選は、遅れてきた割り込み女性が回すようだ。気合いを入れて抽選器のハンドルを回すと、勢いよく排出された球がトレイの中で小さく回転し止まった。

「白ですので、残念賞のポケットティッシュになります」

 あれだけ大量のレシートで得られた戦利品は、やはりという結果に。大量のポケットティッシュと食器用洗剤のボトルが二本。唯一の救いは、五等の商店街のロゴが入ったエコバッグを引き当てた人がいる。それくらいだ。

「それでは、お次の方どうぞ〜」

 早速手に入れた戦利品をエコバッグの中に片付けていく女性グループを他所に、私はたった一枚のレシートを差し出し指示を待つ。

「レシート一枚ですね。抽選は一回になります」

 その言葉に小さく頷くと、何も考えずにハンドルを回し結果を待った。


 カラカラカラ。


 乾いた音を立てて吐き出される球。トレイの上で小さな音を立てて回った後、静かに止まったそれを見て、私は思わず目を見開いた。

「金色…………」

 金色。それは、一等賞を表す特別な色。

「お、おめでとうございまーす!!」

 次の瞬間、商店街中にハンドベルの音が勢いよく響き渡った。

「一等当選者が出ましたー! 一等はこちらになります!」

 何が起こったのか分からない状況に混乱していく頭。

「どうぞお受け取り下さい!」

 訳が分からず手渡されたのは、振込用紙だ。

「え?」

「こちらに、お好きな金額をお書き頂ければ、後日、ご指定頂きました口座に当選金を入金させて頂きますので」

 一等賞の賞品はまさかの現金で、この振込用紙はその為のものらしい。

「……じょ…………冗談、です……よね?」

 こんな予想外の幸運なんて有るはずが無い。手渡された振込用紙と目の前に立つスタッフを何度も交互に見ながら、震える声で絞り出した一言。

「いいえ。冗談ではありませんよ」

 だが、その言葉を否定するようにスタッフの女性はニッコリと笑っておめでとうございますと付け加える。

「受付期間は本日より一週間となっておりますから、お急ぎくださいね。それでは次の方どうぞー」

 これ以上の質問は受け付けないとバッサリ切られた会話。そんなことを言われたって、私はどうすれば良いのだろう。

「いいわねぇ、お兄さん」

 気が付けば、私の周りは人垣が出来ている。

「あーあ。あんたの後ろに並んでいれば、私たちが一等を貰えたのに、本当に残念だわぁ」

 妬み、恨み、嫉み、僻み。マイナスの感情が多方面から私に注がれ息苦しい。

「…………すいません。通してください」

 とにかくこの場所から逃げなくては。本能がそう警告を発する。

「本当にラッキーだったわねぇ。羨ましいわぁ! ほんと!!」


 大きな幸運は、時として予想外の不幸を呼び寄せるものなのだろう。

 私が望んだのは誰にも羨まれることの無い小さな幸運。

 

「すいません! 放っておいてください!!」

 握りしめた一枚の紙切れ。それが私の運命を大きく変えてしまったことについて、誰を怨めば良いのか分からない。

「離せっ!!」

 これから先、私はどう生きていけば良いのだろうか。


 まだ真っ白なままの振込用紙。

 それに怯え逃げだそうと藻掻きながら、それを手放せない私もまた、欲深く愚かな人間の一人。と、言う事なのかも知れない。

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