第94話 味覚
美味しいものを食べると幸せになる。
そう思う人間は少なくは無いだろう。
勿論、私もそう思う人間の一人である。
テーブルの上には沢山の料理。大分欲張りすぎている感は否めないが、ビュッフェ形式なので、皿の上が賑やかになってしまうのは仕方が無い。食べれるだけ楽しまなければ損をしてしまうという意識からか、ついつい欲張ってしまう。その結果が、今、この状況だ。
それを見て居た友人は呆れたようにこう呟く。
「食べ終わってから新しいのを取りに行けば良いのに」
向かいに座る彼の皿の上にあるのは、申し訳程度に乗せられた食べ物たち。ワンプレートで足りるのかと疑いたくなるほどの量の少なさは、皿の上に盛り付けられた品の良さで分かる。
元々彼はそこまで大食らいというわけでは無い。しかし、本当にこれだけの量で足りるのかはなはだ疑問だ。それが私には理解しがたい部分でもある。
「美味しい物はいくら食べても食べたり無いの」
私だって上品に食べたいという願望が無い訳じゃない。それでも色気よりも食い気の方が優先されてしまうし、今食べなかったらもう食べられないのではないかという恐怖観念の方が強く出てしまうのだから、これはもうしょうがないと諦めて貰う以外は無いだろう。
「まぁ、君のそう言うところが好きなんだけどね」
優しい彼はそう言って上品にフォークを口元へと運ぶ。
「あー! 美味しいー!」
手当たり次第取ってきたものは、バターロールにクロワッサン。小さくカットされた数種類のピザにトマト系とクリーム系のパスタ。白米はちょっと多いと判断したけれど、隣にピラフがあったから思わずそれもお皿に盛りつけ、ついでに寿司を幾つか添えて。
当然皿は一枚では足りないから、もう一枚にはメインになりそうな肉、魚料理を数種類。ハンバーグに手羽先、豚肉の中華炒め、エビフライ。シュウマイと餃子に小籠包。ポテトグラタンと玉子焼き、アジフライ、魚の煮付けで定員オーバー。
小皿には数種類の野菜を盛りつけた即席サラダ。スープは味噌汁か野菜スープかで迷って野菜スープに。カレーライスも美味しそうということで、結局白米を食べることに決め欧風カレーを少しだけかける。
これらの食べ物が、順調に私の胃袋へと消えていくのだ。本当に食べる事が何よりも好きな私に取って、このスタイルの食事は幸せ以外なにものでもない。
「でもホント、今日は来れて良かった」
ハートマークを飛ばしながら、トマトベースの野菜スープの中にスプーンを沈ませる。
「このホテルのレストラン、前からずっと気になってたの」
スプーンの中で揺れる液体が私の口の中へと誘われると、直ぐに下の上に濃厚な味が広がっていく。トマトの酸味と甘みに寄り添うように味を支えるブイヨンの香り。カットされたベーコンの香ばしさと、キャベツの柔らかな甘さ。それに追従するようにして、にんじんやダイスポテトの甘みが広がっていく。
「これも凄い美味しい!」
箸を延ばし持ち上げたのはもちもちの皮に包まれた餃子で、一口被り点けば破れた皮の間から閉じ込められた肉汁がしたたり溢れ出す。たっぷりの合い挽き肉と白菜の独特な香り。慌てて残った半分を頬張ると、熱さで少し舌が火傷をしてしまった。
「ほら。急いで食べるから……」
彼が呆れたようにそう言いながらアイスティーを手渡してくれる。
「ありがとう」
たわいない会話と美味しい時間。次々と皿の上から姿を消していく料理は、その後何回か補充される。気が付けば食べているのは私一人。向かいの彼はデザートまで済ませ、今はのんびりと珈琲の香りを楽しんでいた。
「しかし、本当によく食べるね」
未だ食事を続けている私を見ながら彼が浮かべる苦笑。
「ん? まだ、入るよ?」
未だ手を動かしながら食べ続ける私は、当然でしょうとでも言いたげに彼を見る。
「僕は無理。流石にお腹いっぱいだ」
コーヒーカップをテーブルにそっともどすと、降参と上げる両手。
「このままだと、子豚さんのように更に丸くなっちゃうかもね」
その言葉は厭味なのだろうか。少しだけトゲが含まれているような気がしたが、そこは敢えて無視して私は手と口を動かし続けた。
漸くデザートを食べようかなと席を立った時だ。
「あれ?」
こんなメニューがあっただろうか。
目の前には見たことのないキノコのソテーとカットステーキ。それはとても、美味しそうに私の目に映ってしまう。
「いやいやいやいや! もう流石に食べられないわよ!」
幾ら美味しそうに見えたって、流石にステーキはキャパオーバー。ここは我慢するべきよねと自分に言い聞かせ、いったんはそのエリアをスルーしデザートを物色する。
「…………」
だが、どうしても気になって仕方が無い。
「…………」
どうして食事をしている時にそれを出してくれなかったのかと、恨みがましくそれを睨み付ける。
「……駄目。やっぱ、気になるわ」
結局、私という人間はどこまでも欲望に甘いらしい。大きな溜息を吐いた後、一旦デザートを置きに行き再びステーキを取りに戻る。真新しい皿を手に取りまずは物色。胃袋の限界を間違ったらダメと自分と相談しつつ、一番小さな一切れにキノコを添えて彼の元へ。
「ス、ステーキ?」
流石にこれは予想外だ。そう彼に呆れられたけど、好奇心の方が勝ってしまったのだからしょうがない。
「コレで最後だから!」
どうせお金を払うのは私なのだ。だから文句なんて言わせないと、ステーキとキノコソテーを頬張ると、突然目の前が弾けたようにキラキラと輝く星が現れたのだ。
「え? なに……これ……」
言葉では言い表せないような美味しさ。そう言えば伝わるだろうか。
今まで味わったことのない濃厚で独特の風味が、口の中いっぱいに広がっていく。
柔らかな肉の旨味と絡み合うようにキノコの香りが混ざり合い、じんわりと体中に染み渡っていくような感覚。
「……そんなに美味しいの?」
その言葉に私はただ頷くだけで、無言でひたすらステーキを頬張り続ける。
「ふぅん」
一切れだけじゃ足りない。おかわりが欲しいと。皿が空っぽになると席を立ち、カットされた肉の中で小さめの物を選んで席に戻る。口に運べば先程と同じ様な多幸感に満ちあふれた美味さが私を包み込んで離さない。
一回目、二回目。何度も何度も料理を盛りつけては席に戻る。
三回目、四回目。食べても食べても満たされない食欲。
五回目、六回目。口の中に広がる一瞬の幸せが消えていくのが勿体ない、と。
七回目、八回目。その一瞬を閉じ込め永遠に味わっていたくて、食べる事をやめられない。
「…………だから、言ったのに」
あれから、どれくらいその味を楽しんでいたのだろう。
「子豚さんのように更に丸くなっちゃうかもねって。僕はちゃんと忠告したでしょう?」
薄暗い部屋の中。
「でも、まぁ、僕としては嬉しいよ」
猿ぐつわを噛まされ、両手、両足には重苦しい鉄枷を嵌められ転がされている一人の女性。
「これだけ大きく育ってくれたんだったら、さぞかし良い食材になってくれるだろうし」
大切にされていたと思っていたのは束の間の幻想。
「何とか間に合って良かった」
あれほど優しかった相手の態度が豹変したことに気付いても、今はもう後の祭りである。
「そろそろお迎えが来るかな?」
そう言って男は腕時計で時間を確認した。
「あの人に、気に入ってもらえるといいんだけど……」
重苦しい扉が開く。薄暗い部屋に差し込む強烈な光り。
「さぁ。出荷の時間だよ」
そう言って向けられた表情は、今までで一番綺麗で、とても冷たい微笑だった。
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