第12話 不潔で強欲で妙に馴れ馴れしい男2

「――ビールを!」


「はいよ。うちはウルケルだけどいいかい?」


 店主は答えた。


「ビールならなんでもいい」


 その男はアルムの隣の隣に座った。そして背に背負しょっていた重そうな丸い四五センチほどの金属製の盾と、緑色の革製の小さめのリュックを床に置いた。外は暑くもないのに額には今にも沸騰しそうなほど汗をかいていた。


「はいよ」


 ピルスナーウルケルが目の前に置かれた。それを美味そうにグビグビと飲む。


「美味い!」とその男は言った。


 同感! ここのビールはやけに美味い、とアルムは心の中で思った。そして彼女は二杯目を頼んだ。その男も二口であっという間に飲み干すと、二杯目を頼んだ。


 男は胸元まで髭を生やし、くせっ毛の髪は肩まで伸ばしていた。くすんだ黄色いシャツの上に革張りした金属の肩なしのアーマーを着て、赤い腰布に黒いズボンを履き、足元は革製のブーツを履いていた。身長はアルムと同じ程度(実際はアルムより低い)、その種族を見たことがないアルムでも分かるぐらい、ドワーフらしいドワーフの男だった。

 アルムから見た第一印象は「不潔」だった。汗がにじみ出ているし、なにやら酸っぱい匂いもする。それに黄色いシャツも元から黄色だとは思えず、黄ばんだシャツに見える。袖をまくった腕にも泥みたいなのがべっとりと付いていた。


 不潔だがその男が一流の戦士だということは感覚的に彼女は分かった。三流と一流の見分け方は簡単だ。酒場に来てもあるラインでは気を許さない。一流は必ず荷物は置いても武器は置かない。

 それにカウンター席を好む。どの酒場の店主もだいたいが情報持ちだからだ。そして近くの席の警戒は怠らない。見て無いようで見ている。それを自然にするのが一流だ。

 その男はポーチがたくさんついたベルトの右側に大斧をぶら下げているし、左側にいるアルムを目の端で常に見ていた。うかつに彼女が近づくようなら大斧がうなるだろう……。


 まぁ不潔なおっさんには何が何でも近づかないけどね、と彼女は思った。


 男は三杯目のピルスナーウルケルを頼んだ。そして思い出したかのように料理を三品頼む。そのうちの一つはアルムの皿をみて「これと同じのを!」と言った。

 料理が来た瞬間に男は美味そうに頬張ほおば った。まるで砂漠の大地に数カ月ぶりに雨が降って、植物たちがおおいに喜んでいるかのようなそんな勢いだった。


「おかわりは?」と店主はアルムに聞いてきた。


「デュワーズをストレートで……」


 ウィスキーを頼んだ。


「エルフか、珍しいな。どこから来たんだい?」


 注文と重なるようにドワーフの男は言った。


「はるか彼方かなたから……」


 そっけなくアルムは返した。そっけなさが伝わったようだ。話は続かなかった。見たところ年は私より上だろう。まあ四〇〇歳くらいかなと彼女はその男を見て思った。ドワーフ族とエルフ族の寿命はたいして変わらないと聞いたことがある。

 店主が来てデュワーズのストレートを彼女の前にそっと置かれた。それを味わうようにして、口に含む。軽やかな香りが口いっぱいに広がり、琥珀色の液体が喉を通る。


「美味い!」


 自分の声が漏れていたことに彼女は全く気づいていない。

 ドワーフの男はおもむろにベルトに付いたポーチから宝石を取り出して乱雑にカウンターテーブルに置いた。赤や黄色や緑と透明感が優れている宝石を一つ一つ手にとって、穴が空いてしまうのではないかと思うほど左目で凝視した。何やら難しそうな顔をしている。


 アルムはその光景を見て「強欲な」と思った。不潔で強欲なその男を生理的に嫌っているが、なぜだか気になってしょうがなかった。不潔で強欲なその男は一通り宝石を見終わると大波が砂浜をさらうかのようにベルトのポーチに戻した。


「あんた、これまた珍しいのつけてるな」


 おもむろにその男は聞いてきた。


「何が?」


 アルムは男を見ずに答えた。できることなら何も話さないでウィスキーの味に浸りたい気持ちだった。


「右手に付けてるブレスレットだよ。俺の目が確かなら、その宝石はパープルヘイトだ! S級の珍しさだ。それも一粒一粒が大きい……」


 少年のようにかがやかしい目をしながらその男は言った。身を乗り出して見たいが、その気持ちを抑えているようだ。アルムはバアヤにもらったブレスレットが何で出来ているか知らなかった。なにやら貴重で強欲なドワーフが食いつくほどの上物らしい。


「――腕をぶった切って盗む気?」


 嫌味を含めて彼女は答えた。


「ガハハハハハッ! そんなに非情に見えるかい? ほしいとかではない、売るのが難しい宝石だからな。なんていったって憎悪ぞうおを生む宝石と言われているほどだ。今じゃあ、誰も欲しがりはしないさ」


「ふ~ん……」


 アルムは興味なさそうに言った。憎悪を生む宝石とか、パープルなんやらとかどうでもいい。バアヤがくれた物ということに意味があるし、それ以外は何の意味も持たない。そもそも一から作るバアヤはどんな宝石で、どんな効果があるかなど、十分承知の上で作る。意味があってバアヤは渡したと思うし、今は意味を知る必要はない。


「なんで憎悪を生む宝石って言われてるか知ってるか?」


 そう言いながらその男は腰を上げ、彼女の隣の席に移った。


「――近い!」


 アルムは端的に強い口調で言った。


「パープルヘイトはどこで採掘されたか誰も知らないんだ」


 ドワーフの男はお構いなしに話を進めた。彼女はツーんとした顔で、正面の棚にあるウィスキーの銘柄のシールに目を向けた。焦点を合わせずにぼんやりとそれを見つめた。


「ある時ある日、その宝石は突然市場に顔を表した。暗がりだと真っ黒に見えるその宝石は、光を浴びると透き通った奇麗な紫色になる。噂だと、ある条件のもとでは不思議なことに黄色く輝くこともあるらしい……」


 その男は子供に童話でも聞かせるかのように勝手に話し始めた。


「その輝きに魅了された人々は、こぞってパープルヘイトを手に入れようと争いを始めた。ある時はお金で、ある時は盗みを働き、そしてある時は殺して強奪してまでも! しまいには、宝石一つで戦争を起こす者もいたほどだ……宝石一つで何万もの被害があったらしいぜ」


 その男は信じられないと言った感じで首を振った。アルムは相変わらず、ぼんやりとウィスキーラベルを見つめているだけだ。


「不思議なのがな、宝石や金属など採掘が縄張りのドワーフ族でさえ、どこでパープルヘイトが採掘され、加工されたのか誰も何も分からねぇんだ。ドワーフ族は強いネットワークを持ってる。宝石の情報を逃すはずはない」


 彼女は目線だけちらっとその男に送った。その男は不気味な笑顔をしていた。


「その謎の宝石はしだいに不気味がられる。なぜか所有者はみんな不幸な死に方をするんだ。もう三〇〇年も前の話だ、俺は単なる噂でしかないと思ってる。その宝石は各国でさまざまな呼び名があったが、後に争いを起こす宝石、憎悪を生む宝石と言われ『パープルヘイト』と名付けられた。今じゃあ、その血生臭い宝石は誰も欲しがらねぇぜ」


「ふ~ん……」


 アルムは興味なさそうに言った。実際その噂がどこまで正しいのか調べようがないし、この男の宝石を見る目が確かなのかも分からない。そんなことに彼女はいちいち惑わされるはずがなかった。


「ガッハハハハッ、座ってるね〜。ドシッと何者にもどんな噂にも屈しない。気に入った! 一杯奢るぞ」


「――構わないでもらえる! 馴れ馴れしい!」


 アルムは珍しく人に強く言った。


「まあまあ、そう言うな。旅人はこの村じゃお前さんとおれしかいねぇ。仲良くしようじゃないか」


「…………」


 彼女は特に答えない。これ以上、話しかけてきたらウォーターボールでもお見舞いしようじゃないか。


「なあ一つ聞いてもいいか?――おっと! その前にそういや挨拶がまだだったな。おれはゼニス。お前さんは?」


 話しかけたな! 彼女はその瞬間――グラスを持った右手の影に隠れて、左手から直径五センチほどの小さな水球を、詠唱もなく瞬速で『ウォーターボール』を放った。水の玉がゼニスの顔面めがけて飛ぶ。目に追えないようなとんでもない速さだ。


 パシャン――まさか!?


 『ウォーターボール』は空振った……水球は酒場の入口のドアの上部にあたった。スピードは早くとも威力は最小にしたから、音とともに濡れただけだった。初老の店主はそのスピード感についていけてない。何が起きたのかさっぱりだ。

 ゼニスはアルムをにらみながら、そらした上半身を戻した。よく見ると左手にはナイフを持っていた。『ウォーターボール』をかわしつつ、ベルトの後ろに装備したナイフを抜いたのだ。


 彼女は理解が追いついてない。酒場で酔っ払いが絡んだ時にいつもするように、ウォーターボールを発した。今まで一度もかわされたことはないし、あたった本人も気づかないほどに早いはずだ。


 ――それをかわす!? わたしの最速を。


 彼女は驚いた顔を見せないように細心の注意を払った。そして、仕方なく名乗ることにした。

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