第97話 衣装
緞帳が上がった舞台の上。
眩く光り輝くスポットライトに照らし出された壇上では、美しい衣装を身に纏いステップを踏む女優の姿。
私は……というと、それを羨ましげに舞台袖で見つめている。
本来ならば彼処に立つのは自分のはずだった。だが、今は、そこに私の居場所は無い。
奪われたのは主役というポジションと名声。それがとても、惨めで仕方が無かった。
私は誰よりも努力していたと思う。
華やかな外見をしている訳でもなければ、飛び抜けて素晴らしい才能を持っていると言うわけでもない平々凡々の人間だからこそ、誰よりも『成功』という言葉に強い憧れを感じていた。
その道がとても険しいことは分かっては居る。だが、夢を簡単に諦められるほど、私は大人にはなりきれなかった。
『いつかはあの華やかな舞台の上に立ちたい』
そう思わない役者なんて誰一人として居ない。私だってそうだ。
ただ、そこに上がれるのは一握りの人間。それは運であったり、才能であったり。人に寄って階段の形状は異なっているが、チャンスを掴み取ることさえ出来れば、その場所までの距離はとても短くなる。だからこそ、誰よりも努力し、技術を磨くことに専念していた。例えそれが、無駄だと笑われたとしても、私にはそれしか方法が無かったのだから仕方が無い。
そんな私にもチャンスが巡ってきたのは半年前のことである。
私はその時の発表を生涯忘れる事は出来ないだろう。
代打。と言えば聞こえは悪いのかも知れない。
だが、確かにそれは、私に取って漸く手に入れることが出来たチャンスには変わりがない。
主演の女優が突然の事故に見舞われ、リハビリに時間がかかるという知らせを受け、急遽開催されたオーディション。物は試しとエントリーし、ダメ元で受けてみたところ、幸運にも私に漸くスポットライトが当たったというわけだ。
元々、この劇は私自身も参加しているものだったため、主演女優の台詞や役作りはある程度把握していたというのもある。だからこそ、私という地味な存在でも日の目を見る事が出来たのだろう。
その日からつまらなかった稽古がとても楽しくて仕方が無かった。同じ舞台、同じ脚本のはずなのに、演じる役が異なるだけでこんなにも印象が変わるのかと驚いたのもある。皆が私を讃え、私を魅せるがめのデバイス。全てのスポットが『私』という主役に集まり演出されることが、何よりも心地良いと感じている。
だからといって、今までの苦労を水の泡にすることはしない。奢りは禁物だと肝に銘じ、稽古は全力で取り組んだ。それもそのはずで、私自身、刺して取り得があるわけでもない地味な人間。努力をやめてしまえばそこで私という存在の意義が揺らいでしまう。
小さな早くから少しずつ階段を上がり、漸く掴み取れる頂上の星。その輝きを自然に身にまとえるようになるまで、努力し続けることが、私に取って唯一出来る事だと理解していた。
しかし、夢とはいつかは覚めるものらしい。
私のつかみかけたチャンスは、呆気なく崩れ去り消えて無くなってしまった。
舞台の上では、劇団の仲間達がそれぞれの役を懸命に演じている。
本来ならばそこに私の姿も在るはずだった。
だが、今、私が居る場所は舞台袖。演じる役柄もなく、他のメンバーのサポートとしてその場所に存在している。
私が着るはずだった衣装は、本来の持ち主の元に戻ってしまった。
講演直前で戻ってきた主演女優が、呆気なく私の夢を打ち砕いてしまったのだ。
本来ならば舞台に戻れたことを喜ぶべきなのだろう。しかし、私はそれを素直に喜ぶ事が出来なかった。私が今まで積み重ねてきた努力は、美貌と才能を持つ一人の女性の前では余りにも無力で滑稽で。
本番で袖を通すはずだった豪華なドレスは、たった一度身につけただけで着る機会を失ってしまう。
悔しくて、一人、誰も居ない楽屋の鏡の前で台詞を呟いたこともある。役になりきって完璧に演じたとしても、鏡の前に居るのは地味で冴えない一人の女。化粧もなく、服も動きやすい稽古着。髪の毛なんて、一つ結びで美しさとは程遠い姿に思わず溜息が零れる。
代役となったため、元々私が演じる予定だった役は別の人の手に渡っていたのも、正直精神的に堪える部分だった。
私には居場所がない。
地味で目立たない役だとしても、役者として舞台に上がることが出来て居た今までの方が楽しかったのだと、改めてそう感じてしまった。
劇は特に問題もなく順調に幕を進めていく。スポットライトの上で、活き活きと動き回る劇団のメンバー達。観客席からは、彼等の動きに合わせて様々な声が上がる。時には笑い、時には怒り。そして、最後の場面。
「例え神様が貴方を赦してくれなくとも、私が貴方を赦します」
罪を犯した騎士の元へ駆け寄った皇女が、彼の前に手を差し伸べ癒すシーン。
「貴方は、皇国のため……そして、私のために戦ってくださった。その働きは、何よりも尊く、そして愛おしいものです」
迫真の演技で感情を表現する彼女に、その場に居る全ての人間が呑まれていく。
「貴方の手は血で汚れ、真っ赤に染まっていることでしょう。ですが、それが何だというのです? 私は、その勇ましさに誇りを感じます」
真っ白なドレスとキラキラと光るイミテーションが、強い光りを浴び輝きを放ち続ける。
「私がここに在るのは貴方のお陰。私を守って下さった貴方がいたからこそ、私はこうして民衆の前に立つことが出来るのです」
何者にも代えることの出来ない唯一無二の皇女。それが私でないことが矢張り悔しくて仕方が無い。
「だからもう嘆く必要はありません。私が、貴方を赦します。貴方の罪を、私が共に背負って差し上げます。さぁ、この手をお取りになって」
そう言って彼女が騎士役の男性に手を差し伸べた瞬間、はじけ飛んだイミテーション。
「…………」
彼女。が居た場所から彼女の姿が消えたと皆が認識した瞬間、舞台上に悲鳴が上がる。
「早く緞帳を下ろせ!! 急ぐんだ!!」
その場で起こるパニックを沈めようと奔走するスタッフ。何が起こったのか分からないと狼狽えるメンバー。舞台袖でその光景を他人事のように見て居る私。
「ああ。良かった」
舞台の上には一つだけ落下したスポットライト。その下敷きになるように横たわるのは、真っ赤に染まった衣装を身に纏った可哀想な主演女優。
「事故は、いつ起こるか分からないものだものね」
この舞台は多分中止となるだろう。でも、私はそれでよかったと感じている。
「その衣装、真っ赤な色が綺麗。とても良く似合ってると思います」
もうその役として舞台に上がることの出来なくなった地味な私から、私の役を奪った貴女へと送るたった一言の褒め言葉。
「もう、二度と貴女の舞台は見られないとはおもいますけれど」
そう言って、私は舞台袖から姿を消す。これが私の最後の演劇。もう、二度とこの世界に足を踏み入れる事はないだろう。
夢を見る時間は終わったのだ。
吐かなく散った、私の努力と共に。
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