185. ノブナガ、狙撃さる
秀吉たちに後事を任せ、俺は岐阜城へ向かった。
長政の覚悟を見届けたということで、伊勢衆と三河衆も織田本隊と共に帰路へ着く。そこそこ派手な戦――しかも各地で転戦――になって満足した奴らも多い。丹波へ戻るという宗勝の別れ際の笑顔はやけに気になったが、大芝居の中身を決めたのは松永弾正である。離反のふりを唆したわけじゃないし、あんなに堂々と裏切ってみせるとは思わなかった。
並べた口上の大半が本音だとは、思う。
お芝居だ、茶番だと分かっているから笑える。
「あ~らよっと、出前」
「それ以上言ったら斬り落とす」
「フフ、それはご勘弁を。油断大敵ですよ、我が君」
言い返そうとして頬を熱がかすめた。
立て続けに銃声が轟く。どこかで鉄砲が使われているようだ。俄かに隊列が乱れ始めた。まだ近江領内、それも南近江の東山道に近い山の中である。みっしりと生い茂った木々のどこかに狙撃犯が潜んでいるのだろう。
「信長様!?」
「騒ぐな、大事ない」
「んふっ」
褒めてほしそうな顔で、伴太郎がこちらを見ている。
鋭く睨めば、激しく体をくねらせ始めたので急いで顔を逸らした。シッ見ちゃいけません、なアレだ。程なくして銃声が止み、じくじくと頬が痛みだした。
布をあてようとする手を拒み、馬を歩かせる。
強張った顔で周囲を見回していた者たちも、おそるおそるといった様子で動き始めた。伴太郎がいるなら、既に伊賀忍が始末したということだ。音を頼りに狙撃手を見つけ出したりするんだろうか。
軽やかなステップで並走し始めた奴に話しかけた。
「雑賀か」
「おそらく」
「根来衆に頼んだ件は失敗したかもな。既に六角氏と手を結んだのなら、奴らにとって織田は敵だ。暴走族は傭兵に通用しなかったか」
「見世物としてはなかなかでしたよ」
「ぬかせ」
以上、小声での会話だ。
伴太郎は弾道予測スキルでも備えているんだと思う。さっきのはわざと俺に振り向かせた感じがする。注意喚起をするにしたって、俺がオーバーリアクションを取ったら掠り傷で済まなかったはずだ。つくづく読めない忍だと思う。一益もそうだったが、俺のことをよく観察している。
「御屋形様ああぁ、おーやーかーたーさーまー!」
土埃ならぬ雪埃を巻き上げて、騎馬の一団が見えてきた。
「稲葉、稲葉でございますぞ。御屋形様ああぁあ!」
「止めますか?」
「自分で止まれるだろ、さすがに」
近江国は広い上に、琵琶湖もある。
追い詰められた久政たちがどこから逃げても捕まえられるように、あちこちへ兵を潜ませておいたのだ。琵琶湖西岸には尼子衆、守山から近江路にかけて稲葉一鉄親子といった感じである。長政が浅井家中をまとめきれず、南近江になかなか手が回らないのは知っていた。
「おお、御屋形様。ご無事でございますか!? って、ああ! ご尊顔に傷がっ」
「やかましい。掠り傷だ」
「何かあったのですか、稲葉殿」
「貴様、藤八郎とかいったな。其方が傍近くにおりながら、御屋形様に傷をつけるとは何事ぞ!? その身を盾にしてお守りいたすのが小姓の務めであろうっ」
「ぎゃあぎゃあ喚くな。大事ないと言っている」
「しかしですな」
「一鉄、三度言わせる気か」
ぐうっと詰まる頑固一鉄。あ、文字が違うな。
良通から名を改めただけで隠居するつもりはなく、喜々として戦線に出てきた戦馬鹿だ。先の上洛戦では活躍できなかったため、六角氏が相手ならばと守山の防衛を名乗り出ていた。
「先刻、あやしい奴らがこの森に入ったと報せが入りましてな。これは素早く退治せねば御屋形様の御身に危険がと思い、駆け付けた次第でござる」
「少し遅かったな」
「ええ、全く。しかしながら、視界が悪うございます。また御身を狙う輩が残っていないとも限りませぬ。そこの頼りない小姓に替わり、わしが護衛いたしましょう」
「相手は鉄砲の使い手だぞ?」
「しからば、この槍で!」
「父上……恥ずかしいから、もう止めてください」
呆れた顔の稲葉ジュニアからツッコミが入った。
美濃三人衆は織田へ臣従した経緯が経緯だけに、とにかく戦功を逸る傾向が強い。媚びなんだか素なんだか分からないヨイショ発言も多く、俺もかなり辟易させられていた。今度は息子と喧嘩し始めたので、これ幸いと置いていくことにする。
とにかく、一刻も早く帰りたいのだ。
将軍家に関わるようになってから、戦の在り方が大きく変わった。戦に勝てたら嬉しいし、負けたくないと常々思っている。死ぬかもしれない恐怖、大事なものを危険にさらすプレッシャーは何度味わっても慣れるもんじゃない。
城でじっとしていられないから、前線に出向いていく。
俺にできないことを子供たちにやれ、と言っても無理なのは分かっている。頭では理解しているが、お冬と奇妙丸には困ったものだ。あの二人は、自分たちの立場をちゃんと理解しているかもしれないから厄介なのである。
彼らのお願いは、限りなく命令に近い。
だから断れるわけがない。慶次に限り、面白がって同行した可能性が高いか。あの暴走族も、慶次とつるんでいた奴らが混ざっていた。よくもまあ、旗指物の数を揃えてくれた。それから良い馬と、馬の扱いも長けている奴らばかりだ。
「戦力にはなる、が。俺の手に負えんな」
奇妙丸に従ってくれるなら、それもいい。
『結果を出せばいいってもんでもねえんだぞ』
あの台詞は、痛かった。
馬鹿犬と呼んでいるが、利家はデキる奴だ。
正式に家督を譲られてから、前田家で苦労して学ぶところもあったのかもしれない。
先々代の利昌は、前田家中が丸く収まったのを見届けてから逝った。そして利久は剃髪して蔵人入道と名乗り、今では前田家の顧問役である。おまつが生んだ犬千代をえらく可愛がって、可愛がって、お冬の婿の座を虎視眈々と狙っている。年齢差を考えろよ。姐さん女房になるじゃないか。
お五徳も家に残っていたら、モテモテだったんだろうな。
うん、於次丸が男でよかった。
**********
岐阜城へ戻ってから、怒涛の政務ラッシュ。
まずは長政と義景が織田家臣の名乗りを上げたことから、近江・越前の統治体制を抜本的に見直す。側近たちを現地に置いてきてしまったせいで、基本から俺が説明しなくてはならなかった。特に越前国が酷い。長政も反信長派に邪魔されて、織田流農法がなかなか浸透できなかった苦労を漏らす。
うん、愚痴なんか聞かねえからな?
飢えることほど辛いものはない。死ぬのが怖い、なんて考えている余裕もなくなる。俺は自分で体感したわけじゃなく、生きながら死んでいるような民と過ごしたことがあるから分かるのだ。
まずは二人に尾張国内を視察させた。
百聞は一見に如かず。
長政は噂に聞いた那古野村で大きな衝撃を受け、岐阜城へ戻ってくる頃には真っ白になっていた。お市が声をかけても反応しなかったくらいだから、相当なものだ。義景も似たようなものだったが、一乗谷城から駆けてきた小少将に一発もらって正気に返っていた。
美濃の女は、強い(帰蝶含む)。
義昭の再三にわたる上洛命令は無視。
だってアイツ、勝手に元号を「元亀」に変えやがったんだぞ。その時、俺たちは戦後処理の書類と死闘していたってのに! コピー機もパソコンもない時代、書類作成はもちろんオール手書き。日付を直すためだけに、一枚まるっと書き直さなければならない。ちぎって貼るなんて以ての外、修正ペンを開発しようか本気で考えた。
全部だぞ、全部!
元号が変わったらしい四月付で発布された、ありとあらゆる書類の全てを一から書き直さなければならないのだ! 四月って何の季節か分かりますか。田植えですよ。新しく加わった近江以下三国ともに農業の技術が遅れている(織田基準)。
長政は近江全域に浸透させると言うが当然である。
だがしかし、だがしかし!
急ピッチで進められている各種事業、検地などの地道な検査などの全てに日付が書き込まれる。そもそも元号を変えられるのは天皇だけだ。義昭は朝廷へ奏上し、それが認められたっていうことになる。せめて事前に「元号変えたい」くらいはあってしかるべきだ。
全ては後の祭り。
即ちブラック織田家再臨。
現当主である俺を筆頭に、織田領内の城はろくに寝ていない奴らで溢れている。勘定方は土木現場と化し、淀んだ空気が溢れだしているので誰も近づけない。俺も最近、家族の顔を見ていない。くそう、我が子に忘れられるかもしれない恐怖は何年ぶりだ。おのれ、お手紙公方!
テンプレート様式が定着していなかったら、どうなっていたか考えたくもない。
「殿、今日も京から書状が届いております」
「手が離せん。読み上げろ」
「あ、はい」
噂をすれば義昭かと思ったら、光秀だった。
松永弾正の謀反劇場に参加してくださった皆々様は知らぬ存ぜぬを貫いているものの、ろくに何も知らされずに慌てて出陣した
卑怯な手段とか嫌悪しそうだからなあ。
松永弾正を諫めようとしたら、俺の命令だと言われて、真犯人は貴様かとばかりに怒り狂っているようだ。そのうち岐阜城へ突撃してくるかもしれない。
「本当に来たら義景んとこへ蹴り出そう」
光秀は越前国に知り合いがいるようだから、使わない手はない。
俺の臣下じゃないから何だというのだ。義景も立派な共犯者である。風紀委員か学級委員長のノリで取り締まる気なら、関係者全員に聴取でも何でもすればいいのだ。
俺は知らん。
「殿! 公方様から此度の働き、実に見事。
「俺はしらーーーん!」
「あっ、殿!? どこへ――」
そんなのカモメにでも聞いてくれ。
ホップステップ正四位。
弾正の位は自称も多いが、律令制度の中では監察や治安維持などを司る官職だったらしい。うちは代々弾正忠家を名乗っていたから、そんなのは気にもしていなかった。遡れば神職であったご先祖様を思えば、仏教だキリスト教だと騒ぐのも馬鹿馬鹿しい。
「義昭め、俺用の嫌がらせを覚えやがって」
ギリギリと歯が鳴る。
権力嫌いだと分かっていて、勝手にランクアップさせるなんて効果はばつぐんだ。既読スルーにキレて実力行使とか、どんな暴君だっつの。そんな子に育てた覚えはありませんよ、全くっ。
「だ、大丈夫だ。まだ公家じゃない……」
座り込んで頭を抱え、ぶつぶつと念仏を唱える。
従三位から貴人扱いだ。正四位にも上と下がある。
あんな白塗りお化けにはなりたくない。何度も上洛したが、今川何某みたいに男化粧なんかしなくても大丈夫だった。こちとら田舎侍ナメられてナンボと思っていたのもある。礼装もいくつか仕立てて、山科卿から公的な装いとやらも学んだが、剃るのと塗るのは違う。
顎に触れたらザラザラした。
このまま伸ばしたら、立派な武将髭に育たないものか。帰蝶がいない日は吉乃や奈江が丁寧に剃ってくれるので、ザラザラした感触は実に久しぶりだ。かの美髭公みたいになったら、ふっさふさのお髭だ~とか言って子供たちにモテないかな、無理かな。
「ふふ、ふへっ、ふへへ」
「ひぃっ」
一人で笑っていたら、城女中に逃げられた。
まあ、仕方ない。寝不足なので目の下にクマを飼っている。美形に生まれなかった代わりに、親父殿譲りの凶悪面が期間限定で顕現していることだろう。もう織田信秀の顔を覚えている者もかなり減った。俺も、もうすぐ四十だ。
「ああ、トシのせいか」
妙に納得する。
たかが数日、されど数日。
確実に体の衰えは進んでいる。どの辺りが最盛期だったのかはどうでもいい。子が育ち、巣立ち、伴侶を得る。平手の爺や親父殿、舅殿が叶えられなかった爺孫の触れ合いを、俺はこの手で堪能することができるのだろうか。
じっと手を見る。
シワだらけの枯れ木みたいな手に見えて、ギョッとした。
また、じっと手を見る。
「だ、大丈夫だ。シワはない。指紋と見間違えたんだ」
安堵しながら、ふと顔を上げた先に誰かがいた。
微妙な顔をしながら、俺を見ている。やや首を傾げ、苦笑の混じった表情はどこか困惑しているようにも思えた。間の悪いといえば、そうなんだろう。
若くはないが、老けてもいない。
春という季節に合わせたセンスのいい着物が、小洒落た渋メンというフレーズを思い出させた。前世の俺は、そうやって比べられては嗤い者にされてきたのだ。近しい者ほどヨイショしてくる今の俺とは真逆だった。
「誰だ」
老人のようなしゃがれた声がする。誰だ、これが俺の声か。
「この城が誰のものか貴様、分かっているのだろうな?」
じろりと睨めば、臆することなく見返してくる男。
誰何しながらも相手の素性をなんとなく、察している俺がいた。
********************
これより元号が「元亀」に替わります。
蛇足:
官位は将軍(幕府)が勝手に決めていいものではなく、天皇(朝廷)の認可が必要だったようです。正親町天皇は弟の一件(延暦寺)もあり、ノブナガを懐柔しておきたい気持ちは義昭と通じるものがあり……「昇格すれば喜ぶ」という誤解もあります。義昭は嫌がらせでも何でもなく、働きに応じた正当評価を与えたいだけなんですが、もちろんノブナガには、その思いが通じていません。
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