第14話 古の魔法


「足元に気をつけてください」


 ジリアンは薄暗い階段を降りていた。王宮の北の外れにある塔の地下だ。この階段を下りた先には、国家反逆罪などの重罪で禁固刑を受けている罪人の牢がある。


「お嬢様」

「なあに、ノア」

「本当に会われるのですか?」

「ええ」

「しかし……」

「大丈夫よ」


 ノアが何を心配しているのか、ジリアンには分かっている。


「あなたが一緒だもの。こわくなんかないわ」


 半分は強がりだった。


(本当は、ちょっとだけこわい)


 それでも、ジリアンは会わなければならない。


「こちらが、モーガン・オニールの牢です」


 牢番が扉を開けた。部屋の真ん中に鉄格子がはめられていて、手前には見張りの牢番が、鉄格子の向こうには薄汚れた男が座っていた。


「面会だ」


 言われて、薄汚れた男が顔を上げた。


「ジリアン!」


 ジリアンの実の父親であるオニール男爵だ。すっかりせこけてしまっているが、ジリアンをにらみつける表情は相変わらずだ。


「お久しぶりです」

「何の用だ!」


 語気ごきを荒げた男爵に、ジリアンの肩がわずかに震えた。ノアの気配が、一気に剣呑けんのんさを増す。


「ひっ!」


 それに気圧けおされた男爵が、喉を引きつらせてから薄暗い牢の奥へ消えてしまった。


「ノア」

「申し訳ありません。しかし!」

「大丈夫だから」


 ジリアンは自分に言い聞かせるように言ってから、鉄格子の方へ一歩踏み出した。


「今日はお伝えすべきことが一つと、お尋ねしたいことが一つあって伺いました」


 男爵は応えなかったが、ジリアンは話を続けた。誰かが彼に伝えなければならないことだ。それは、唯一残った身内であるジリアンの役目でもある。


「夫人が亡くなりました」


 牢の奥で、息を呑む気配が伝わってきた。


「療養中の病院で。肺炎だったそうです」


 オニール男爵の妻でありモニカ嬢の母である夫人は、1年前の事件の直後に心を病んだ。そして入院先の病院で息を引き取ったのが、数日前のことだ。


「遺髪と遺品です」


 ジリアンは小さな包を鉄格子の向こうに差し入れた。包の中には夫人の遺髪と、最後まで彼女が身に付けていた指輪が入っている。


「ご遺体は、首都ハンプソムの共同墓地に埋葬しました」


 男爵の領地は国に没取され、既に新たな領主が治めている。モニカ嬢も夫人も、本来であれば領地にあるオニール家代々の墓地に埋葬すべきだったが、新たな領主に拒否されてしまった。領民たちの感情を思えば当然のことだ。

 二人共、遺体は首都ハンプソムの共同墓地にひっそりと埋葬するしかなかった。


「貴様が?」

「はい。……身内と呼べるのは、私だけですから」


 葬儀も埋葬も、全てジリアンが手配した。マクリーン侯爵は良い顔をしなかったが、彼女以外に身内がいないのは事実だ。情というものが全く無いわけでもない。

 しばらく重たい沈黙が続いたが、牢番の咳払いにジリアンはハッとして顔を上げた。あまりゆっくりはできないのだ。


「お尋ねしたいことは、私の出自についてです」


 やはり返事はなかったが、かまわずジリアンは続けた。


「私はいったい、何者なのですか?」



 * * *



「私の出自、ですか?」


 ソフィーとテオバルトは先日の夜会以降、何度か逢瀬おうせを重ねていた。3度目に会った時にテオバルトが切り出したのは、ハワード・キーツの魔法についてだった。


「ええ。彼の変身の魔法が、魔大陸のいにしえの魔法だということは分かっていますから」

「精霊の魔法とは違うということ?」

「はい」


 テオバルトが頷いた。


「私がスチュアート・ディズリーを直接見ることができれば、詳細が分かるかも知れませんが……。彼は、私のことを相当警戒しているようです」


 スチュアート・ディズリーは、自分ではテオバルトに近づこうとしないのだ。悪魔族であるテオバルトに魔法を見破られることを警戒しているらしい。


「他の方法で彼の正体を探る必要があります。そのヒントがジリアンの出自にあるのでは、と私は考えています」

「どういうことですか?」

「血筋による魔法の継承です」


 首を傾げたジリアンに、テオバルトはもう一度頷いた。


「あなた方が不思議に思うのも仕方がありません。この国の魔法は、我々の魔法とは原初の段階で枝分かれしたものですから」

「枝分かれ?」

「ええ。元を辿れば同じものですが、今は全くの別物なのです」


 テオバルトがジリアンの手をとって、手のひらに人差し指を当てた。親指の付け根だ。


「元々、人族も悪魔族も他の魔族も、みな同じモノでした」


 テオバルトの人差し指が、ジリアンの親指を先に向かって滑る。


「魔大陸から新天地を求めて海を渡った人々が、人族の祖先です。彼らは新しい土地で新しい魔法を生み出しながら、私達とは性質の異なる社会を築きました」


 再び親指の付け根から、今度は人差し指、中指、薬指の先へ。


「魔大陸に残った人々は、それぞれが暮らす土地に漂う精霊と密接な関係を築きながら、それぞれの社会を築いていきました。ですから、魔族は住む土地によって姿かたちが違うのです。これが、魔大陸に様々な種族が住んでいる理由ですね」

霜の巨人ヨトゥン族のように?」

「その通りです。彼らは北の大地で暮らす内に、しもの精霊と同化していった。その結果、あのような姿になったのです。そして、氷の魔法を操る」


 ジリアンは、霜の巨人ヨトゥン族の男が使っていた魔法について思い出していた。彼は氷の魔法だけを使っていた。確かに、ジリアンたちとは性質の違う魔法だったことを覚えている。


「それが、血筋による継承?」

「その通りです。人族と魔族の大きな違いは、血筋によって継承される魔法を持っているか否か、ということになりますね」

「なるほど」


 ジリアンは頷いた。授業だけではなかなか理解できなかった魔大陸の魔法について、ようやく腑に落ちたのだ。

 テオバルトの人差し指は、最後にジリアンの小指の先に触れた。


「悪魔族は、魔大陸に住まう魔族の中でも人族に近い種族です。最も理性的な種族と言っても良い。精霊と取引をしたり契約を結んだりすることで進歩してきました」

「精霊との契約に基づく魔法は、血筋とは関係ない?」

「その通りです。しかし、我々も魔族ですから」

「血筋によって継承されてきた魔法を持っている。それが、『心眼ウェリタリース』。……いにしえの魔法」

「そうです」

「ハワード・キーツの魔法も、そのいにしえの魔法ではないか、ということね」

「そのとおりです」


 ルズベリー王国の人族が扱う魔法とも、魔大陸の魔族が扱う精霊の魔法とも違う。全てを知っているテオバルトだからこそ、それに気付いたのだ。


「……そういえば、あなたはスチュアート・ディズリーに直接会っていないのに、どうして彼の正体がわかったの?」

「『心眼ウェリタリース』の力は、ほんの少しですが他者に分け与えることができるのです」

「分け与える?」

「完璧ではありませんし、時間が経てば消えてしまいますが。力を与えられた者は、私と同じように相手の偽りの姿を暴くことが出来ます」

「あなたの力を与えられた密偵がいるということね」

「そういうことです」


 つまり、彼はソフィーと接触するよりも早く、その正体に気付いていたのだ。あの夜、気付いていながら素知らぬ顔でソフィーをダンスに誘った。


(そりゃ、笑いたくもなるわね)


 ジリアンはおかしそうに笑っていたテオバルトの顔を思い出した。思わず、眉間にシワが寄って唇を尖らせる。


「怒っている顔も可愛いですね」

「やめてください」

「ふふふ。本当に、可愛らしい人だ」


 テオバルトがズイッとソフィーと距離をつめて、さらに手を握ってくるので、ジリアンは思わず翡翠の瞳を睨み上げた。


「演技ですよ。私がソフィー・シェリダン嬢に夢中になっている方が、なにかと都合がいいでしょう?」

「それは、そうだけど」

「それでは、話を戻しましょう」


 テオバルトはソフィーの手を握ったまま、その甲を撫でた。手袋越しとはいえ、異性とのスキンシップに慣れないジリアンは辞めて欲しいと視線で訴えるが、テオバルトは微笑みを返すだけ。彼の言う通り演技が必要なので振り払うわけにもいかず、ジリアンは理性を総動員させて耐えるのだった。


「ハワード・キーツの変身魔法をいにしえの魔法だと仮定するならば、それを見破ることができるのもまた、いにしえの魔法だけです」


 ここまで言われれば、ジリアンにも彼が何を言いたいのかがわかった。


「私にも、血筋によって継承された魔法がある。つまり、私には悪魔族の血が流れている可能性がある、ということね」

「そうです」


 ほんの少しだけ眉を下げたテオバルトに、ジリアンは小さく頷いた。可能性はゼロではない。ならば、確かめる必要がある。


「会ってくるわ……私の正体を、知っている人に」

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