147. 長男不在でもいつも通り

 大事の前の休息は大事である。

 あれ、なんか言葉おかしくないか? 別にいいか。

 俺が主君命令で休暇をもぎとってきたわけじゃない。家族とゆっくり過ごしてくださいと家臣団から説得おねがいされたので、仕方なく二の丸へやってきた。途中からスキップしそうになったのは内緒である。

「お濃、お濃、お濃、お濃」

「父上、父上、父上、父上」

「お冬……うるさい」

「ごとくちゃんにはあげないもーん」

「きぃーっ」

「二人ともうるさい、から」

「賑やかですねえ」

 嫁三人、子供四人という楽園である。

 ちなみに膝枕をする帰蝶、俺の腹にくっついているお冬と吉乃、覚えたての足ツボマッサージをする奈江、見張り番の茶筅丸、そして芋虫兄妹という内訳だ。お冬と吉乃は血が繋がらないのに食べ方がよく似ている。

 こう、両手で包んでチマチマ食べるんだよな。

 甘党家族の中で唯一の辛党である茶筅丸は、米菓が最近のマイブームだ。

 ばりんぼりんと音を立てながら、妹にダメ出しをする矛盾は誰も指摘しない。のほほんと幸せコメントをする吉乃には、もう奈江も諦めモードだ。水を差すどころか、しっかり巻き込まれると学習したらしい。

「三七はともかく、お五徳まで奇妙丸についていこうとしたのはなんでだ?」

「なんで三兄は良くて、わたしは駄目なの!?」

「そこが駄目なんだよ」

「だんそんじょひだわっ」

「……父上、お五徳に変な言葉を教えないでください」

「今は反省している」

「あなた、膝から降りてちょうだい」

「ごめんなさい!?」

 最近の帰蝶は沸点が低い。

 昔はまだ可愛い部分が多くて、クーデレデレだった気もする。以前は周囲に意見を求める度に呆れた顔をされたので、今回は一人で悶々と考えている。吉乃や奈江の膝もそれぞれ長所はあるんだが、考え事をするなら帰蝶の膝が一番だ。

「いだぁ! 奈江。そこ……は違う、たぶん」

「あらそお? 効いてるから痛いんだと思うけど」

「いひょお!?」

「父上、いひょお」

 きゃらきゃらと笑うお冬は、今日も可愛らしい。

 本当にお冬とお五徳は生母を間違えたんじゃないか、と思うくらいに性格が真逆だ。気が強くて誰でも睨んでしまうお五徳よりも、おっとりしていて誰にでも笑顔を振りまいてしまうお冬の方が城内の人気も高い。タイプの違う美女の卵は病もなく、すくすく成長している。

 三七とお五徳が何故芋虫かといえば、もちろん脱走防止だ。

「全く、懲りん奴らだなあ」

「だって……」

 不満げな芋虫兄妹にそれぞれデコピンをくらわす。

 途端に目を輝かせたお冬が、俺の真似をしようとしたので慌てて止めた。目は止めろ、目は。目玉は回復しないし、鍛えられない部位の一つだ。真っ青になった三七がガタガタ震えている。

「お前たちだけで城を出ても、妖怪か幽霊か盗賊に捕まって終わりだぞ」

「父上、説得力があるのは三つ目です」

「幽霊はいる! たぶん!」

「怖い話はやめてよっ」

 悲鳴を上げた奈江が帰蝶にしがみつき、俺は膝から転げ落ちた。

「そこは俺に抱き着くところだろ?」

「嫌! 大喜びして怖い話を始めるからイヤっ」

「わたしは平気」

「冬も~」

「茶筅は苦手」

「……三七、余計なことは言わなくていい。いやらしい顔は止めてください、父上。存在しないものを、まるで存在しているかのような作り話は理屈に合わず、理論的に説明するのが苦手というだけで話そのものが嫌だとかそういうことではありません」

 いるよな、こういうの。

 オカルト駄目な理由をひたすら説明する茶筅丸真面目くんは、墓穴掘りまくっている自覚はあるんだろうか。ないんだろうな、まだ子供だから。年の近い四人はまとめて世話されていたせいか、妙な連帯感がある。一度に喋り始める彼らのため、俺は聖徳太子になりたい。

「そんなことよりも奇妙丸様、心配じゃないの?」

 俺が冷静すぎて不自然だ、と奈江は眉を顰める。

「奇妙丸は大丈夫だ。伊賀衆が守っているし、新五もいる。半兵衛はおそらく、東美濃で騒ぎを起こしている原因が甲斐国にあると睨んだんだろう。織田家嫡男がいれば、奴らも下手な小細工を使えなくなるからな。甚九郎たちには、実戦経験を積む良い機会になるんじゃないか?」

「その心は」

「俺も一緒に旅へ出たかった!!」

 途端に家族の視線が生温くなった。

 お五徳と三七は賛同してくれるかとおもったのに、こちらもしらーっとした目を向けている。解せぬ。それどころか、お冬が「ぼっしゅー」と座布団を引き抜いていった。仕方がないので、再び帰蝶の膝へ戻る。振り上げられた手を掴めば、その滑らかな手触りに我を忘れかけた。

「あなた」

 頬ずりを止めさせようとする彼女を、じいっと見る。

「お濃が知らないわけないよなあ? 旅に出ることを、奇妙丸は真っ先に相談してきたはずだ」

「そんな!? 濃姫様は一言も……っ」

「怒るなよ、吉乃。お濃が許可したんだから、奇妙丸は大丈夫。むしろ、一度旅に出るべきだと考えたからじゃねえのか?」

「ええ」

 ゆっくりと息を吐き出しながら、帰蝶は白状した。

 奇妙丸は利発な子供だが、狭い世界しか知らないのは今後の障害になる。かつての織田家とは違うのだ。奇妙丸が城の外へ出るだけで、何人もの護衛をつけなければならない。与えられた知識は所詮、与えられたものだ。自分から求め、学び、手に入れる喜びには劣る。

 帰蝶は俺と一緒に城の外を見て、それを知った。

「まあ、それはともかくとして」

「え?」

「俺の留守を狙って飛び出した以上、処罰は免れない」

「やだ! 兄上を殺さないで!!」

 今度はお五徳が真っ青になって、俺に飛びついてきた。

 芋虫状態なのに跳躍したぞ。三七がびたんびたんと跳ね始めて、お冬の打撃ハリセンをもらっている。いつの間に量産されたのかは聞かないでおこう。ひょっとしたら奥様戦隊の初期装備かもしれない。

「あのなあ、五徳。俺が、大事な長男を殺すわけないだろ?」

「だ、だって父上を怒らせると、すっごく怖いから」

「身内には甘い人ですから、安心なさい。それに上総介様のお話は最後まで聞くものですよ」

「は、は……い」

 帰蝶が優しく諭しているのに、お五徳は涙目だ。

 つい悪い想像をしてしまったからだと思っておこう。

「まあ、処罰はするけどなー」

「やだあああぁ!!」

「あなた」

「たとえば流鏑馬で的のど真ん中を十回当てるまでやらせるとか、家臣十人抜きとか、孫子暗唱させるとか」

「兄上は孫子暗唱できますよ」

 あー、これはあれだ。

 寝物語のネタが尽きて、適当な軍略書を読んでやったせいか。他にも颯斗に乗れば十本中一本は真ん中だとか、織田家嫡男に手加減しない家臣の方が少ないから十人抜きは簡単だと言われて、さすがの俺も顔を引きつらせた。

「……さ、三国志を暗唱」

「できます」

「出木杉君コワイ!! とにかく、何らかの成果を持って帰ってくるのは間違いないから心配していないっ。今後のことを考えると奇妙丸が岐阜城にいない方が安全、だ……」

 やばい、口が滑った。

 ほのぼの家族団らんはどこへやら、重苦しい沈黙が部屋を支配する。さすがにお冬まで不安そうにキョロキョロし始めて、母と一緒に帰蝶へ抱き着いた。だから、どうして俺にくっつかないんだ。

「また戦、ですか」

 ぽつりと吉乃がこぼす。

「それで、いつ出立するの?」

「奈江……子供たちがいるのに」

「子供がいるからよ。何回も縛るわけにいかないでしょ」

「奈江母さま! 失礼なこと言わないで。あたしだって学習するのっ」

「ぼく、城の周辺を探索したい」

「あら、いいわね」

「三七! お五徳!」

 茶筅丸が小姑みたいになっているのは、傳役の影響だろうか。

 家族水入らずの時間を堪能したかったので、乳母や傳役には席を外してもらっている。宗吉は岐阜城へ移ってくる際、ほとんど単身でやってきた。供連れを数人程度に抑えたのは、伊勢方面への警戒をするためだ。

 側近たちから始まった武家屋敷の通例は、徐々に広まりつつある。

 本拠地を長く留守にしていると、知らぬ間に乗っ取られているかもしれない。下剋上が珍しくなくなったご時世では、そういう不安を訴える家臣も少なくなかった。だが定例評議会で得られる情報はとても役立つし、ずっと武家屋敷に滞在しなければならない法もない。

 どうやって統治していくかは、本人次第なのだ。

「そういえば、父上」

「どうした、茶筅」

「来月から上条城に招かれているのですが、どうしましょう? 三七やお五徳を連れて行くと、お冬だけが岐阜へ残ることになってしまいます」

「冬、ちゃんとお留守番できるよ?」

 こてんと首を傾げる末娘に、全く信用していない兄弟たちの視線が集まる。たまに思うんだが、子供の成長ってこんなに早いのか? 現代日本なら、まだ小学生だぞ。

 独り立ちするのが早すぎるだろ。

 いや、庶民層だったら7歳くらいで働き始めるか。

「兄上は言っていました。私と同じ年頃には城主としての勉強を始めていた、と」

「いや、奇妙丸は嫡男だから……」

「父上は常日頃から、兄を補佐できる人間になれと言っておられます。その言葉に矛盾するものはしょーふくいたしかねます!」

「茶兄、言えてないよ」

「しょーふく? 茶筅はしょーふくの出」

 三七のぽやっとした発言に、側室たちの顔が強張った。

 ほほう? うちの大事な家族に、いらぬ世話を焼く輩がいるようだな。お冬が「おもしろいかお」と笑うので慌てて表情筋をこねくり回したが、お五徳が今にも泣きわめきそうになっている。

 ふよふよ動く口に、麩菓子を詰めた。

「ふごおっ」

「あ、お五徳。ずるいムグ!? ん、まーい」

 うちの子ちょろい。

「お冬」

「なあに?」

「美味しいお菓子をくれるからって、知らない人についていっちゃダメだぞ。吉乃もまだ体調が万全じゃないから、奈江と一緒に見張っていてくれな?」

「はい、父上」

「もうっ、いつまでも病人扱いしないでくださいませ」

「長く寝込んでいたのは事実でしょう? 心配させた自覚があるのなら、上総介様の言葉に従いなさい」

「うう、申し訳ありません。お濃様」

 相変わらず吉乃は、帰蝶に懐いている。

 マッサージの褒美に奈江を撫でつつ、俺は菓子をめぐって喧嘩を始めた子供たちを眺めた。俺が手ずから与えたことで、お八つ解禁になってしまったらしい。背伸びした物言いをする茶筅丸も、なんだかんだで食に対する欲求は強い。幼い頃から美味い物を食べさせていると舌が肥える、というのは本当だった。

 尾張からも、子供用に菓子の献上物が届く。

 タダでもらうわけにいかないので相応の代価を払っているが、そのうちにお冬が「米がなければ豆菓子を食べればいいじゃない」と言い出しそうで怖い。早めに琉球貿易を確立させよう。

 砂糖の価値はまだまだ高い。

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