第71話 病み上がり
この時期は寒暖差が激しい。
暖かくなったと思ったら急に寒さが逆戻り。お陰で数日前から体調を崩してしまっていた。
盛大なくしゃみと止まらない鼻水。全身を襲う倦怠感と寒気。連日の仕事の無理が祟ったのか疲労も重なり、気が抜けた瞬間一気にダウン。幸いにも病院に自力で行くことは可能で、入院すると言うことは無かったが、それでもしんどいと感じるのは間違いない。
一人暮らしのため、薄暗い部屋で一人病気と闘う様は、とても虚しく、そして心許ない。
熱が上がり、食欲が減退すると、その不安は更に強くなってしまう。こういう時ばかりは、誰かが傍に居て欲しいと思ってしまう辺り、非常に現金なものだ。
枕元に置いた携帯端末からは、メッセージが届いたことを知らせる着信音。熱に浮かされた頭でチェックしても、その内容は半分以上入ってこない。
幸いなことにこの状況は事前に説明をしているので、届いたメッセージの殆どは体調を心配するものばかり。仕事について何か届いていないかと言うところだけは気になるが、返信する気力が無く見て直ぐにディスプレイのバックライトをオフにする。
返信は後でまとめてしてしまおう。
瞼を伏せると、内側が異様に熱い。口元から吐き出される荒い呼吸がより大きく聞こえ、怠さが更に強まったように感じた。
一日中伏せってただひたすらに汗を掻く。体から水分が抜けた分、自分が干からびていくのだが、体に纏わり付く水分のせいでそれを意識することは中々難しい。それでも覚える乾きを潤すために、重い体を無理に起こし口に含むスポーツドリンク。甘く優しい味が潤いと共に全身に染み渡ると、少しだけ気分が良くなったように感じるから不思議だ。
そうやって漸く症状が治まった頃には、空腹を訴える音が腹の内側で食べ物を寄越せとやかましく鳴り響いていた。
まだ体調は悪い状態が続いている。だが、誰も手を貸してくれる状況では無いのが悲しいところ。ベッドから居りキッチンへとゆっくり移動し、買い置きのレトルトパウチを取り出して皿に移す。本当は好きじゃ無いその食べ物は、消化に良いと言われる白い流動食。優しさだけしか与えてくれない白い粥で満たされた皿にラップを掛け電子レンジを起動し待っている間に、冷蔵庫から梅干しを取り出し温まるのを待つ。稼働を追えた電子音が聞こえたら蓋を開け温めすぎて熱くなった皿を取り出し食卓に着くと、梅干しを一個白粥の海に沈め、ゆっくりとそれを腹の中に収めていった。
病気の時に食べる食事は味覚がバカになっているせいか、とても不味いと感じてしまう。それでも、薬を飲むためには胃の中が空っぽの状態は非常に拙い。なんとか完食し、顆粒タイプの市販薬を無理に喉に流し込むと、食器をシンクに片付けて再び寝室へ。体調が完全に回復するまではどれくらい時間が掛かるのだろう。そんな不安を抱きながら床に就き意識を手放した。
目が覚めたとき、随分と体が楽になっていることに驚いた。
相変わらず着ていた服は汗でぐっしょり濡れ気持ちが悪かったが、あれだけ感じていた体の怠さが一切感じられないのはどう言うことだろう。薬が効いたのか、大人しく安静にしていたのが良かったのか。いずれにせよ、先程までの苦しみはどこへやら。頭も体もスッキリしていて心地が良いと感じている。
「これなら、明日は出勤出来るかな」
そう言えば。携帯端末にメッセージが届いていた事に気が付き内容を確認しようと手を動かす。シーツの上の携帯端末は、ディスプレイがうつ伏せの状態で枕の隣に置かれたまま。手に取って電源を入れないと、どんなメッセージが入っているのかを確認することは叶わないため、それを掴もうと触れたときだ。
「…………?」
確かに今、携帯端末に触れたはずだった。
「何で?」
もう一度携帯端末を持ち上げようと手を伸ばすのに、触れた感触が指に伝わること無く、携帯はうつ伏せの状態でそこに放置されたまま。何度やっても持ち上がらないアイテムに、何が起こっているのか分からず頭が混乱してしまう。
「そうか……これは、夢だ!」
そう考えるとしっくりくる。夢だから携帯が掴めないのは当たり前。なんだ。何も心配することなんて無いじゃないか。
勝手に一人で焦って勝手に一人で納得して。夢ならば覚めれば良いことだと再びベッドに横になり瞼を伏せる。
眠りに就くまでは大分苦戦したが、なんとか意識を微睡みへと落とし込むことに成功すると、先程とは異なり安定した寝息が少しずつ小さくなって消えていった。
次に目覚めたときは、確かに『現実』だった。
枕元に置いていた形態端末はしっかりと掴めるし、メッセージの内容もきちんと確認出来る。しかし、付きまとう妙な不安感と感じた違和感はどうも拭い去ることが出来なかった。
たった一日と少し病魔と闘っていたにしては多すぎる着信履歴。始めの頃は簡易的な心配のメッセージと今後の業務スケジュールに関しての連絡が殆どだったのだが、最新のものに近付くにつれ、生死を心配されるような切迫した内容へと切り替わっている。
「何だよぉ……みんな、大げさだなぁ」
残念ながら生きています。ご心配をおかけして、すいません。そんなメッセージを一人一人に返し終わったところでベッドから降り洗面所へと向かう。足元がふらつきまだ平衡感覚がおかしいままだが、これは体力を消耗しているせいだろう。顔を洗い汗を流してすっきりすれば、食欲を充たすためにキッチンへと迎えるはず。まだ本調子というわけではないが、それでも何時も通りの生活に戻れるということが嬉しくて自然と表情が緩んでしまう。今日は何を食べよう。そんなことを考えながら洗面所の鏡を覗き込んだ時だった。
「……え?」
濁った鏡面の向こう側。そこには、自分の知らない何かが、驚いた顔をしてこちらを見て居た。
「なに……これ……」
真っ白に抜けた白髪と、骨と皮だけになった骸骨のような顔。造形を確かめるように指を這わせれば、向こう側に居る化け物も同じように動きその物体の形をなぞる。
「何だよ! これ!!」
それが、自分の姿だと認識するまでどれほどの時間を有したのだろうか。
信じられない。信じたくない。
それでも、自分の両腕はとても痩せこけ、鏡の向こう側で自分と同じように動く虚像がこの姿はお前なんだという真実を突きつける。
「嘘だ!!」
寝室でベッドの上に放り出された携帯端末が小さく震える。
ディスプレイに表示されたのは「メッセージを送信を送信することができませんでした」というエラーメッセージ。
大量に届いたメッセージの時間に気が付く事が出来たら、この状況を紐解くヒントはに気付けたのかも知れないが、そんなことは誰も教えてくれない。
折角病気が治ったというのに、目覚めた先に有るのは絶望。
未来はどうやら、明るいものでは無さそうだ……。
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