第34話 ナイフ
ナイフを常に持って居るということは誰にも言った事がない。
サイズはとても小さな物で、ペンケースの中に隠しているけど、それを持って居る事を知られないようにずっと黙っている。
そのナイフを持つようになったのは、ちょっとした好奇心だ。
アニメで見たキャラクターが、格好良くナイフを捌く姿に強い憧れを持ったのが最初だったような気がする。
本当は、もっと大きなナイフが欲しかったんだが、流石にそれを手に入れるのは難しかったし、何よりそれを常に持って歩くのは都合が悪かった。
だから、貯めた小遣いを使って、通信販売でかったこの小さなナイフが精一杯。
それでも、自分にとってはこの小さなナイフが大切なものには違いなかった。
そのナイフは、残念ながら今まで一度も使用されたことはない。完全に愛蔵品。今後も使用する予定は無い。
一応は、使ってみたい気持ちが無い訳じゃない。でも、そのナイフをどう使えば良いのか、未だに使い道を見つけられずにいる。
ナイフの使用方法なんて限られているのだから、そんなに難しく考える必要は無いと分かって居るはずなのに、何を切って、何を削れば良いのかがまだ定められていないのだ。
もしかしたら、未だ新品の輝きを放つこのナイフが、刃こぼれを起こすのが嫌だと感じているのだろうか。
それとも、何かを切る事によって、穢れてしまうような気がしているのが気持ち悪いと思ってしまうのだろうか。
使ってみたい欲と、新品のままであってほしい我が儘。その二つが常にせめぎ合っているから非常に面倒臭い。
それでも、結局は勇気や意気地というものがないため、このナイフはずっとペンケースの中に入れたまま。誰にも気付かれないように常に気をつけていた。
物は使うために作られたんだ。
その言葉を聞いたのはいつだったっけ?
多分、この言葉は僕に対して言った言葉じゃない。僕自身、その会話に参加していた訳じゃないから、多分、誰かの言葉を拾っただけなんだろう。
使うために作られたと言われた時、「ああ、そうだよな」と、妙に納得したのを覚えて居る。
確かに、ペンケースの中のものたちは、何らかの形でちゃんと僕に道具として使用されているのに、このナイフだけがいつまでも出番を失い隅っこに追いやられたまま。
その内存在すら忘れてしまうのかも知れないと考えると、何だか無性に悲しくなってしまった。
それでもまだ、僕自身、このナイフをどう扱って良いのか答えを出せずにいる。
カッターナイフだったら気軽に使えるのに、特別なナイフだと思うとなかなか使う勇気が持てない。
もしかしたら、いつの間にかこのナイフに恋をしてしまったのかもしれない。
あまりにも大切すぎて、始めて使う場面や物をじっくりと決めて上げたい。そんな想いが溢れてしまう。
使ってあげたらもっともっと好きになる。
もっともっと使ってあげたくなる。
何となく、そんな気がして堪らない。
だからこそ、始めて切るものは特別なものであって欲しかった。
だけど……。
このナイフを使う日は突然訪れたんだ。
それは僕自身全く予想もしなかったタイミング。
まさか、こんな事に使うなんて、本当に運が悪いとしか言い様がない。
小さな小さなナイフでは、傷を付けられる範囲なんて限られている。
刺したところで大した深さもないのだろう。
それでも、確実な場所に力を込めて腕を払えば、思った以上に鋭利な金属は、簡単にそれを切り裂いてしまった。
僕の手は今、真っ赤に染まっている。
目の前には、だらしなく床に倒れる一つの人形。
小刻みに痙攣を繰り返しながら、泡を吹いて口をぱくつかせて。
何かを伝えたいことだけは分かるのに、もう、それが言葉を紡ぐ事は無い事を、僕は知っている。
仕方無いんだ。だって。これは正当防衛だから。
先に手を挙げたのは人形。僕は、自分の身を守るために、闘っただけのこと。
それなのに……なんだろう。
今、とても虚しさを感じてしまっている。
とても、強く、そして暗く。
汚れたしまった一本のナイフ。
とても大切で大事なものだったのに、真っ赤に染まったら何だか無性に汚く感じてしまうんだ。
それでも……確かに別のものも感じている。
そう。
このナイフを引いたときに、手に伝わる確かな感触。
ああ……そう……
それはとても、心地良いと感じてしまう甘美なものだった。
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