第30話 グール対三人の戦士

 アルムとエルフューレは衝撃音が聞こえた方向を向いた。


「――ハーストさん!!」


 エルフューレが叫んだ。視線の先には後ろ足で立ったグール、それに体ごと飛ばされたハーストの姿があった。赤い血が宙を舞い、地面に倒れたハーストのシャツは左胸あたりからみるみると赤く染まりだしていた。グールの右手の鉤爪かぎつめが赤く染まっている様子から彼の傷口が相当深いことが分かる。

 二人はハーストの元へと駆け寄ろうとしたが、アルムはすぐに立ち止まった。エルフューレは状況が分からずもそれに習った。

 アルムは球体部分が八センチと小さめのウォーターボールを一三センチほどの大きさにし、視線を左手の建物に移した。老朽した青い屋根の建物の三階あたりを凝視する彼女、エルフューレも一緒になってそこを見たが何かがあるようにはとても見えない。


「……ハーストを見てあげて」


 アルムは視線を崩さずに耳打ちするように言った。彼は黙って頷き、ハーストの元へと駆けて行った。

 アルムはまだ見ぬ、建物に隠れた相手にプレッシャーを感じた。汗で水着のような素材のダークブルーの服が気持ち悪く肌に吸い付いた。彼女は胸元に空気を入れるようにして吸い付いた服の位置を直し、お尻に具合悪くくい込むのを直した。額からは一筋の汗が流れでて首元まで達した。

 今までに感じたことがない、まるで自分が瓦礫の中に閉じ込められたような、そんな息苦しさを感じるほどのプレッシャー。彼女はこのプレッシャーを与える存在が魔物でないことはすでに感づいていた。


「――もっと知能がある生き物、間違いなく人ね。おそらくわたしが予見してたとおり、ウォーターボールの探知から逃がれようと建物に隠れたんだ。わたしのウォーターボールを見て探知されると見抜いた……いや、そうとは限らないか。何かしら仕掛けがあると思っただけかもしれない。どちらにしてもとっさの判断力に優れてる相手、かなりの手練れのようね……」


 アルムは呟いた。それから、その相手がこの場に留まる理由も考えた。


「姿を見られるのがまずい、もしそうならば隠れる前に逃げるという選択肢もあったはず。相手はそれを敢えてしなかった……ってことは、やはり魔物が凶暴化してることに関わりがある。そう思うのが自然ね。

 魔物を強制的に凶暴化させる魔法、あるいは操る魔法を使ったか? ……もしそうだとしたら、どっちも現代では禁術とされてる魔法、禁術魔法は魔力を相当に食う。交戦することになったとしても、今の私の魔力でもなんとかなりそうね」


 アルムはいつ何時交戦になってもいいように、息を整えて心の準備をした。ウォーターボールは今はまだ一つに止めておく。本格的に臨戦態勢になるまでは魔力を温存しとかねばならない、彼女はそう判断した。


 ***


 エルフューレは膝をついているハーストに声をかけた。


「――大丈夫ですか?」


「くっ……大丈夫だ、問題ない! それよりもアルムさんのそばにいなくて大丈夫なのか?」


「大丈夫です。モーテルは殲滅せんめつしました。それよりも傷が……」


 ハーストは余裕の表情を見せようと笑顔を見せているが、苦痛から出る表情と相まって不気味な笑顔になっていた。しゃがんで気に掛けてくるエルフューレの肩に手をやり、彼は起き上がった。


「大丈夫だ……大した傷じゃない。だから、そんな顔をするな」


「いや、でも……ハーストさん、その傷じゃ……」


「……ふぅ、いいか? これは俺らの仕事だ。三人できっちりとやる。だから、お前は黙って見てろ!」


「……は、はい」


 エルフューレは不思議とハーストの気迫に押されたような、そんな感覚を持った。あとひと押しで尻もちを付いてしまいそうな、それほどの気迫だ。

 ハーストは剣の持ち手の具合を確認するように何度か握り直してから、グールへと視線を向けた。グールは二本脚で立ち、エルンストとノズル二人を相手にしていた。エルンストは槍で牽制けんせいし、ノズルは攻めあぐねていた。ハーストは自分を鼓舞するように雄叫びをあげ、再度グールの元へと向かって行った。


 グールはハーストのあまりにも大きな雄叫びに気を取られ、注意をそっちに向けてしまう。その隙を逃さなかったのはエルンストだ。銅が空いてしまったグールの心臓目掛けて槍を突く。穂先が胸に刺さり、力の限りそのまま押し込む――


「――なに!?」


 槍が刺さらない。グールは魔力で体を硬化していたようだ。異様に硬い皮膚に刃先が一センチ刺さった程度だ。

 だが、それだけでは終わらない。続いてノズルの一閃だ。グールの左腕を切断しようと刃を振り下ろす――が、やはり硬い。腕を切断する気で振り下ろした剣は、グールの左腕の皮膚から三センチの所で留まる。グールの太い腕だ。それくらいじゃまだ致命傷を与えたとはとても言えない。


 グールは雄叫びと共に怒り狂い、ヨダレを撒き散らしながらも左右に振り子のように腕を振う。ハーストはグールの鉤爪の恐ろしさが身にしみている、なかなか一歩前へと踏み込めない。上手く距離を空けていたエルンストとノズルだったが、グールが何度も腕を振るううちに劣勢になる。グールの左の鉤爪がノズルの頬をかすめ、ハーストの血で染まっている右の鉤爪でエルンストの槍を叩き割る。

 ノズルはグールの左腕に刺さったままの剣から手を放してしまい、そのままの勢いで尻もちを付く。エルンストは穂先を叩き割られてしまった槍の柄の部分だけで、一生懸命前に突き出して距離を取ろうと試みる。だけど、彼は今にも腰を抜かしそうで上手く体が動かない。このままでは距離を詰められてグールの牙が届いてしまう。そんな中――


「――うぉぉおおお~~」


 距離を詰められないでいたハースト、怖さを振り払うかのようにもう一度雄叫びを上げ、攻めに転じる。エルンストとノズルに気を取られている今が好機、そう思った彼は大きく剣を振りかぶり体全身を使って下ろす。

 グールは対抗するべく右手の鉤爪でハーストの頭を狙う――が、ここは彼の剣速が上回る! 地面につき刺さるほどの体重を乗せた剣がグールの右腕を見事に切断し、胸の薄皮一枚を切る。


 ダメージを負ったグールは怒り狂ったように牙を見せつけ雄叫びを上げる――ビリビリと三人は空気が振動しているのを感じ、恐怖で後退しそうになる。

 そんな中、プレッシャーに負けじと尻もちを突いていたノズルが、体ごとグールの脚にアタックする。びくともしないグール、それでも構わない! ノズルは筋肉質なグールの脚に一生懸命に捕まる。少しでも動きを鈍くするためにだ。

 エルンストは穂先が折れてただの棒と成り下がってしまった槍を、一生懸命に何度も何度も突く。一度距離をとったハーストは血を流しながらも次の好機を逃さぬようにとグールを睨みつける。

 エルンストの執拗な突きを嫌がったグールは、歯茎を剥き出しにしながら咆哮ほうこうし、左手の鉤爪を見せつけるようにぶん回す。グールのヨダレがそこら中に飛び散り、脚にしがみついているノズルの頭にもかかる。


 「――今だ、ハースト!」


 エルンストが叫ぶ。グールは残り一本しかない手で、元槍だったエルンストの棒をつかんでしまい、首も胴もがら空き状態になる。ハーストが長身と腕の長さを活かして、グールの間合いの先から喉元に向けて真っ直ぐに剣を突く。一文字に水平に倒した剣はグールの喉元にあっさりと刺さる。

 あまりにも喉元に綺麗に入った剣先は反対側まで貫き、脚を掴んでいるノズルの頭の上に赤い血が降り掛かる。無我夢中に脚を掴んでいたノズルは顔を上げ、顎がひん曲がったグールの顔と剣先を見て勝利を確信する。


 ――二本脚で立っていたグールが、ドスン!と音を立てながら大きな衝撃音とともに倒れた。


 それを眺めた三人は腕を上げて声高々に勝利の雄叫びを上げた。腰を抜かしそうなエルンストは気張って無理やり立っていたせいか、程無くして尻もちをついた。ノズルは両手を地面につけて座り、過度な緊張と嬉しさのあまりからか大笑いした。

 血を流しているハーストは誇らしげに立って笑顔を見せた。そこにエルフューレが喜びを表現しながら駆け寄った。三人の戦士はお互いを満面の笑みで称え合った。


 ――アルムはというと、四人の歓声が聞こえる中、微動だにしなかった。ただ目の前の建物の三階あたりを凝視し続けるだけだ。

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