第63話 早起き

 珍しく、目覚ましの音より早く目が覚めた。

 ふっ、と意識が覚醒し、ぼんやりと薄暗い天井を眺めている自分がそこにいる。

 今が何時なのか分からず暫く考えて、スマートフォンを探すために動かす手。指先に当たる堅い感触。それを掴み持ち上げると、感覚が覚えて居る重みが確かにある。指を這わせて電源ボタンを押しディスプレイを点灯させたところで、思わず小さな悲鳴を上げた。

「……っっ……まぶしっ……」

 暗さに慣らされた所に突然の強烈な光は、視覚を強く刺激する。反射的に瞑った瞼の裏で、ぼんやりと広がっていく薄暗い赤。それは、眼球とモニターライトの間を遮る皮膚の壁が見せるもので、意識して見る事は少ない。

 その明るさに目が慣れてしまえば、少しずつ瞼を開いてのスマートフォンの画面を見る事が出来る。

「……まだ……こんな……じかん……」

 ディスプレイに表示されているデジタルの数字は、想定していたものよりも大分早い時刻を指し示していた。

「……寝る」

 早起きはなんとやらとことわざにあるが、こんなにも早すぎる起床は望んで居ない。あと数時間は惰眠を貪れる。そんな時間なのだ。二度寝しない理由を見つける方が難しいだろう。

 無理矢理出した欠伸で溢れる涙を指で拭うと、スマートフォンを脇に放り頭から布団を被る。まだ肌寒さが残る分、程よく暖まったそれがとても世心地が良かった。


「…………」

 あれからどれくらい時間が経ったのだろうか。

「……眠れない」

 変な時間に目が覚めてしまったせいで、眠ることが出来ない。

 寝ようと思えば思う程、目が冴えて眠気が逃げてしまう。

 こんなにも布団は暖かいというのに、折角早起きをしたのだから、活動しろと言われているような気がして憂鬱になってきた。

「……はぁ」

 こんなにも贅沢に出来る時間がたくさん残っているのに、何だって思い通りに行かずにだらだらとしなければならないのだろう。

「仕方無い」

 怠さを訴える身体を起こすと、ベッドから降り電気を付ける。一瞬にして明るくなる部屋の照度は最大級。先程よりも強く感じる眩しさを遮るため、無意識に手で顔を庇い暫し固まる。

「…………」

 光りに慣れてきたところで改めて時刻を確認すると、先程確認したときから三十分と少し過ぎただけ。朝まではまだ大分ありそうだ。

「……さて、どうしようかなぁ」

 こんな時間だ。当然世の中はまだ眠りのそこに沈んでいる状態。夜中に活動している人間も居るだろうが、相手の都合がどうかなんて、この時点では把握出来ない。

 取りあえず、出すものは出しておくかと向かう先はトイレ。意識すると急に尿意を覚えてしまうから、人間の身体とは実に奇妙なものである。

「…………?」

 部屋からでて廊下を進み目的地へと向かって歩く。小さな個室に入り用を足した後、洗面台で手を洗っているときに感じた妙な違和感。

「何だ?」

 目の前には一枚の鏡。その中にいるのは、寝癖を付けただらしない自分自身である。

「…………わからん」

 半分頭が寝ている状態で冷静に物事を判断することは難しいようで、何となく変だと言う事は分かるのだが、その正体を解明しようという気持ちが全く起こらない。流れっぱなしの水を手で受け止め軽く顔を洗ってから、蛇口を捻って水道をとめ、ふわふわに渇いたタオルで顔を拭く。水の冷たさで頭が少しだけスッキリしたせいで、余計に眠気はどこかへ消え去ってしまったから皮肉なものだ。

「……さて。どうしようかなぁ」

 キッチンへ向かいながら、朝までの時間をどう使おうかと言う事を考える。テレビを見ようと思っても、深夜枠なんて怪しい通販番組か放送終了のあの気持ち悪い画面以外でてこないし、読書をする気にもなれない。

「……やりかけのゲームでもするか」

 正直、この時間からゲームをするのは嫌だとは思ったが、それ以外時間を上手く潰せる手段が思い付かなかったため仕方が無いと割り切ることにした。

 自室に戻りPCの電源を入れ、ゲーミングチェアに座って暫し待つ。OSが立ち上がるアニメーションをぼんやりと見ながら、ふと窓の外へと視線を動かした時だった。

「…………?」

 確かに。寝る前にカーテンは閉まっていたはずだった。

「……なん……で?」

 しかし、今はそのカーテンが綺麗に開かれた状態になっている。

 辛うじて、窓は閉まり鍵は掛かっていたが、これでは外から丸見え。非常に気持ちが悪い。

「何なんだよ……これ……」

 椅子から立ち上がりカーテンを閉めようと窓に近づく。このカーテンをこのまま閉めて良いのか少し迷いはしたが、開きっぱなしの状態で何かが見える方が怖い。そう思いカーテンに手を掛け閉めようと腕を動かした時だった。

「……ひぃっ!!」

 そこに居たものと、目が合ってしまったのだ。


 それは、こちらを見て歪な笑いを浮かべている。

 全身が真っ白なのに、大きく開けた口の中だけが真っ赤で。

 不揃いの歯の隙間から覗くだらしない舌が、だらりと垂れ下がり涎を滴らせる。

 ゆっくりと弧を描く大きな目。

 こんなにも不快でおぞましいものを、見たことがない。


「うわぁぁあっっっっ!!」

 次の瞬間、反射的に腕を動かしカーテンを閉める。厚手の生地をガッツリと握り込み、早鐘のように打つ心音を落ち着かせようと繰り返す深呼吸。

 あれは何だ?

 あれは、何で此処に居る?

 繰り返す自問自答に答えてくれる回答者なんて存在していない。何故なら今はまだ遅い時間。世の中は静かな眠りに就き目覚めの時を待っている状態。


 ああ。こうなるんだったら、早起きなんて、するんじゃなかった。


 未だ来ない朝が待ち遠しい。

 あと何時間、この恐怖と戦えば、暖かい朝日を拝めるのだろう。

 今はただ、その時が来る事を待ち続けるしかなかった。

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