第5話 ワルツはお好きですか?



「ただいま帰りました」


 ジリアンとテオバルトが連れ立って帰宅すると、玄関ホールには使用人がずらりと並んでいた。


「どうしたの?」

「大切なお客様をお迎えしますので」


 慇懃いんぎんに答えたトレヴァーに、ジリアンは首を傾げた。


(今まで、こんなことあったかしら?)


「おかえり、ジリアン」


 マクリーン侯爵も奥の書斎から出てきてくれた。今夜は正式な晩餐会なので、侯爵も燕尾服テールコート姿だ。その凛々しい姿に、ジリアンはしばし見惚れてしまった。


(素敵……)


 その様子を見たテオバルトが苦笑いを浮かべていることになど、気づきもしない。


「ようこそ、閣下」


 握手を求めたマクリーン侯爵に、テオバルトはにこやかに応えた。


いただき、ありがとうございます」


 二人の侯爵はどことなくギスギスした雰囲気で握手を交わすので、ジリアンはまたしても首を傾げることになった。


「さ、お嬢様はこちらへ」

「え?」


 ジリアンに声をかけたのはオリヴィアだ。嫌な予感がして、足が引ける。


「え、じゃありません。お着替えを」

「このままじゃダメ?」

「いけません。晩餐会ですよ。正装なさる必要がございます」

「でも……」

「はいはい。まいりますよ」


 半ば無理やり連行されてしまった。


(お父様と二人きりにするのは……)


 とても会話が弾むとは思えない。

 内心で焦るジリアンを余所よそに、テオバルトがニコニコと笑顔で手を振っている。


「正装姿、楽しみです。待っていますよ」


 二人の侯爵は晩餐の前にコーヒーでも楽しむのだろう。トレヴァーに案内されて応接室に入っていった。


(……今夜のを考えれば、お父様と二人きりになる時間も必要ね)





「なんて美しいんだ!」


 着替えを済ませて食堂に入ると、テオバルトが大仰に手を広げながら言った。その隣でマクリーン侯爵が渋い顔をしながらジリアンの椅子を引いてくれる。

 三人が席に座って、さっそく食事が始まった。今夜は大皿料理ではなく、前菜オードブルからフルーツデザートまで、一皿ずつ給仕される。厨房のシェフが腕によりをかけた料理が次々と運ばれてきて、三人で舌鼓したつづみを打った。


「これは?」

「ウミガメのスープね」

「ほう」


「この肉は?」

「リー・ド・ヴォー、子牛の胸腺よ」

「なるほど。美味しい」


 テオバルトが料理についてよく尋ねたので、食事中は会話が弾んだ。その他にも学院の友人たちのことや、街で見かけた珍しいものの話など、話題が尽きることはなかった。


 他愛もない会話から、一歩踏み込んだのはテオバルトだった。


「……ところで、ジリアンがマクリーン侯爵家の後継者だとうかがいましたが」


 これまでと明らかに質の違う話題に、ジリアンの背に緊張が走った。


「……ええ。ジリアンに後を継がせるつもりです」


 ワイングラスを傾けながら、マクリーン侯爵は表情を変えずに答える。


「では、彼女の結婚相手については、どのようにお考えですか?」


 思ってもみなかった質問にジリアンは目を見開いたが、マクリーン侯爵はわずかに眉を動かしただけだった。この質問を、予想していたのかもしれない。


「ジリアンに任せる」

「政略結婚はお考えではない?」

「その必要がない」

「なるほど」


 侯爵の言う通り、ジリアンには政略結婚をする必要がない。マクリーン侯爵家は名門の武家だが、血筋にこだわらない。ジリアンが次の後継者となる子を生むことがなくても、親族から次の後継者を選ぶだけのことなのだ。

 かねてから、『結婚については好きにすればいい』と言われている。ただし、幸せになるように、という条件付きだ。



「では、私が立候補しても?」



 全ての動きが止まった。

 マクリーン侯爵も、給仕をしていた使用人たちも。もちろんジリアンも。時計の針ですら止まったのではと思うほどの静寂が落ちる。


「ジリアンは、興味がありませんか?」

「興味、ですか?」

「魔大陸がどんなところか」

「それは、もちろん」

「では、どうです?」

「どう、とは?」


 ふわふわとした質問の真意も、自分がどう答えるのが正しいのかも分からず、ジリアンの瞳が右へ左へと泳ぐ。


「私は数カ月後には魔大陸に帰ります。その時、あなたをお連れしたいと思っています」


 はっきりとした声音に、ジリアンは再び首を傾げた。


(なんだ。旅行のお誘いなのね)


「でも、どうして私を?」

「それは、二人きりの時にお伝えしても?」


 ──ガタッ。


 マクリーン侯爵の椅子が、大きな音を立てた。


「トレヴァー」

「はい」

「煙草を」


 マクリーン侯爵の一言に、ようやく使用人たちが動き出した。フットマンの一人が、ジリアンの椅子を引くために慌てた様子でかたわらに来る。晩餐会の後、先に席を外すのが淑女レディのマナーだ。


「では、私はこれで」

「ああ」

「また後で」


 テオバルトが手を振るのに、ジリアンはぎこちなく応えることしかできなかった。





「あれは、いったい何なんですか!?」


 ぷんぷんと怒っているのはオリヴィアだ。


「あれって……」

「あれなんか、あれで十分です!」


 オリヴィアが、ジリアンの装飾品を順に外していく。ドレスを脱ぎ、コルセットを緩めるとようやく人心地ついた。


「お嬢様、どうしてあんな失礼な方をご招待なさったんですか?」

「失礼なんて。外国からいらした大切なお客様よ?」

「だとしても! あんな失礼なこと!」


 結い上げていた髪を外して軽く濡らしてから、くしですいて巻き髪を戻していく。


「あんな場で、お嬢様に求婚するだなんて!」

「求婚!?」


 思わず声を上げたジリアンに、オリヴィアがため息を吐いた。


「ええ。あれは紛れもなく『求婚』ですよ」

「違うでしょう? 私を魔大陸に旅行に連れて行ってくださる、というお話ででしょう?」

「旅行?」


 オリヴィアが鏡越しに怪訝けげんな表情を浮かべる。


「それ、本気でおっしゃってますか?」

「だって、そうでしょう?」

「……お嬢様。会話には文脈というものがございまして」

「文脈……」


 思わず唸ったジリアンに、オリヴィアがさらに深い溜め息を吐く。


「まあ、よろしいですわ。とにかく、あの方には、あまり近づいてはいけませんよ」

「そういうわけにもいかないわよ」

「それはそうですけど……」


 テオバルトの真意はわからないが、ジリアンの方には彼に近づく目的があるのだ。


「今夜、あの方はお泊りになられるのですよね?」

「ええ」

「では、お着替えはこちらを」


 オリヴィアは持っていたネグリジェを置いて、普段着用のモスリンのドレスを出してくれた。


「そうね。今夜の仕事は、まだ終わってないわ」





「眠れませんか?」


 異国の青年は、温室コンサバトリーの中からガラス越しに月を見上げてたたずんでいた。トレヴァーが眠れないと言った彼を温室に案内したとジリアンに知らせてくれたのだ。


「ええ。どうも枕が変わるのが苦手で」

「他の枕をお持ちしましょう」

「あなたが?」

「まさか」


 ジリアンが即答したので、テオバルトは苦笑を浮かべた。もちろん、ジリアンにはその理由がわからない。


「これは?」


 ふと、テオバルトがすみに置いてある一つの道具に目を留めて言った。


「蓄音機です」

「蓄音機?」


 初めて聞く言葉に、テオバルトが首を傾げる。

 大きな四角い箱に、ラッパのような形の金属の部品がついている自動機械だ。彼が知らないのも無理はない。ジリアンが考案し、ジリアンがつくった道具なのだから。


「あらかじめ音を吹き込んでおくと、いつでも繰り返し聞くことが出来ます」


 説明しながら、ジリアンは蓄音機に魔力を込めた。すると、ラッパのような形の部品から、華やかな音楽が流れ始める。


「ワルツですね」

「ええ」


 ジリアンは、懐かしさに目をすがめた。本来であれば領地にある侯爵家の本邸に置いてあるものだ。それを、魔法学院に入学する際に首都ハンプソムに持ってきた。いつでも近くに置いておきたい、思い出の品なのだ。


「……一つ、お願いしても?」

「内容によります」


 テオバルトが眉を下げながら言うので、ジリアンは思わず身構えた。先程オリヴィアが言っていた『求婚』という言葉が頭をよぎる。


(そんなはずないのに)


 彼は魔族の中でも由緒正しき名門、マルコシアス侯爵家の当主。すらりと伸びる長身に、美しい翡翠の瞳。そして、魔法の才能。どれをとっても完璧だ。


(仮に二国間の交友のためにルズベリー王国の令嬢を結婚相手に選ぶのだとしても、もっと適した令嬢が他にいるわ)


 ジリアンはすでに侯爵家の家督を継ぐことが決まっている。対等以上の家との婚姻、しかも当主や後継者との婚姻となれば面倒事が山積みだ。マクリーン侯爵家は由緒正しいとはいえただの武家であり、政治的に旨味のある相手ということもない。


(だからこそ、彼が私に近づく目的がわからない)


「ワルツはお好きですか?」

「ええ」

「では一曲、踊っていただけませんか?」

「え?」

「舞踏会に招待されたのですが、こればっかりは経験不足で」


(そういえばマントイフェル教授が言ってたわね。魔大陸には男女で組んで踊る習慣はないって)


 ジリアンは行事の度に苦戦しているマントイフェル教授の姿を思い出した。


「では、一曲だけ」


 ジリアンは、蓄音機を操作して曲を最初に戻した。

 テオバルトの右手がジリアンの腰に添えられ、左手はジリアンの右手を優しく握った。


 ──タンタンタン、タンタンタン。


 ワルツのリズムに乗って、ステップを刻む。


「……とても、練習が必要なようには見えませんが」


 ジリアンの言葉に、テオバルトは嬉しそうに微笑んだ。


「そうですか? あなたにめられるとは。嬉しいです」


 ──タンタンタン、タンタンタン。


 話しながらもステップが乱れることはない。


(器用な人ね)


「それで?」

「え?」


 翡翠の瞳が、ジリアンの顔を覗き込んだ。


「まだ聞き出せていませんよね」


 じわりと、ジリアンの背に汗が滲んだ。


「知りたいのでしょう? 私の目的を」

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