242. 安土城と家督移譲

 天正4年春、安土城の落成記念式典が催された。

 山を大胆に切り開き、城下町へ連なる全ての街道を整備し、琵琶湖には新たな港をつくり、過去の犠牲者たちを弔う菩提寺を建て、三つの丸と天守閣からなる過去最高規模の城だ。側近たちを含めた多くの武家屋敷の他に託児所、織田塾、各種鍛錬場もある。

 おもな儀式は本丸御殿で行われた。

 三つの建物をコの字型に配置し、三方向から中庭を眺められるようになっている。雅楽の舞台を想定したスペースはかなり広く、天候次第で野外の能舞台を堪能できる。夜に行えば、きっと幻想的な幽玄の世界に誘ってくれるだろう。今から楽しみだ。

 俺のイチオシは当然、天守閣である。

 何とかイメージを伝えたいと思って適当にスケッチしたのを見せたら、その通りの六階建てな天守閣が完成した驚きは筆舌に尽くしがたい。やっぱり尾張はチートの国だ。

 ちなみに四階層部分の中央は吹き抜け構造である。

 菩薩様を安置した宝塔が収まっているのだ。各層に部屋と階段があって、五階と六階部分はワンフロア設計。通常の城は四角だが、五階層だけ六角形になっている。屋根には、でっかい金のしゃちほこが燦然と輝いている。あ、高すぎてよく見えんか。

(本丸御殿ともども内装が豪華すぎるのが、悩みといえば悩みか……)

 最近は周りから「ええ加減に自覚せえや」と煩いので、適当に流していたのが不味かったのかもしれない。派手好みで知られる織田信長の城だし、時間と金と資材には糸目つけないなんて豪語したせいもあるだろう。

(あとは大体、五郎左の所為)

 二条城は別にいい。

 いずれ天皇のお住まい、皇居となるから豪華な方がいい。今の禁中はボロすぎて、もうあかんらしいので移転する話が出ている。そもそも織田家は京屋敷を所持しているのだから、俺が上洛する度に二条城へ入る必要などないのだ。

 将軍はもういないし(将軍はお前だろというツッコミは却下する)。

 お手紙公方は毛利家で厄介になっているはずだが、その毛利家は反織田派だし。

 二条城を御所にするという話が確定したら当然、改修工事に入る。この辺の資金も織田家から出すのだろうし、朝廷の権威は利用できるだけ利用しておきたいところだ。安土城が絢爛豪華すぎるせいで、今上帝にとって代わろうと考えているなんて噂が立ったら困る。曹操かよ。

(いつかお濃そっくりな菩薩様を城の敷地内に安置したいって思っていたから、別にいいか。こんだけ仏教色強めに出しておけば、加賀の件で騒いでいる奴らも大人しくなるだろうし)

 キリスト教の布教は禁止していないが、推奨もしていない。

 何人かが洗礼を願い出ていたので許可をしたくらいか。俺は聖書も十字架ロザリオも所持しているというだけで、改宗していない。そのつもりもない。だが本人の意志でキリスト教徒になりたいというのなら止めない。

 俺には多宗教チャンポンな現代感覚がまだ残っている。

 施政者として思うところがないわけじゃあないが、宗教弾圧はどうしたって多くの血が流れる。キリスト教に関しては明確な施策を出さない程度に留めておきたい。べ、べつに面倒だとか思っていないからな。

(黄金の国ジパング、か)

 ふと、興奮気味に賞賛の言葉を並べていたフロイスを思い出す。

 子供のようにはしゃぐ姿から、母国への報告にどんな内容を記すのかは大体予想がついた。宣教師は本来、ああいう素朴な人間が向いているのだろう。それはきっとキリスト教に限らず、全ての宗教に携わる者たちに通じるものだ。

 そうあるべき。かくあるべしと心に定めるものは、武士にも存在する。

 俺は別にキンキラキンが好きなわけじゃあない。豪華な装飾は札束にしか見えないし、金銀を使えば使う程に眩しくて目が痛い。美しい絵も、精緻な彫刻も、丹精込めた職人技の一つ一つが、どこか別世界の何かに見えてならない。

 場違いだ、とすら思う。

(絶対言えねえけどな)

 帰蝶にも、言えない。信忠たちにも打ち明けていない。

 もう何十年も織田信長として生きてきても尚、小物な俺が顔を出す。冗談めかして脅しのように繰り返す「隠居」や「隠棲」は紛れもない本心だ。ときどき、無性に、逃げたくなる。それも何故か、最も新参者である黒田官兵衛には見透かされているようだが。

 どこまでが己の意志で、どこからが歴史に流されているのか、もう分からない。

「とーたま」

 頭をなでなでされて、幼い娘を片腕に乗せていたことを思い出した。


『もう、お殿様は仕方ない人ですね』


 少しだけ困ったような、嬉しそうな声が聞こえた気がした。

 まだ藤が咲く時期には早い。安土城の庭に拵えた藤棚はまだ蔓が伸びていなくて寂しいくらいだが、最初の花は共に見られるだろう。見事な枝ぶりを披露している桜は、小牧山から運ばれてきた。

 やや冷たい風が吹いて、お藤の前髪を掬い上げていく。

 白い肌に残る古傷は、いつ見ても痛々しい。よく効く傷薬や湯治も試したが、完全に消すことは叶わなかった。あと十年もすれば裳着だ。いつまでもおかっぱ頭ではいられない。顔に傷があるから嫁の貰い手はないだろうと安心する俺は、ひどい父親だろう。

 生まれたばかりの永姫は最近、よく笑うようになった。

 その可愛らしさに乳母だけでなく、傍仕えや小姓たちも虜になっていると信忠が訴えてくる。お市の幼い頃も似たような感じだった。帰蝶によく似た美人に育つこと請け合いだ。

 信忠が弟妹を可愛がるのは、俺に似たのか。信長の子だからか。

「ようやく、だ」

 舅殿への約束を果たせる。

 まだまだ俺のやるべき仕事はなくならないが、楽隠居できなさそうだということは何となく予感があった。どちらにせよ、七年先まで表舞台からの退場は許されない。

 一緒に隠居すると宣言していた側近たちも、俺が残るなら残るに決まっている。

 揃ってジジイになるまで扱き使ってやろうではないか。信忠は俺の気苦労をもう少し理解すべきだ。年長者のありがたみは都市を重ねるごとに実感する。

「お藤」

「う?」

 きょとんとする可愛い娘の頬へキスをする。

 くすぐったそうに身をよじって逃げるのを追いかけてちゅっちゅしまくっていたら、逆襲だとばかりに頬に噛みつかれた。愛が痛い。


**********


 広くてよかった本丸御殿。

 御殿と呼ぶしかない大層立派な平屋建てのメインフロアともいうべき大広間に、みっしりと人間が詰まっている。織田家の重鎮から側近、そして末端に至るまでが勢揃いしているのだ。しれっと義景や長政が混ざっているのはともかく、何故に家康と氏真がいるのか。ついでに本多とか本多も末席に見つけてしまったのだが、摘まみ出したら外交問題になりそうだな。やめとこ。

 爆弾正は絶賛反抗期中なので不在。

 使者として出向いた有閑は門前払いを受けたらしいので、奴も本気ということだろう。そのせいか、信盛と長秀辺りの空気が非常にあぶない。信栄が胃を押さえている。一益の息子は初めて明るいところで見る気がする。可成と嫡男の隣に長可もいるのは、正式に信忠の側近として選ばれたからだ。

 元服前の子供たちは別室で控えている。

 秀吉子飼いの若衆が面倒を見てくれるらしいので安心だ。帰蝶は永姫を乳母に預け、いつもの小部屋で待っていてくれる。刀を持ち、隅っこに座っている小姓の隣がその扉だ。設計当初は影や護衛を潜ませておくためだと思われていたらしい。

 昔に比べると数が減っただけで、暗殺や毒殺未遂は普通にある。

 もう慣れた。いちいち嘆き悲しんでもいられないが、供養塔が増えるのは複雑だ。そのために菩提寺を安土城の敷地内に作らせたんじゃないのにな。

 皆からの注目を浴びつつ、こほんと咳払いを一つ。

「というわけで、俺は隠居する」

 途端にガクッと姿勢を崩す奴がちらほら出てきた。

 緊張しすぎても体に悪いぞ?

 長ったらしい口上とか要らないし、信忠に全権を譲り渡すといっても、実質的なものは徐々に移行していくことになる。しばらくの間は今までと変わらない。

「……父上」

 恨めしそうな視線は無視して、さっさと腰を上げた。

 入れ替わりに信忠が、俺の定位置だった場所へ腰を下ろす。俺はその背を眺められる後方に陣取った。蘭丸が素早く床几を差し出すので、遠慮なく頬杖を突く。

「私は織田秋田城介信忠だ」

 そう、静かに語り出した。

「皆も聞いての通り、父・上総介信長より家督を譲り受けた。今日、この時より織田家当主はこの私、信忠である。……未熟者ゆえ、不勉強なところも多いと思う。父上に付き従ってきた皆には物足りないかもしれぬ。だが織田家のため、守るべき民のため、誰もが笑って暮らせる未来を掴むため、皆の力を貸してほしい!」

「もちろんですよ、信忠様!」

「ええ、何でもお申し付けください」

 真っ先に声を上げたのは森長可だった。これに信栄が続く。

 若い奴らは元気でいい。宿老たちは止めるでもなく、苦笑するだけで見守る姿勢だ。やや眉を顰め、ひそひそと話をする輩の顔ぶれを見るともなしに眺めていく。諸手を上げての歓迎ムードになるとは思っていなかったから、この状況に驚きも感慨もない。

「若殿、一つよろしいか」

「何だ、信盛」

「上様は家督を継いだ際、これから何をすべきかを明確に示してくださいました。しかしながら若殿は気高き意思と理想を掲げるも、具体的に何をしたいのかを仰られない」

「それは」

「控えよ、佐久間」

 唸るように遮ったのは勝家だ。

「若殿がわざわざ説明するまでもなく、我らが敵は明白よ」

「とりあえず武田は潰す! これだろ」

 長可が自信満々で宣言すれば、別の家臣が生温い笑みを浮かべる。

「森の若武者は血気盛んでよいことだ。しかしながら上様は昨年、甲斐武田と和睦を結んだばかり。これを攻め滅ぼすのは勅命に背くことになりますぞ」

「あ、じゃあ……毛利!」

「明確に宣戦布告をしてきた上杉と異なり、先代の血を引き、家中でも一目置かれている小早川殿は上様と書状を交わす仲。ご当主が反織田の旗印を掲げたとはいえ、出雲国を諦めれば済むことでありましょう」

「出雲国の奪還と、お家再興は我らの悲願! 上様にもお約束いただいた話である。其方こそ勝手な物言いは慎んでもらおうかっ」

「その理屈でいくと、油田を手放せば北条が大人しくなると考えておられる方もいらっしゃるようですな。そこのところは、どうお考えですか?」

 ご当主殿、と正信が意地の悪い笑みを浮かべる。

 信盛の「若殿」と同じくらいに嫌味な響きだが、信忠は不思議そうに首を傾げてみせた。

「どうもこうも、北条の者にアレがどうこうできるとは思えないのだが。毒薬として使うのが関の山じゃないかな?」

 俺は頬が引き攣りそうになるのを何とか堪えた。

 徳川方にそれを聞かせるのは痛烈な皮肉にしかならない。石油はものすごく臭いが、黄金と同じくらいの価値がある。燃料として使う方法はまだ、欧州でも確立できていないだろう。苦労して手に入れたところで精製法も分からないなら、宝の持ち腐れとなるのが目に見えている。

 少々シスコンの気がある信忠は徳川方に辛辣だ。

「出雲国に関しても、毛利家が特別重要視しているわけでもない。交渉材料に持ち出せば、これ幸いと別なる条件も添えてくると思う。私はその条件の方に興味があるし、彼らに交渉したいと考えているのなら積極的に意見を述べてほしい」

 言いたいことがあるなら聞くぞ、と微笑む信忠は腹黒い。

 台詞をそのまま受け取るなら、油田や尼子衆の重要性を全く理解していない愚か者に聞こえる。ここで意見を述べようものなら、そいつが交渉役に駆り出されるだろう。俺は毛利輝元がバカ殿だと思っているが、あくまで前世知識によるものだ。

 本当にそうなのかは分からない。

 西軍のトップとして担ぎ上げられるほどの大大名だ。反織田派として名乗りを上げたのも、どこまで本心で言っているのやら。軍神は間違いなく、織田家とやり合いたいだけだ。最近は大きな戦がなくて暇なのだろう。越中侵攻は退屈すぎたのかもしれない。そういうもんじゃないだろと言いたいが、戦狂いには通じない。

 あるいは俺を動かすために宣戦布告したのなら、それでも厄介だ。

 織田家は幕府をひらかないし、天下統一もしない。

「野望ではなく夢なので、ここで話すことでもないと思っていたのだが。……仕方ない」

「おい、信忠」

「父上に美味しい昆布を贈りたいので、陸奥国より北の地へ手を伸ばしたい。琉球や南の国との貿易も進めていきたいので、四国や九州を足掛かりにしたい。だから目の前の些事にあまり時間をかけたくない。皆もそのつもりで動いてほしい」

「信忠!?」

「ご安心ください、父上。必ずや、らうす昆布と薩摩芋をお届けします」

 息子の笑顔が眩しい。

 こいつに大学芋の話をしたっけ。したかもしれない。最上級の昆布で炊いたふろふき大根は最高に美味い、っていう話はしたような気がする。信包たちにも俺は美味いもん欲しさに領土拡大している、と思われている節がある。

(四国の柑橘と昆布と酢で、昆布ポン酢つくれるな)

 良質な酢は貿易品にもできる。ビネガーは料理の名脇役だ。

 織田包囲網の報告を聞いた信忠が上機嫌だった理由も今、ようやく分かった。あちらから明確に敵意を示してくれたなら、こちらは遠慮なく叩き潰せる。俺がそういう流儀でやってきたから、信忠もそのつもりでいるようだ。

 ただし俺より甘くはない。たぶん、きっと、そんな気がする。





********************

安土城は6階建てと言っていますが、通常は入れない7階層部分を含みます。

信長ルームは金ペカ仕様らしい(とても落ち着かない)


ここまでお読みいただきありがとうございます。

次から新章に入る準備の為、しばらく更新をお休みします。

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