2-2 神狐の憂い
「五月というのに、寒いくらいね」
マルグレーテは、腕をさすった。
「たしかに……」
森の中央部にあり豊富な地下水脈に囲まれているせいか、穴の内部はしっとり湿っており、かなり涼しい。
「この穴自体は、昔からあったのね。……知らなかったわ」
「入り口だけ、最近開いたんだな。木も徐々に腐ってる雰囲気だったし」
「そうね」
うろに続く穴は、想像以上に大きかった。身を屈める必要があったのは最初だけ。後は普通に高架下歩道通路くらいの広さ。なだらかな下り坂。足元に木の根や岩が顔を出しているのさえ注意すれば、滑りやすいとかその手の問題もない。
まっすぐではなく、くねくね左右に広がっているのはおそらく、樹々の太い根を避けているからだ。つまりこの穴は天然でなく、誰かが開けたものだろう。
「きゃっ!」
背後から、ランの悲鳴がした。
「どうしたっ!」
「み、水が背中に」
「なんだ」
脅かすな。なにが起こったかと思ったわ。見上げると、ランが展開した暗めのトーチ魔法に照らされ、鍾乳石がつららのように天井から垂れているのが見えた。それもたくさん。
地下水は冷涼だ。鍾乳石の先から背中に水が垂れれば、そりゃ飛び上がるか。
「なにかモンスターの気配するか、マルグレーテ」
「いえ……なにも。ランちゃん、どう?」
「私も感じない。……でも先に――」
通路の先を指差した。
「なにかあるよ。強い力が先に」
「敵か」
「違うわ、モーブ。わたくしも感じる。なにか……霊的な存在よ。悪意はないと思うわ」
「伝説では、ここの狐――
「うん。そう」
なら先にいるのは神か狐、ないし両方ってあたりだろう。
「とにかく進もう。俺達は調査に来た。調べないと解決策は見えない」
「そうだよね」
ランは頷いた。
●
「ここは……」
くねくねと千鳥足のような通路を進むと、広間のような空間に出た。小さな神社の境内くらいの広さ。ランのトーチ魔法はまだリーナさんほどは強力でなく、高い天井までは照らし切れず闇にとけている。
壁の一隅が、なぜかうっすら赤く光っていた。
「ここにいるわよ」
「あそこだな」
「そうね、多分」
「敵意は感じないよ、モーブ」
「よし」
ひとつ深呼吸した。なるだけ冷静な声を出す。
「そこにいるのは、
「どうれ……」
どこからともなく声が響くと、輝く壁の前に、狐の姿が浮かび上がった。赤いホログラムのように。姿は普通に日本の狐だ。ただ大きい。ちょっとした熊ほどもある。
これが映像なのか本体なのかはわからない。光学映像のように透け気味だから、実体というより、なにか魂とかその類なのかもしれない。
「お前はエリク家の娘だな」
俺の背後に視線を置いた。
「はい。マルグレーテ・エリクです」
「大きくなった……」
瞳を細めた。
「お前は覚えておらんだろう。まだお前が子犬ほどの大きさのとき、泉で一度お前に会っている」
「覚えては……いません。多分……子供すぎて」
「お前は溺れそうになったのだ。我が助けた」
「そうですか……」
マルグレーテは、俺の隣まで進み出た。
「それはありがとうございます」
「いずれその意味のわかるときが来る。……ところでそこな男、我に用向きとな」
「ああ。あんた神狐だな。今困ってるんだ。ここ10年ほど、エリク家の領地が荒れてな」
「うむ……」
狐は頷いた。
「エリク家の危機だ。あんた多分、土地神様かなんかなわけだろ。領民を救ってくれよ」
「我は神ではない。神の使いじゃ」
「正直、どっちでもいいわ」
「ねえ狐さん」
ランが口を挟んできた。
「なんじゃ、聖なる娘よ」
「前、聖者の人に教えてあげたんでしょ、ここが荒れ果てた理由を。聖者の人、それ聞いて真っ青になったって……」
「そうよの……」
狐はしばらく黙った。ランを見て、俺を見て、それからマルグレーテを見た。
「他ならぬエリクの娘が我に会いに来たのだ。教えぬわけにはいかんのう……。実は――」
狐の話はこうだった。ここエリク家領地は土地神の守護の基、田舎とはいえ何百年もの間、豊かな大地の恵みを受けていた。だが十六年ほど前、突然大地下に不穏な存在が生じ、地上の豊かさを侵食し始めた。
「ヤマビルが狐の血を吸うように、その存在は地上の豊かさを徐々に食い破り始めたのじゃ」
唸ると、話を続ける。
徐々に地上に影響が出た。最初は部分的な不作で大きな問題とは思えなかったが、十年ほど前には広範囲に広がり、地上の人間達も異変を感知した。
「聖者が我と交感したのも、その頃だ。実はここのさらに地下に、土地神様が宿られる
「それで逃げたんか」
「うむ。おそらくそうであろう……。その後、この穴には現れなかったから。うろを崩せと教えたのだが……」
「なるほど……」
だがまあ、仕方ないっちゃ仕方ない。聖者は聖なる魔法を
とはいえせめて、シェイマスの父っつぁんに冒険者パーティーを送れ……くらいは教えてやればいいのにな。討伐隊を導いたと、不穏な存在の恨みを買うのが怖かったのかしらんが、情けないわ。それでも聖者かよ。
「我はここから下には行けない」
悔しそうに、神狐は顔を歪めた。
「どうじゃ、不思議の男よ。下にゆきて、不穏な存在を封じてはくれまいか」
「そうだな……」
俺は考えた。いずれにしろ、これは解決しなくてはならない。なら遅かれ早かれ、そのやな野郎と戦うことにはなる。狐から情報を得ている今は、いいチャンスかもしれない。
「どうやればいい」
「この札を使え」
俺達の前に、金色に輝く札が何十枚も現れた。
「こんなに必要なのか」
「ここは数枚でいい。余ったものは他所で使え」
「わかった」
「ここから道を辿ると、下に
「なるほど」
「神域が解放されれば、土地神様もこの穴に戻ってこられる。ここは聖なる水を地表に供給する大事な場所じゃ」
「ねえ狐さん、どうやったらその子を倒せるの。剣で斬ればいいのか、それとも魔法が効くとか……」
いいぞラン。そこ一番大事だわ。
「倒す必要はない。退けろと言ったのじゃ」
「禅問答はいいからよ。どうやったらダメージ与えられるんだよ。退けるにしろ、説得なんかはできないんだろ。なら戦うしかない」
「そういきり立つな」
狐に笑われた。
「なに、相手はエネルギーを吸いに来ているだけ。……そのような機能が来ていると言ってもいい。得られるエネルギーより失うものが多ければ撤退する。普通に戦えばいいのじゃ」
くそっ。よくわからんが、やるしかないってことか。いずれにしろ、やらないとエリク家は救えない。なら戦ってやるさ。
俺は決意した。
「わかった。俺達はその神社とかいうところに向かう」
「よくぞ言った」
狐が頷くと、例の赤く発光していた壁が、すっと消えた。先に暗い通路が見えている。
「先に進め。エリク家の娘に聖なる娘、それに不思議の男よ。吉報を待っておるぞ」
●次話「触手」
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