【挿話】 その頃、奇妙丸は
以後、奇妙丸視点のお話は【挿話】となります
それ以外の他者視点は【閑話】で、番外は【断章】と分けております。ただの気分的なものなので、そーなのかーと流してやってください
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とっくに美濃を出て、甲斐国へ入っているはずなのに。
「はあ」
「おうおう。人の顔を見て溜息吐くなんざ、ご挨拶だなあ?」
「ああ、すまない。まだまだ己が甘かったことを反省していた」
「じゃあ、帰りましょうよ。若様、今すぐ帰りましょう!」
涙目で縋る子供を見つめ、奇妙丸は首を振る。
「ダメだ」
「若様の言う通りだぜえ? お前らは、ここで身ぐるみ剥がれてお陀仏様。そこの男の恰好した女は生かしといてやるよ。だが、すぐに死なせてくれって泣くことになるかもしれねえなあ」
「死ぬは極楽。生きるは地獄ってか?」
「ぎゃはははっ」
下卑た笑い声に、形の良い眉を寄せた。
相手は十人ほどの盗賊集団だ。これまでに遭遇した奴らと違うのは、全員が禿げ頭であることだった。鉈や鈍器でなく、槍や刀を持っている。毛皮の下に見える着物は、どこか身丈が合っていない。奪ったものを身に着けているのだとしても、全員禿げなのはどういうことか。
顎に手を当てて考えようとした矢先、落ち着かない声に呼ばれた。
「若様、もういいよな。いいよな!」
「いいよ」
「よっしゃあ!!」
「と、跳んだ?」
「なっなんだ、あの小僧は」
驚いて空を振り仰ぐ暇などあるものか。
盗賊の頭上を軽々と越え、振りかぶった棒きれが数人をまとめて薙ぎ倒す。まさかそうくるとは思わなかったのだろう。じわじわと囲みを狭めていたせいで、巻き込まれる者が続出した。
「聞いて驚け、ハゲども。奇妙丸様が一の家臣、森勝三たぁ俺のことよ!」
「あーあ、名乗っちゃった」
苦笑する女顔の男、半兵衛の隣でプルプル震えている子供が一人。
「…………が、……だ」
「甚九郎? どうかし」
「一の家臣は私だ! お前は三番目だろうっ」
「生まれた順番なんか関係ないね!」
叫びながら棒きれを振るい、次から次へと盗賊を転がしていく。
ようやく我に返った盗賊が慌てて構えようとした槍を、身なりのいい少年・佐久間甚九郎が弾いた。いや、抜きざまに槍の柄を斬ったのだ。長さが半分以下になった槍をヤケクソになって突き出すも、甚九郎は避けるどころか頭から突っ込んでいく。目を剥いた盗賊が倒れ、甚九郎は腰の刀を改めて抜き放った。
「そうじゃない。私は若様が幼い頃から、下の世話までしていた」
「おれぁ、一緒に厠で語り合った」
「眠れないと泣く若様をお慰めした」
「馬で駆けっこした」
「木に登って降りられなくなったのをお助けした」
「大殿の甘味壺をこっそり食べて、並んで叱られた」
「もうやめてくれ!!」
奇妙丸が悲鳴を上げる頃には、盗賊全員が地に伏している。
あちこちでうめき声が聞こえるのは殺さず、気絶させただけだからだ。奇妙丸に縋りついている平八はともかく、大人たちの出番が全くなかった。半兵衛と利治は年齢の割に肉が付きにくい体質だったが、常人以上の使い手である。
利治は体術を得意とし、半兵衛は脇差を使う。
槍や刀も扱えなくはないが、こちらの方が合っているのだ。武士らしくないと笑われても、彼らは気にも留めない。武士の誉は、主君の「すげえな」という一言で十分だった。
彼らの主君は、奇妙丸ではない。
是非にと頼まれたので、それに従っている。彼ら自身、織田家の次期当主を育てる一助になるならと前向きに請け負った。その結果がこれである。きっと今頃、指示した本人は頭を抱えていることだろう。
息子は息子で、過去の恥ずかしい話を暴露されて真っ赤になっている。
「甚九郎!! 私に不満があるなら、直接言えばいいだろっ」
「いいえ、若様? 不満などあるわけがございませぬ」
「ぼくは騙されないぞ。甚九郎は半介の息子だからな」
「は、はあ、確かに私は佐久間家の嫡男ですが」
「おーい、若様。そんなことよりも、ハゲを縛っていいのか? また何か聞き出すんなら、適当なのを叩き起こすぞ」
「あ、全部縛っていい。平八、手伝ってやれ」
「はいはい、分かりましたよ……」
ブツブツ文句を言いながら、平八が手際よく縄をかけていく。
梶原家に養子として迎えられた彼が、どうして奇妙丸たちと行動を共にしているかといえば。そもそもの発端は勝三にあった。森家がようやく授かった嫡男は当初、織田家の小姓として城へ上がる予定になっていたのだ。ちょうどその頃、梶原家からも小姓候補が出された。
勝三が城内を歩いていると、座敷童をくっつけた子供を見つけたのだ。
思わず走り出そうとした途端、父・可成によって阻止されたので事なきを得た。座敷童をくっつけた子供が梶原松千代、座敷童にしては大きすぎる子供が平八。どうやら松千代と離れ離れになるのが嫌で、強引にくっついてきたらしい。結局は正式に小姓として採用されたのが松千代だけで、勝三と平八は子供の遊び相手に回された。
勝三はがっかりした。
元服を前にして、憧れの大殿の近くにいられる。身の回りの世話をさせてもらえる。期待を裏切られた不満は、信長が可愛がっているという息子に向けられた。
もちろん、奇妙丸はそんなことを知るはずもない。
訳の分からないことを叫んで暴れる子供は、弟妹で見慣れていたというのもある。二つ年下というのもあって、初対面から勝三を「弟分」として認識した。勝三はそれも気に食わない。思いつく限りの勝負を挑んで、ほとんど負けた。奇妙丸には二年の長がある。もっと鍛錬を積めば、勝てるかもしれない。だが奇妙丸は、勝三をすごいと褒めるのだ。
一緒に頑張ろうとまで言われて、すっかり絆されてしまった。
面白くないのは甚九郎である。
それこそ奇妙丸がろくに喋れない頃から付き合いがあるのに、後からやってきた子供が大きな顔をするのが納得いかない。知り合って間もないのに、主従の関係を越えた絆が芽生えつつある。これも大変気に入らない。年長者として、勝三に臣下たる者の心得を言い聞かせねば、と思っていたら平八が来た。
奇妙丸に振り回される甚九郎を憐れみ、遊び相手を用意してくれたのはありがたい。
勝三と平八は正反対の性格だった。勝三はいじめっ子ではないが、自分ができることは他人もできると思い込んでいる。奇妙丸が何でもできるせいで、甚九郎が諭しても全く聞かない。奇妙丸ができすぎるのだと言ったら、信長の息子だから当然と言われた。否定できなかった。
そんなある日、奇妙丸が憧れている人を知った。
元斎藤家臣・竹中半兵衛重治。今孔明と呼ばれ、美濃平定の際には何度となく織田軍を苦しめた天才軍師だという。三国志の劉備が大好きな奇妙丸は、いつか諸葛亮のような軍師を迎えたいと言っていた。
半兵衛は天才かもしれないが、頭がおかしい。
信長に仕えたいと言って稲葉山城を土産に持ってきたのに、信長が相手をしてくれないからと言って菩提山城にこもってしまった。これに慌てたのは木下秀吉で、どうにかして織田軍の軍師として戻ってもらえるように説得するようになった。
というのが表向きの話。
実際は全く違っていて、義龍の代から荒れていた土地の問題を解決するという重大任務を与えられたらしいのだ。新参者にそこまで期待をかけるのだから、やはり今孔明の名は本物だ。実母・帰蝶の末弟である新五郎利治に頼んで、奇妙丸も菩提山城へ向かった。
そして、とんでもない話を聞いた。
近くに比叡山延暦寺という天台宗の寺があるのだが、そこの僧は堕落しきっている。修行を放り出して鳥獣肉はもちろん、酒や女に現を抜かす日々。信長は一向宗しか気にしていなかったので、完全に盲目だった。できれば信長が気付かないうちに、この問題を片付けておきたい。
まるで内緒話のように打ち明けられ、奇妙丸はわくわくしてきた。
更には東美濃の国境にあやしい動きあり。
どうやら信長の態度にしびれを切らした信玄が、揺さぶりをかけてきているらしい。信玄の治める甲斐国は上杉、北条、今川と接している。これらの国について、半兵衛は簡単に説明してくれた。
まず今川家だが、義元の死後に勢いをなくしたと言われている。現当主・氏真は凡愚と蔑まれているわりに、国内はそれほど乱れていない。三河国が独立した後も、駿河・遠江両国を統治下におく守護大名の地位は変わらない。噂だけを信じるのは危険、という良い見本である。
次に北条家だが、これはとても厄介な相手である。血族の団結力は固く、領民にもよく慕われている。情に厚く、果断な処置にも定評がある。半兵衛をして、敵に回したくない国の一つであると締めくくられた。
そして上杉家はもともと長尾家を名乗っていたのが、当時の関東管領の後を継いだ。父は北陸に勢力を伸ばす一向宗によって殺され、兄の急逝によって家督を継いだものの、家臣たちに腹を立てて毘沙門堂にこもるような男である。内政面では家臣たちの尽力が大きく、輝虎本人は毘沙門天の化身を自称するほどの戦上手だ。
そんな輝虎とよく戦い、長く反目し合っているのが甲斐武田家である。先に挙げた三家と違い、実父を追い出して家督を継いだ。一度大きな敗北を経験してから戦い方が変わった、と半兵衛は言う。この変化がなければ、とっくに信濃国人衆から見放されていただろうとも。
これらの戦国大名で、最も勢力拡大に意欲的なのが武田家だ。
戦をする理由の一つに、甲斐信濃には平野が少ないことを挙げる。山に囲まれた盆地は水田にはあまり向かないし、沿岸部に比べて土地そのものが高いところにある。純度の高い金の精製方法を編み出したものの、海がないために流通の便が良くない。
尾張国に海があるという利点を、奇妙丸は全く考えもしなかった。
半兵衛の話によって、視界が一気に広がったのである。
今思えば、父である信長が城の外で遊んでいたのもちゃんと理由があった。父の大きな背中は、あらゆることを貪欲に学び、体験し、吸収してきたからなのだ。そんなことも気付かず、父のようになりたいと言っていた己が恥ずかしくなった。
海のない土地には、塩が何よりも貴重で重要な品物だ。
塩は金塊であるという言葉が、今の奇妙丸には理解できる。もっともっと様々なことを知りたくて、ちょくちょく半兵衛の所へ行っては話を強請った。叔父の新五もまた、父の密命を受けて各地を巡っていることを知った時にはズルいと思った。
そんな中、叔母・お市の縁談について知った。
美濃から更に西へ向かった先の、近江国・浅井家に嫁ぐことになったらしい。そんな遠くに行ってしまったら、大好きな叔母と二度と会えなくなる。父はどうして、可愛い妹を嫁にやる決意をしたのだろうか。女は適齢期を過ぎると「行かず後家」と呼ばれるらしい。
大変な侮辱である。
それに相手の浅井長政は、何度も父のもとへ足を運んでいた。直に人柄を見て、話しをした上で決断をしたのなら奇妙丸は何も言わない。お五徳のこともそうだ。三河国の徳川家康といえば、奇妙丸も何度か話をしたことがある。
落ち着いた雰囲気の優しそうな人だった。
その人の息子なら、お五徳も大切にしてくれるだろう。彼女は父と違って、たった一人を愛してくれる夫がいいと常々言っていた。乳母たちは「幼くても女」と笑っていたが、自分なりに譲れない何かを持つことは大事だ。父の受け売りである。
だが、自分はどうだろう。
甲斐国の武田信玄については伝聞でしか知らない。
信玄は父のことを信じて、娘を嫁がせる決心をしたのだろう。父も信玄を悪く言いながらも、武将として高く評価しているらしい。松姫も親の良いところを受け継いで、優しくて思慮深い女性だと思う。叔母たちの真似をして頻繁に、といかないまでも月に一回は文を交わしている。このやり取りがなかったら、松姫に会いたいと思わなかったかもしれない。
奇妙丸は、彼らに信頼に応えられる人間だろうか。
いや、今までは嫡男として立派にやっている自信があった。
去年までの己を思い返すだけでいたたまれない。顔から火が出そうになる。
父はいつでも褒めてくれたが、それで満足してはいけなかったのだ。奇妙丸と同じ教育を受けている甚九郎は、ときどき父と話し込んでいることがある。小坂宗吉という傳役がついた茶筅丸も、最近は人が変わったように勉学を励んでいる。
だから奇妙丸は旅へ出ることにした。
見聞を広めるために。
「奇妙丸様、奇妙丸様」
「はっ」
「大丈夫ですか?」
心配そうに平八が覗き込んでくる。
その後ろには、縛られた盗賊たちが一纏めにされていた。縄が足りなかったようで、何人かは腰帯で縛られている。利治と勝三は武器を集めているようだ。目が覚めた盗賊が縄を切るかもしれないし、全て没収するのがいい。
捕らえた盗賊は最寄りの砦か城、あるいは豪族に預け、武器は売った。
奇妙丸たちが誰か分からず、胡散臭そうに顔をしかめる者には半兵衛が証書を見せる。半兵衛に美濃国内の問題を収めさせるために、信長が出した朱印状だ。流麗な筆跡は素晴らしく、腹をぼりぼり掻いて大の字で草原に寝転がる人間が書いたとは思えない。
それよりも、と奇妙丸は青い空を仰ぐ。
「いつになったら、甲斐国へ行けるのやら」
「平八、文句を言うなら帰れ!」
「怖いから嫌だっ」
地図を片手に、ちゃんと東へ向かっているはずだ。
当初の日程を大幅に越えているのに、自分たちはまだ美濃国内にいる。溜息の一つや二つが出てきても仕方ないではないか。今日会ったばかりの盗賊に嫌がられる筋合いはない。
「それはですね。若様が盗み、拐しの話を聞く度にすっ飛んでいくからです」
「だって半兵衛、放っておけないよ……」
奇妙丸は肩を落とす。
路銀が尽きれば、父のように野宿で凌ぐつもりだった。だが危険すぎると皆に怒られて、渋々宿を借りることにしたのだ。そこで聞こえてくるのは様々な噂話で、半兵衛はよく聞き耳を立てている。真面目そうな利治もだ。
二人に理由を聞けば、情報収集の一環だと答えた。
人が集まる場所には噂も集まる。火のない所に煙は立たぬといって、何もないのに噂が広まっていくことはない。意図的に広められた噂もあれば、誰かがもらした秘密もある。
盗賊の件は大抵、この噂話から特定した。
「やはり延暦寺の僧兵だった」
盗賊の受け渡しに行っていた利治が戻ってきた。
金を受け取りながら、半兵衛があからさまに顔をしかめる。
「うわあ。堕落したっていう話、本当なんだ」
「ダラク?」
「修行なんかしたくなーいって、遊んだり悪いことをしたりすることですよ。ううん、でも比叡山は近江にも近いしね。できれば、信長様の耳には入れたくないかも」
「同感だ。こんな遠くまで女を攫いにくるとは」
「一向宗かな」
「一向宗だろう」
大人二人で分かり合っているが、子供たちはサッパリ分からない。
信長に命じられた任務なのに報告したくない、というのもおかしい話だ。信長に対する裏切りにならないのか、職務怠慢にあたらないのかと奇妙丸は質問した。
すると半兵衛が悪戯っぽく笑う。
「言わないのと、黙っておくのは違うんですよ」
「……よく分からない」
「いいんです、若様はそれで」
「良くないぞ」
「そーだそーだ! おれたちもサッパリ分からんが、隠し事はよくないぞっ」
「か、勝三、止めなよ。竹中様には何か考えがあるんだから」
「策か!?」
「若様、勝三。そこで顔を輝かせない」
竹中半兵衛の神算は、いつかこの目で見たいと思っている。
元服して、初陣に出る時には半兵衛や利治も傍にいてほしい。もちろん、甚九郎たちも一緒だ。もう一人いるのだが、挨拶に来てくれた日以来見ていない。年の近い子供たちでは彼だけが唯一元服を許された。それも奇妙丸を守るためだと言われてしまえば、文句も出ない。
盗賊退治など、戦に出ることを考えれば楽なものだ。
捕らえられていた女たちを解放し、奪われた金品を元あった所へ戻す手間はちょっと大変だが。人々に感謝されるのはまあ、悪くない。善行は心を豊かにする。
「んじゃ、若様の世直し旅ってことで!」
「違うからね!?」
「於八はいちいちウルサイぞ。ついでに甲斐国の盗賊もやっつけて、虎親父の評価も上げれば一石二鳥! どうぞどうぞ、ウチの娘を可愛がってくださいって……グフフ」
「勝三のお嫁さんじゃなくて、奇妙丸様のお嫁さんだってば」
「おれも嫁がほしーい! ……ハッ」
突然、勝三が固まった。
彼は野生の勘が働くので、すわ敵襲かと皆が身構える。
「信包様の奥方は、伊勢の国境で危ないところを助けられた縁で嫁いだらしい! いける、おれにもいけるぞ。フフ、フハハハハッ」
「皆、行こうか」
「そうですね」
甚九郎が頷き、高笑いする勝三は一人置いてけぼりをくった。
半日ばかり遅れて追いついた彼は、我に返るまでずっと笑っていたのだろうか。真相を知るのは森の生き物たちと勝三本人だけである。
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一向宗の門徒(本願寺)と、天台宗の僧兵(延暦寺)は仲良くないらしい
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