223. ノブナガ、襲われる

 東の問題は信忠に丸投げして、いざ越前ガニとはいかなかった。

 生まれて初めての旅行にワクワクしていた双子、もとい於次丸と石松丸はすっかり拗ねてしまい、お藤はお藤で「あかちゃん」に夢中だ。

 言っておくが、俺の子じゃない。

 馬鹿公方様が「人質」と称して、一方的に預けていったのだ。俺との一騎打ちはなんかこう、夕日をバックに殴り合うスポコン漫画的な何かとして片付けられたらしい。狙撃の件は完全に闇へ葬られた。双方にとってリスクしかない話だからだ。将軍の追放劇で予想していた混乱はほとんどなく、幕府がかろうじて運営していた残りの部分が織田家に移行した形になる。

 喜んでいいのかは微妙。結果的に仕事が増えた。

 帰蝶も奥様戦隊のリーダーとして、多忙な日々を送っている。織田家を影で支える女性たちの力は大きい。本当に人材に恵まれているな、としみじみ思う。

 こうしてゴロゴロできるのも、彼らのおかげだ。

(あー、久々の膝枕)

 控えめに言って最高。嫁の膝は俺専用。

 暑さ寒さも彼岸までというが、秋の気配はお祭の気配でもある。今年も賑やかに盛り上げていくぞと、あちこちで気合を入れているらしい。10月になると、岐阜城下に各地の特産物や創作料理が集められて品評会を開くのだ。

 一番人気のところには織田家のお墨付きが出る。

 貨幣文化はまだ浸透していないので、褒賞金の支払いはない。その代わりに「ノブナガ認定」の幟を掲げる権利が与えられるのだが、どいつもこいつも目の色を変えて狙ってくる。

 幟があるだけで、売り上げが全然違う。

 美食家で食道楽な織田信長が認めた味、だから絶対美味い。ということらしい。今は勝手に信長の名を借りると罰せられるため、公式幟の価値が上がっているとか何とか。

(俺は美味い飯を食べたいだけなのに。色々独り歩きしてる)

 難しいことを考えるのは苦手だ。頭から煙が出そうになる。

 そういうのは得意な奴に任せていたいのに、策士連中は何故か俺に意見を求めてくる。妙な誤解をしていたり、変なところで納得したりするので、頭のいい奴の考えることは分からない。長政みたいに、何でもポジティブに変換しちまう奴もいるし。

「お濃、早く隠居したい」

「羽柴殿に後継を譲るという話はどうなったの?」

「ん~? そりゃあ、もっとずっと先の話だ。そもそも、猿にその気が起きなきゃあ無理だしなあ。おねねなら、しっかり支えてやれるだろうが」

 松姫はどうだろう。帰蝶の仕事を引き継いで、頑張れるだろうか。

 うちの娘たちがお転婆すぎるせいか、どうにも大人しくて頼りないように思える。信忠に嫁いびり疑惑を持たれても困るので、なるべく触れないようにしているが。

「石松丸も、まだまだ小さい。猿の子飼い衆は経験が足りない。俺が言ったからって、どうこうなるもんじゃねえよ」

「でも、気にする人はいるでしょう?」

「言いたいことがあるなら、俺に言ってくればいいさ。陰でこそこそする奴は所詮、その程度ってことだ。……信忠が対処したっぽいし、やっぱり俺は何もしない」

「そう」

 白魚のような手が、俺の髪に触れる。

 いくつも年が離れていないはずなのに、帰蝶はいつまでも若く美しいままだ。実の子供である信忠を含め、多くの子供たちの面倒を見てきた母親には見えない。

 飽きもせず髪を梳く手を、そっと掴んだ。

「あなた?」

「本当は、戦場に連れていく気なんて……なかった。お前らに何かあったら恒興たちにも申し訳ないし、医療班は女の方がいいっていう根拠はどこにもない」

 白衣の天使といえば女。屈強な男よりも、女がいい。

 医療の現場には力仕事もあるんだということも知らなかった俺は、ちゃんと考えたつもりでも抜けている部分が多い。チートなのは、織田信長という存在だけだ。

 最低限の血止めと消毒と痛み止め。

 彼女たちは一人も卒倒せず、次から次へと運び込まれる負傷者を手当していったと聞いた。揃いの白い割烹着は、残らず真っ赤に染まった。おまつは次の出動までに、いくつか予備の分まで用意しておくと言っている。おねねは薬草に詳しい幸と一緒に、薬の備蓄を増やす。お冬は信包や長益へ連絡を取り、医療班の装備改良へ余念がない。

「俺はただ、思い付きで言ってみただけ。織田家を大きくしていったのは、皆の成果だ。俺は賞賛されるようなことは、何もしてない」

 もっと歴史に詳しかったなら。

 もっと武勇に長けていたなら。

 もっと織田信長らしい生き方ができていたなら。

「もっと上手く、やれたはずなんだ。俺、が」

 そこから先は言えなくて、帰蝶にしがみついた。

 今はぺったんこになっている女の腹が、大きく膨らむのを何度も見てきた。女だけが、新しい命をを育むことができる。そんな女を、戦場に駆り立てる俺はどれほど罪深いのだろう。戦がなければ、男も殺し合わなくていい。好きなだけ、女と愛し合える。

 史実の織田信長はたくさん殺した。戦ごとに人が死んだ。

 だが後世において、織田信長の功績は大いに称えられる。乱世を切り開いた男として、三英傑の一人として名を連ねる。俺はそんな男になれるとは思えない。ここまで何とか生き延びてこられたのは、皆がいてくれたからだ。

 歴史は変えたくない。未来が変わるのは怖い。

 だが理由もなく、長政たちを殺せない。そうするだけの理由がない。長政が俺に刃を向けるなら別だが、純粋に慕ってくれているのが嫌というほど分かる。

(勝頼はどうなんだ? あいつは、俺に刃を向けるのか。信忠は、松姫の兄と戦をする決断ができるのか。織田信長の子なのに、転生した俺の悪影響を受けてやしないか)

 太郎義信は、死ぬべき運命にあった。

 信忠が拾ってきてしまって、何かが変わった。たとえば奥平の使者は本来、織田家じゃなくて徳川家に向かうはずだったとか。疑惑の内容は太郎義信じゃなく、信玄の死についてだとか。

 原因はどうあれ、勝頼が家臣団を制御できなくなっているのは間違いない。

 世代交代があれば、必然的に起きる。先代が偉大であればあるほど、その影響力が大きければ大きいほどに反動が強くなる。信忠がちょくちょく俺に噛みついてくるわりに、俺の真似をしようとするのは、こういう事態を恐れているからじゃないのか。


『甘さを捨てよ、うつけ殿』


 既に病を得ていた信玄が、織田との同盟を切った時の台詞だ。

 武田は滅びるだろうと予言していた。勝頼では後ろ盾に弱く、信玄亡き後に家臣団の足並みが乱れると分かっていた。だから、二人の子供を俺に預けたのか。いらないから捨てた、とはどうしても考えられない。

 だったら俺は、武田を滅ぼすべきなのか。

(いや、無理だ。信忠に任せると言ったし、勝頼の考えもまだ分かっていない。はっきりしているのは奥平の扱いを間違えてはいけない、という一点だけだ)

 手は打った。あとは、待てばいい。

「あなた」

「お濃? どうし――…ッ」

 呼ばれて声を上げたら、柔らかいものを押しつけられていた。

(い、息がっ)

 三人いた嫁のうち、バストサイズでは吉乃が一番大きかった。

 帰蝶は全体的なバランスがいい美乳である。それこそ婚儀の頃から比べて大きく育ったような気もするが、それは間違いなく俺の功績といえるだろう。俺の嫁のおっぱいは、俺のもの。赤ん坊だった信忠以外には触らせていない。

 本能的に手が揉み始める。俺のだから、何も、問題はない。

(あ、でも、ちょっと死にそう)

 腹上死もかなり情けないが、おっぱいによる窒息死も格好悪い。

 何をやらせても並程度の武芸だが、日々の鍛錬を欠かしていない俺だ。上から覆い被さっているらしい彼女の体を、力任せに押しのけるくらいはできる。はずだが、柔らかい。揉まれて気持ちいいのか、ときどき甘い声が聞こえてくる。

 衣擦れの音が、やけになまめかしい。

(いかん、頭がぼーっとしてきた)

 そういえば最近、していない。

 お互いに忙しかったのもある。一つ屋根の下と呼ぶには大きすぎる城内では、仕事に追われて何日も顔を合わせないことだって起こりうる。そんな中で、なんとかもぎとった休暇なわけだが。

 あれっ。もしかして俺、襲われてるのか。

 いや、待て。帰蝶は具合が悪くて、倒れてきた可能性もある。

「ぷはっ」

 柔らかい重みが急に消えた。

 代わりに俺の顔を覗き込むような形で、帰蝶が近づいてくる。赤らんだ頬、潤んだ瞳にごくりと唾を飲み込んだ。薄く開いた唇の間から、赤い舌が妖しく動く。

「お、お濃さん、もしかして具合が悪いのか?」

「ほしいの」

「な、何が!?」

「あなたの、子が」

 さっきから反応していたモノを、帰蝶が愛おしそうに撫でる。

 抱き潰すと怒るくせに、誘い方がだんだん上手くなっていくのは誰のせいだ。俺のせいか。絡み合ったまま転がって、柔らかな体を下に敷く。今にも泣きそうだった女は嬉しそうに微笑み、首に腕を回した。





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この後、ちゃんと寝所へ移動しました

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