星の海でワルツを



 長い夢から目が醒めた。

 俺はゆっくりと瞬きを繰り返して、それからロックの解除されたカバーを押し上げた。コールドスリープ装置から出ると、薄暗い室内にけたたましい警報音が鳴り響いていた。

『コードブラック、コードブラック。技術者は中央デッキに集合してください』

 コールドスリープしていた身体はまだふわふわとしていたが、警報音のおかげで意識はしっかりしていた。コードブラック、そのコードの内容は知らない。おそらくは技術系の乗組員にしか共有されていないコードなのだろう。俺は覚束ない足取りで休眠室から外に出た。

 回廊の天井は硝子張りで、真っ黒な夜空に星が散りばめられている。ここは星の海。そして、この船は移住先の惑星を目指して航行中だ。誰も居ない回廊に警報音だけが響いていた。俺は中央デッキへ向かうことにした。コードブラックがどういう状況か分からないが、ひとまず中央デッキに行けば誰かが教えてくれるだろう。

 歩いている途中で警報が止まった。

 中央デッキに着いたが、広い空間には誰も居なかった。頭上には星の海が広がって、そのあまりの煌めきの美しさに俺はしばらく天を仰いでぼんやりとしていた。

「え」

 不意に背後から声が聞こえて、俺は振り返った。そこには技術職の制服を着た俺と同い年くらいの青年が立っていた。

「その制服、え、医療職? どうして休眠から目覚めて」

 技術者は明らかに動揺した様子だった。早過ぎるとか、聞いていないとか、そういうことを呟いたまま突っ立っていた。少し可哀想に思えた。

「コードブラックって?」

 俺は尋ねた。技術者は面倒くさそうにハァーと長い息を吐いて、頭の後ろを掻き上げて、それから手元のタブレットを操作した。

「僕もコードブラックの警告で目覚めたばかりなんだけどね」

 そう言いながらも、技術者と俺の間の空中にホログラムの航行地図が映し出された。

「ここが現在地」

 空間の中央で点滅する小さな赤い光がこの船の座標らしい。

「こっちが目的地」

 ホログラムの端で青い点が点滅している。それが移住先の星だ。

「だった場所」

「え?」

 技術職はまたタブレットを操作した。目的地周辺が拡大表示される。

「隣の星に彗星が衝突して、その砕けた星たちの破片が飛び散って、目的の星にも衝突した。残念ながら、もう生命が生きられる環境ではなくなってしまった」

 その言葉の通り、ホログラムの中で彗星が星に衝突して、大きな爆発が起きた。飛び散った欠片が周辺の星たちにも降り注ぐ。

「移住不可、あるいは航行継続不可、それがブラックと呼ばれるシナリオコードだよ」

 技術者はタブレットを操作して、ホログラムが消えた。

「なるほど、つまり人類の移住計画は頓挫したってことか」

「加えて、爆発の衝撃波か電磁波か、そういったものによって船のあちこち、特に電気系統に不具合が生じている。簡潔に言うと、この船の動力はあと半日しか残っていない」

「半日」

 それは予定されていた航行時間から考えると一瞬のように思えた。

「その不具合、解消出来るものなのか?」

「無理だ」

「無理かぁ、それなら仕方が無いな」

「理由を知りたくはないのか?」

 技術者は怪訝そうだった。そんな顔をされても困る。

「専門職が無理だと言うのなら、どうしたって無理なんだろ。まぁ、理由を教えたいのなら聞くけど」

「いや、そういうわけじゃない……」

 技術者は俯いた。沈黙が気まずかった。

「俺はツグミチ、所属は防衛局。そっちは?」

「医療局じゃないのか」

「あ、この制服は借り物だ。出発前に管理温度の設定ミスで搭載前の積荷の氷が溶けていたって知らないか? 俺、その現場に出ていたから。ずぶ濡れになって急遽これを借りただけだ。俺は誰かを治療出来るような奴じゃない」

「あったな、そんなくだらないミス」

 技術者は笑った。

「僕のことはサクラと呼んでくれ。君とは違って僕は正真正銘、航行技術局の所属だ。あと半日、どうせ出来ることは何も無いんだ。船の中を案内しよう、ついてきて」

 そう言うとサクラは歩き始めた。


 船に乗り込んですぐコールドスリープに入った俺は、船内がどうなっているのかほとんど知らなかった。事前に説明されて少しくらいは知識があると思っていたが、実際に見て回ると、実物と情報は全く異なっていて、移住計画については何も知らされていなかったのだと思い知った。

「急ごしらえの船だからね、そりゃ氷も溶かすよ。それに、これは一番先に飛び立った先鋒だ。後から追い掛けてくる本命の船のほうが装備は良い。ここには最低限の設備しか搭載されていないから、面白いものは何も無いと思うよ」

 けれどもサクラがこの船に誇りを持っているのは分かった。設備を説明する横顔は少年のようで、自分の職務が好きなのだと伝わってきた。

 どこへ行っても、この船の中で目覚めているのは俺とサクラのふたりだけだった。行く先々で通電していない扉が幾つもあった。船全体のエネルギーが枯渇しているのだと俺にでも分かった。

「設定ではイエロー以上の警告コードが発令されたら、真っ先に技術者全員のコールドスリープが解除されるはずなんだけど」

「代わりに船じゃ何の役にも立たない俺が目覚めた」

「話し相手に丁度良いよ」

 先頭デッキに繋がる扉は電気が通っていた。星の海はどこまでも広がっていた。

「船を停止して、技術者のコールドスリープを解除するエネルギーを確保出来ないのか?」

「停止コードへのアクセス権が僕には付与されていない」

「じゃあ誰なら出来るんだ」

「後続船に上長が乗っている。信号は送ってみたけれど、向こうも状況は大差ないかもしれない。装備が整っている分だけ僕たちよりも長生き出来るかもしれないけれど、目的地の星が消滅した以上、最後に辿り着く結末はみんな同じだよ」

「でも過程は違うだろ。どうせ旅が途中で終わるなら、せめて楽しい終わり方のほうが良い」

 俺はそう言ってサクラに手を差し出した。サクラがキョトンとした顔で俺と手を見比べる。

「談話室があるんだろう? 連れて行ってくれ」

「あるにはあるけれど、名ばかりの部屋だからあまり期待しないでほしい」

 サクラの言葉は謙遜でも何でも無かった。少し広い部屋の中央にふかふかとしたソファーと安っぽいテーブル、壁際に空っぽの本棚があるだけの殺風景な場所だった。それでも保管庫から冷凍の食料を少しもらってきてテーブルの上に広げると、そこはもう俺たちふたりだけの特別な空間になった。

 俺たちは他愛も無い話をした。故郷の星で暮らした日々を振り返ったり、もう有り得ない未来について話したり、会話は途切れなかった。

「航行技術局って、星に到着した後はどうなる予定だったんだ?」

「物資輸送部隊に切り替わると聞いていたよ。後続船のどれかに小型の飛行機が搭載されているはずだから。そっちの防衛部は、星に危険な生物が確認されなかったら?」

「居住区の警備と自然界からの食料調達、そのふたつ。俺は食料調達のほうに振り分けられる予定だったんだ。ほら、これとか、生で食べるともっと美味い」

 冷凍の果物は味が落ちていたけれど贅沢は言えないが、新鮮なうちに食べるほうがずっと美味しい。そんなことを話しているうちに時間はずいぶんと経った。

「船の動力が無くなったら、どうなるんだ?」

「空気循環システムが落ちて酸素の供給が止まるから、死因は酸素欠乏になる、のかな」

 サクラがうーんと首を傾げた。

「コールドスリープは?」

「冷却機能が停止することで温度は上がるけれど、意識の覚醒はしないんじゃないかな、多分」

「眠ったまま死ぬことになるのか」

「僕も専門じゃないから実際のところは分からないけれどね。どっちにしても船内の酸素は無くなるんだから、生き延びることは出来ないよ」

「サクラはどっちが良い?」

 俺はサクラに尋ねた。

「眠ったまま死ぬのと、意識のある状態から死ぬのと」

「嫌な選択肢」

 サクラは少し考えてから答えた。

「眠ったままというか、眠るように死ねたら、僕はそれが一番かも」

「あ、それ良いな」

 俺はサクラの意見に賛成だった。死ぬ時は出来るだけ苦しまずに終わりたいから、出来るならば眠りに落ちるような終わりだったら良い。微睡みの中、夢と現実の境目で、終わりを迎えられたらきっと、安心して二度と目覚めない。

 何をしても、何をしなくても、この旅路はあと三時間で終わる。


 後ろを航行中の船から信号が返ってきた。

「あれ、無事だ」

 タブレットで信号を読んでいたサクラの声が上擦った。

「第二陣はすべての船が無事だって」

「良かったじゃないか」

「通信を繋げてみよう」

 そう言うとサクラはタブレットを操作した。向こうの船を呼び出す。しかし、いくら待てども応答は無い。

「通信が拒否されているみたいだ」

「何のために?」

「それは僕も……あ、メッセージが届いた」

 サクラのタブレットを俺も横から覗き込んだ。

『健闘を祈る』

 メッセージはたったそれだけだった。俺たちは言葉を失った。

 向こうの言い分なら理解出来る。移住計画が破綻した以上、このまま航行を続けたところで無駄なだけだ。そもそも後続船との距離を考えれば救援の到着が間に合わないことくらい明白だ。それならば、すべての設備が無事なうちに引き返したほうが良い。それは分かる。それは、分かっている。だけど、分かっていたところでやはり、納得は出来ない。

 俺は横目でサクラを見た。何を考えているのだろう。サクラは何も言わずにメッセージを削除した。そのまま続けてタブレットを操作する。船全体の地図が表示される。

「コントロールのアクセス権がすべて僕に委任された。入室しない部屋に続くエネルギーを遮断していけば……」

 先頭デッキ、格納庫、会議室。サクラの指先は船内の電源を次々に落としていく。

「それ、どれくらいの影響があるんだ?」

 俺の質問にサクラは答えなかった。ただ黙々と作業を続けて、残りは休眠室や回廊といった少しの場所と、この談話室だけになった。

「技術者のコールドスリープ解除をもう一度試してみる」

 サクラは、そう言ったと思った時にはすでに立ち上がっていた。俺は慌ててサクラを追い掛けた。照明を減らして薄暗くなった回廊を俺たちは休眠室まで走った。

 技術職の休眠室には十台ほどのコールドスリープ装置が並んでいた。カバーの開いているものがサクラの入っていた装置だろう。

「起きろ、起きろ」

 装置に縋り付くようにサクラが繰り返し呟いても、装置から反応は返ってこない。窓の無い部屋に機械音だけが続く。嫌な沈黙だった。

「サクラ」

 俺はサクラの背中に声を掛けた。

「五番倉庫はまだ無事か?」

 装置から顔を上げたサクラは疲れた様子だったが、タブレットを手元に引き寄せた。

「えっと、何番倉庫って言った?」

「五番」

 サクラは少し画面を触ったが、首を振った。

「四番から七番は最初に電源が落ちて復旧していない」

「そうか、ありがとう」

「倉庫の中に何かあった?」

「防衛局の備品に使えるものがあればと思っただけだよ」

「手動で開けられるかもしれない。行ってみようよ」

「いや、やっぱりやめておく。この期に及んで少しばかり寿命を延ばそうとしたって、どうしようもないからさ。それより、もう少し話をしないか?」

 どうでも良い話をするくらいしか、迫り来る終わりから目を逸らす方法がもう思い付かなかった。

 俺たちは談話室に戻った。けれども会話は続かなかった。手立てが無い。自分たちが助かることも、眠ったままの他の乗組員たちを救うことも、どちらもこの手からは零れ落ちた。あまりに広い宇宙で俺たちはただ孤独に終わっていくだけだ。

 サクラはタブレットを眺めていた。俺は窓の外に広がる星の海を見ていた。もうここがどこかも分からなかったが、星たちは変わらず煌めいて見えた。

 やがて談話室の照明がチカチカと点滅したかと思えば、薄暗い非常電源に切り替わった。

「電力供給が停止した。もうこれ以上はコールドスリープを維持出来ない」

「空気循環システムも?」

「そっちももう止まる」

「いよいよカウントダウンか」

 反射していた室内の光が無くなって、星の海はより美しく見えた。残酷なほど綺麗だった。俺は窓枠に腰掛けた。

「結局のところは、移住なんてせずに残っておいたほうが正解だったか」

「確かに引き返した他の船が帰還する頃には、あの星もまた住めるようになっているかもしれないね。それなら僕たち、やっぱり無駄死にってことになる」

「まあ、無意味だよなぁ」

 笑えない話だった。まったくもって笑えない。

 これ以上は住み続けられないからと故郷を捨てて宇宙に逃げた。雑な計画に急かされて、訳も分からないままに飛び立った。別れを惜しむ暇も無かった。感傷に浸る時間も与えられずにコールドスリープされた乗組員は自分たちの身に何が起こったのかも知らないまま死んでいく。そして無傷で引き返した後続船たちは何事も無かったように故郷へと帰還するのだろう。俺たちはここで死んでいく未来しか持たないのに。

 怒りは通り越した。理不尽な仕打ちに耐えられるほど頑丈な心ではないけれど、とっくに諦めがついている。無念だった。惨めだった。こんな形で死にたくない。でも、だからといって奇跡的に助かったとしても、もう生きていく気力も湧き上がらないだろうと思った。

「ツグミチ、基礎教育課程は真面目に受けた?」

 不意にサクラがそんなことを尋ねた。

「真面目に受けたよ。だってそれ以外にやることが無かっただろう?」

「そうだったね。でも、良かった。サボったなんて言われたらどうしようかと思った」

 そう言うとサクラはテーブルとソファーを部屋の片隅に押し遣った。そしてツカツカと俺に歩み寄ってくると俺に手を差し出してきた。

「僕と一曲、踊ってくれる?」

「構わないけどさ、俺、あの授業が一番苦手だったから簡単なやつにしてくれ」

「じゃあワルツにしよう」

 俺はサクラの手を取った。

 どうしてそれがカリキュラムに入っているのか、今までずっと分からなかったし、今この瞬間も分からないままでいる。けれど、専門別になる前の基礎教育課程で、科学や言語の授業と同じようにボールルームダンスが義務クラスのうちのひとつだった。俺は踊りを憶えるのが苦手で、これっぽっちも上達しないうちに専門課程が前倒しになって、それきりだった。

 それでも、意外と身体は憶えているらしく、サクラのタブレットから曲が流れ始めると、まだ声変わりもしていなかったあの頃の記憶が少しずつ蘇ってきた。

 ゆったりとしたワルツの優雅なリズムの中で、初めてペアになったというのに、俺とサクラの息はピッタリと合って、決して広くはない談話室の中をクルクルと踊り回った。サクラのリードが上手いのだろう。楽しいわけでもなく、悲しいわけでもなく、何とも表現出来ない不思議な気持ちがじわじわと心の内側に広がっていくのを感じた。

 サクラの頬を涙が伝った。悔しいはずだ。悔しいに決まっている。だってこんな結末、あんまりじゃないか。もし、もしもの話、俺たちにも選択肢があったのならば、絶対にこんな結末は選ばなかった。絶対に選んでいない。

 曲が終わった。静寂が戻ってくる。俺の背中に回されたサクラの手が震えていた。

「サクラ」

 俺は繋いでいたサクラの手を離して、自分の胸ポケットから取り出したものをサクラの掌に乗せた。小さな赤い粒がサクラの手の中で転がった。

「毒薬だ」

 サクラは俺の顔を見なかった。

「俺たち防衛局に所属する人間は防衛機密の漏洩を防ぐ目的で自決用の毒を支給されている。眠るように死ねると聞く。サクラはこれを飲むと良い。俺は苦しんでも構わないから」

 俺の言葉には何も返さずにサクラは拳をギュッと握り締めた。強く噛んだ唇に血が滲んでいた。

「サクラが眠るまで傍に居るよ」

 途端にサクラは膝から崩れ落ちた。俺の脚にしがみついて、声を上げて泣いた。

「死にたくない」

 死にたくない、死にたくないと、サクラはそればかりを何度も繰り返した。サクラの慟哭を見ているうちに、俺も鼻の奥がツンと痛くなって視界が滲んだ。涙なんてものはもうずっと昔に涸れ果てたと思っていた。けれども今、この別れはあまりにも名残惜しかった。

 俺だってサクラに死んでほしくはなかった。


 薬を飲んだサクラは俺の腕の中で動かなくなった。


 サクラを背負って薄暗い回廊を歩く。重力装置が弱まっているから、サクラを運ぶのは楽だった。空気が薄くなっているのが分かる。残された時間はもう僅かだ。ペンライトを口に咥え、ほとんど浮きながら、俺は五番倉庫までサクラを連れてきた。手動になった扉を開ける。

 五番倉庫は防衛局に割り振られている。ここに唯一の救命艇が格納されている。当然、知っていた。俺が担当だったのだから。そして、五番倉庫は、救命艇がそのまま脱出出来る構造になっている。

 俺は救命艇のロックを解除して扉を開けた。緊急出発時の混乱に乗じたとはいえ、物資に紛れて搬入出来る大きさの救命艇だ。一人用に決まっている。俺は救命艇のコールドスリープ装置にサクラを寝かせた。

「救援部隊に合流するまで一年の辛抱だ。コールドスリープは退屈だが、永遠と比べれば、あっと言う間の時間だろ」

 救命艇の行先はあらかじめ設定されている。後続の第二陣よりさらに後方、逃亡した政府軍を追ってきた反乱軍の船団だ。この船を見捨てて引き返した船たちは、そう遠くもない未来、星の海の藻屑と化す。

「嘘をついて、すまなかった。あれはただの睡眠薬だ。だけど俺だってお前には生きていてほしいんだ。俺を赦さなくて構わないから、ただ、分かってくれよ。コードブラックが発令された以上、俺はもう、駄目だからさ」

 俺はサクラのタブレットを開いた。本来ならば俺が合流するはずだった反乱軍に向けて、代わりにサクラが向かうというメッセージを送っておく。何も知らされていないただの乗組員だ。彼らも悪いようにはしないだろう。それから、サクラにもメッセージを残しておく。目覚めた時に、この物語の結末を伝えるためだ。

 準備は出来た。俺はサクラにタブレットを持たせて、コールドスリープ装置のカバーを閉じた。救命艇の扉もロックする。倉庫の壁に取り付けられたパネルを操作して、救命艇を下段の発射台に下ろす。ここだけは電気系統が別で、最後まで動くように出来ている。サクラはそのことを知らされていなかったらしい。まあ、内通者によって秘密裏に改造されたのだから当然といえば当然のことだった。

「じゃあな、サクラ。機会があれば、また」

 発射台のゲートが完全に開いた。俺は射出装置のスイッチを押した。アラームの鳴り響く中、カウントダウンの音声の後、サクラひとりを乗せた救命艇は星の海へと飛び立っていった。このまま定められた軌道を辿り、一年の旅路の果てに救いが待っている。

 俺はサクラの救命艇が見えなくなったことを確認してから、中央デッキに戻った。

 コードブラックの内容は知らされていなかった。けれど、そのコードが発令された時には、次のコードを発令しなければならないということは聞かされている。そして、それは防衛局に配属された時点で決定していたことであり、もはや俺には変えられないものだということも分かっている。

 俺は心臓に手を当てた。

「コードホワイトを発令します」

 防衛機密の漏洩を防ぐ目的で、俺の胸には自爆装置が埋め込まれている。たとえ航行継続不能になったとしても、政府軍は自分たちの船ひとつ、情報ひとつだって反乱軍に渡すつもりは無いらしい。すべてを消し去るために、黒の後に続く白を用意していた。これで削除完了というわけだ。

 俺だって、使い捨ての道具として死にたくはない。そんな惨めな死に方は嫌だ。あまりにも無念で、あまりにも理不尽で、いっそのこと怒りや恨みよりも悲しみのほうが大きいほどだ。だが、こうする他に、俺には選択肢が無い。それならせめての餞に、友人をひとり見逃すくらい、大目に見てくれたって構わないじゃないか。ああ、サクラと踊ったワルツは、案外悪くはなかったな。

 胸の内にカチリと歯車の噛み合うような音を聞いた。

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