第70話 娯楽

 自分は、人から見たら退屈な方の人間に見えるらしい。

 自分自身はそんなことは無いと思っていたのだが、考えてみれば確かに、生真面目な性格をしているのだろう。

 昔から趣味は読書、特技は勉強。長所は粘り強さで、適当に手を抜くと言うことが分からない。自分では面白いと思って話す話題は、聞く相手によっては興味を失う様で、欠伸をされたり離脱されたりも非常に多い。だからこそ、余計に口下手になり人付き合いは苦手に。『つまらない』というのが私に貼られたレッテルである事は薄々気が付いてはいた。

 とは言え、全く友人が居ないというわけでは無く、気心知れた仲間と呼べる人間は数人居る。ただ、それは実に地味な付き合いで、目立たず日陰の存在ばかり。

 それでも、それが不満だと感じた事は無い。少しだけ賑やかな場所に憧れることはあるが、それは縁の無いものだと諦めて居たのだから、何も問題は無かった。

「今月はさぁ……」

 相変わらず教室の隅で、いつものメンバーで集まり楽しむ話題。

「これ、俺もチェックしてたんだよ!」

 机の上に並べられているのは今月発売の新刊で、どれもこれも活字がメインの書籍ばかりだ。

「こっちはもう読んだのか?」

「いいや。これからだ」

「それならこっちは?」

「ああ、それはもう読み終わった後だから貸してあげるよ」

 こうやって読み物のシェアが出来ると見聞は広がる。全てのジャンルを網羅出来るほど金も所有スペースも無いのは残念だが、自分以外の人間が見つけてくる新たな出会いは素直に有り難いと感じるし、それで開ける新しい扉は単純に面白くて仕方が無い。

 シェアした本をそれぞれが手に取り入る読書タイム。黙々と本を読む様は端から見れば異様な光景に映るかも知れないが、自分たちにとってはこれが普通で当たり前のことだった。

 幸いにも、読書会をするようになって本を読むスピードは格段に上がっている。休憩時間は限られたものしか無いが、ここに居るメンバーにとってはそれは何の問題も無い。ペラペラと紙が捲られていく音が響くと、十数分後には深く吐き出される溜息。

「ああ。面白かった」

 パタン。小さな音を立てて閉じられた本は、役目を終え机の上へ。次の本へと手を伸ばしたところで鳴ったのは、授業の開始を告げるチャイムの音だった。

「残念。続きは次の休憩時間だな」

 集まりは一端解散へ。早く本を読みたい気持ちを抑えつつ、学業のノルマを達成していく。これが毎日のルーチンである。


 これで良い。

 少なくとも、自分はそう思っていた。


 本があればある程度の娯楽は事足りる。

 だから、それ以上を渇望することは無いと、高を括っていたのかもしれない。


 その日は珍しく、一番の読書好きであるメンバーが学校を休んだ。

 元々少ない集まりの小さなグループだったため、一人欠けてしまっただけで随分と寂しいと感じてしまう。クラスのあちらこちらから上がる明るい笑い声とは裏腹に、本の置かれた机を囲んでいるメンバーの表情は暗い。

「…………ダメだね」

 いつもなら面白いと感じる新刊の内容は、今日に限って全く頭に入ってこない。いつも彼が座っている空っぽの椅子を眺めながら、それぞれが吐くのは溜息だ。

「明日、学校くるかな?」

 彼の事を心配そうにそういうのは、彼から本を貸して貰ったばかりの友人。

「風邪だったら、多分直ぐ良くなるんじゃない?」

 根拠の無い話だったが、そう願わずには居られないと。気休めにしかならないそんな言葉を呟き、集中出来ない読書は中断。その日はそのまま解散して終わった。

 翌日になっても、読書好きの彼は学校に出てくることは無かった。

 更に翌日。そして翌日。全く姿を現さない友人に、段々不安が積もる。

「……お見舞い、行った方がいいのかな?」

 誰からともなくそう呟いた提案に、それぞれが頷きこの後の予定が決まる。帰る間際に職員室へと寄り、彼の家に見舞いに行く旨を担任に伝えると、渡して欲しいと数種類のプリントを託された。

 いつもとは異なる帰路。教室内ではあれほど仲良くしているメンバーなのに、こうやって同じ目的地に向かって一緒に歩くことをしないせいか、どこかむず痒く感じてしまう。前を歩いているのは見舞いに行く彼と一番仲の良いメンバー。

「ねえ。何か、買っていった方がいいのかなぁ?」

 途中、見つけたコンビニを指さしそんな提案が出る。手ぶらで行くのも何だしということで、互いに金を出し合ってスポーツドリンクとスナック菓子、のど飴を購入。それを土産に歩いたことの無い道を歩く。

 意外にも、外に出るとメンバーはそれなりに口を開くようだ。本を読んでいるときは互いに無言の時間が多いため、こう言うのは新鮮で少しだけ嬉しい。今まで知ることの出来なかった相手の一面が分かると、距離が縮まった気がして楽しくなる。

 そうこうしているうちに目的地は直ぐ目の前。閉ざされた門の前でインターフォンを鳴らすと、玄関の方から施錠を解除する小さな音が聞こえてきた。

「…………入れ……って、事かな?」

 玄関の鍵が開いたことは分かるのだが、家人が一向に出てこないのでどうしたら良いのか分からない。暫く待ってみても一切のリアクションがないため仕方なく門を開け敷地内へと足を踏み入れる。

「お邪魔します」

 玄関の扉に手を掛けノブを回すと、それは素直に開いた。

「…………あの……」

 薄暗い廊下。まだ日は昇っているのだから電気が付いていないのは分かるが、日当たりが悪いのだろうか。陰湿な空気が建物の中に充満している。

「居る?」

 建物の中に入ると、奥の部屋から微かな音が漏れていることに気が付く。もう一度だけ「お邪魔します」と断って靴を脱ぐと、その音を目指して移動開始。音の発生源は直ぐに突き止めることが出来た。

「ねぇ、大丈夫なのかよ?」

 木製のドアを開けると、彼の姿は直ぐに見つけることが出来た。

「あ。いらっしゃい」

 意外にも元気そうな彼は、こちらをちらりと見た後、直ぐに視線を移してしまう。

「元気そうじゃん。風邪、大丈夫?」

 買ってきたコンビニの商品と託されたプリントを渡しながらそう聞けば、彼はへらりと笑いながら「大丈夫」とだけ返した。

「何やってんの?」

「ゲーム」

 こちらを一切見る事無く、パソコンの画面に釘付けの彼の背後から、ディスプレイに映し出された映像を覗き込む。

「なにこれ」

「最近配信した無料ゲーらしいよ」

「ふぅん」

 あんなに読書が好きだった彼が、ゲームに熱中するなんて意外だと。自分を含めメンバー全員がそう思ったに違い無い。

「どんなゲーム?」

 話題を繋げようと気を遣ったのだろうか。誰かがそんなことを彼に尋ねる。

「有名なホラー小説があるじゃん? それを元にしたホラーゲームらしいよ」

 彼はモニタから目を話すことなくそう答えただけで、相変わらずゲームの世界に熱中したままだ。

「それ、面白いの?」

 また、誰かがそう彼に尋ねる。

「面白い」

 彼はそれだけ答えて手元を動かしている。

「少し、見てても良い?」

 誰かがそう彼に問いかければ、「いいよ」とだけ彼は答えて次のステージへと進んだ。


 気が付けば、何時間このゲームをやっているのだろう。

 辺りはすっかり暗くなってしまったというのに、まだ彼の家に居る。

 意識はずっとゲームの中。何が面白いのか分からないのに、続きが気になって目が話せない。

「ねぇ。このゲーム」

 メンバーの一人が沈黙を破るように口を開く。

「とても面白いね」

 その言葉に彼は満足げに口角を吊り上げて見せた。

「そう。とても、面白いんだ」


 相変わらずゲームの音は続いている。

 これは、明日は読書なんてしてる場合じゃないかもしれない。


「とても、ね」


 その言葉に、その場に居たメンバー全員が、ゆっくりと頷いてみせたのだった。

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