143. 花嫁行列

 永禄10年(1567年)3月吉日、とうとうその日がやってきた。

 かなり複雑な気分だが、拠点を岐阜城に移しておいて正解だったかもしれない。城門の内外に溢れた花嫁行列は、肝心の花嫁の籠がどこにいるのか分からないくらいの混雑ぶりだ。試算と物品の内容を知っているはずの側近たちですら、呆れはてて何も言えない。

「懐かしいのう」

 ぽつんと零れた声に、俺を含めた皆の視線が集まる。

 感慨にふけっていて気付かないのか、注目の的となっている秀吉は静かに笑った。その眼差しは遠く、花嫁行列じゃない何かを懐かしむ。

「みんなが信長様に釘付けじゃった。あの蝮でさえ、すぐには声が出んかったっちゅう話じゃ。わしはあの列に馬廻として参加できたんが、一番嬉しくて誇らしかった」

「ああ、あれか! 正徳寺の」

 利家が気付いて、側近たちが「あー」という顔になった。

 それぞれに甦る思いは違うのだろう。

 十人十色の表情を見やり、俺はそっと息を吐く。武家に生まれたからといって、何でも武で解決させるわけじゃない。時には見栄とハッタリも必要だ。あの頃は借金だらけで、津島商人ともそんなに親しくなかった。手当たり次第に声をかけて、大法螺を吹いて、やっとの思いでかき集めた俺だけの精鋭部隊を引きつれて、内心でビビリながら舅殿の待つ正徳寺へ向かった。

 馬の背で考え事をしている様は、かなり異様だったらしい。

 舅殿にノゾキ趣味があると知っていたら、町に入った時点で正装に着替えていたものを。後から聞かされて焦る俺に、かえって家臣たちの度肝を抜いたぞと笑う舅殿は、まさしく乱世の雄と呼ぶに相応しかった。

 ふむ、と顎を撫でる。

「長康!」

「お呼びでしょうか、我が君」

「そこの長持から適当なのを一枚見繕え」

「お市様のご衣裳は既に決まっておりますよ。殿が羽織るのですか?」

「他に誰がいる」

「ふふ、分かりました。……腕が鳴りますねえ」

 絶句する側近たちをチラと見やり、長康は行列に紛れ込んだ。

「本気?」

「まだ皐月だし、片袖を抜くには寒すぎるだろ」

「あのね、そういう問題じゃないから」

 信純は額を抑え、何やら呟いている。

 そして我に返った恒興が口を開こうとした時、お市の支度が整ったとの報せがきた。女たちが一気に増えて、籠までの道が通る。

 白無垢に身を包み、大きな角隠しを被ったお市が現れた。

 侍女に先導されながら、しずしずと歩いてくる。俯いているせいもあって顔は見えないが、これほど美しい嫁をもらえる長政は果報者に違いない。ずっしりと重い衣装を引きずりながら、お市は真新しい履物に足を入れた。

 その歩みが、俺の前で止まる。

「お兄様」

「市、綺麗だぞ。最高に綺麗だ」

「ありがとうございます。お兄様に褒めていただくのが、一番嬉しいです」

 いつもよりも白い肌に、とろりと赤い唇が艶めかしい。

 俺は愛する妹から目を離さず、出した手に短刀が乗るのを待った。刀鍛冶・加藤清忠最後の仕事だ。粟田口吉光の銘がある「藤四郎」の一振りを鍛え直してもらった。黒鞘には螺鈿の織田木瓜が入っている。

 親父殿の代わりに、俺がお市のために誂えた。

「お市」

「はい、お兄様」

 目の前で鞘をはらい、刀身をしっかりと見せる。

「長政がお前の夫に相応しくないと思うなら、これで殺せ」

「……お兄様?」

「夫として相応しいとお前が認めるなら、この刀で守ってやれ。それが浅井に嫁いでいくお前への、最初で最後の命令だ」

 お市はたおやかな手で、柄を握りしめた。

 太陽の光が刀身に反射して、出立間近の花嫁行列を映す。黒い鞘に全て納められると、キンッと高い音が鳴った。角隠しのせいで、彼女の表情は分からない。

「確かに、承りましたわ」

 その後はお市が籠に入るのを待って、俺を含めた同行者たちが馬に乗る。

 見送りには奇妙丸も出てきていた。一緒についていくと言い張っては困らせてくれたが、帰蝶が説得してくれたようだ。今日も帰蝶の隣で、唇を引き結んでいる。

 吉乃と奈江も、子供たちと一緒に見送りだ。

 茶筅丸の視線が白頭巾に釘付けなのは、まあ仕方ない。ぽかんと開いたままの口の端から涎が落ちそうになっていて、茶筅丸の乳母が手ぬぐい片手にハラハラしている。

 その白頭巾が、俺を見た。無言で、頷く。

「出立!!」

 相変わらず恒興の声はよく響く。

 ゆっくりと動き始めた花嫁行列は厳かに、そして整然と城門をくぐっていく。俺は先頭に近いところで馬を進めていたが、後方で何やら騒ぎが起きているようだ。

 おいおい、出先から何だよ。

「叔母上! お元気で!!」

「……あの、馬鹿息子」

「うつけの息子らしいのう。今度から、うつけの若様と呼んで――」

「聞こえているぞ、猿」

「うひぃっ」

 足軽大将までのし上がったくせに、馬廻をやりたがる男が飛び上がった。

 俺の愛馬は驚くどころか、高らかに嘶いた。嘲笑に聞こえるな。

 人間くさいのは仔馬を産んでからも変わらず、やや気取った足取りで街道を行く。最近は疲れやすくなって長距離は控えていたのに、今回だけはどうしても連れて行けと強請られたものだ。

 馬の寿命は、人間のそれよりもずっと短い。

 最後の花道として花嫁行列を選んだのだとしたら、粋な馬である。

 俺の無茶な戦いぶりにつき合わされながらも、ちゃんと城まで戻ってきた。古傷もあちこちにある。心なしか艶の欠ける鬣をそっと撫でたら、余計な気遣いは無用とばかりに睨まれた。

「分かった、分かった」

 俺が笑えば、愛馬かのじょは鼻を鳴らす。

 人間年齢に換算すれば、馬の方がずっと年上だ。歴戦の女武将が「若造めが」と顎をそらしているような幻を見て、俺は一人首を傾げた。そっち系の趣味もないはずなんだがな?

 長政のいる小谷城へは、岐阜城から西方向だ。

「伊吹山の向こうに、琵琶湖があるんだったな」

「なんでも海のように広うて、舟で渡ると聞いたことがありますのう」

「琵琶湖の渡し舟か」

「あの、悪いことは言わんので……急がば回れとも言いますし」

「ふははっ、俺は船酔いを(薬で)克服したのだ!」

「そりゃめでたいのう。わしにはあの辛さがちっとも分からん。お慰めする度に八つ当たりされる理不尽からも解放される……いやあ、めでたい」

「おい、そこの禿げ鼠。口は禍の元、って言葉を知ってるか」

 俺が月代を止めたので、秀吉も剃るのを止めていた。

 老いてますます盛んなエロ猿と伝わっていたはずだが、なかなか生え揃わない頭部は可笑しなことになっている。助兵衛は髪がよく伸びる、は迷信だったらしい。

 すっかりフサフサに戻った俺と違い、貧相な頭を慌てて隠す秀吉。

「ひ、人が気にしていることを!」

「揃わねえんだから潔く剃れ。月代は武家のステータスだぞ」

「いや、そんでも信長様や利家は伸ばしとるのに」

 秀吉は恨めしそうに後方を見やる。

 遠目にも派手な柄模様が見えるので、あの辺りに利家がいるなと分かる。俺が長康に羽織を用意させたと聞いて、すぐ右へ倣うところが馬鹿犬らしい。俺の場合は目印になって、寒さもしのげる。籠の周囲を固める侍女たちが風邪をひかないように、気を配らなければならないな。

 花嫁行列はとてもゆっくりとしたものだ。

 嫁入り道具が野盗たちの標的になりやすいので、滝川一族と伊賀衆にも協力を頼んだ上で哨戒も続ける。一定の緊張感が続く中、体調を崩す者が出てきてもおかしくない。

 こまめに状況を報告させつつ、俺は鮮やかな染模様が生える袖をはためかせる。

 何度目かの宿で、白頭巾が話しかけてきた。

「三郎」

「なんだ? まだ近江に入ったばかりだぞ」

「お前に刀をやろうと思ってな。臣従の誓いみたいなものだ」

「いらねえよ、そんなの。元将軍様に傅かれるとむず痒い」

「なんだと!? 織田家に入ることを認めてくれたのではないのか」

「その場の気分で臣従したって後悔するぞ。期待を裏切られてガッカリするのがオチだ。今回の用が済んだら、西でも東でも好きなところへ行っちまえ」

「そのことだが、覚慶と話をした」

 面倒事の空気を察知。

 俺は外を窺ってから襖を閉め、手慰みに読んでいた書物を閉じた。義輝は持っていた刀を置き、白頭巾を脱ぐ。互いに座布団のない畳へ胡座をかいた。

「急いで結論を出す必要はないぞ。細川様が何を考えているか知らないが」

「我ら兄弟で幕府を潰す」

「……決めたのか」

「ああ」

 俺が岐阜城を留守にしている間、色々話し合ったという。

 義輝がいたので、覚慶はそもそも将軍の地位に関心がなかった。将軍家の習わしとして、嫡男以外の男児は寺へ入れるらしい。だから互いに存在は知っていても、まともに会話をしたのは岐阜城滞在時が初めてだというから驚きだ。いきなり捕らえられて大和国興福寺に幽閉された覚慶は、そこで将軍が暗殺されたことを知った。

 細川様が救出しなければ、覚慶も殺されていた可能性が高い。

「三好家は自分たちのことしか考えておらぬ。各地の戦乱を仲裁するどころか、火に油を注ぎかねん。それは三郎、お前も避けたいところであろうが」

「まあ、な」

「ゆえに覚慶は還俗して義秋と名乗り、15代征夷大将軍となる。そして逆賊どもを討ち果たした暁には、将軍位を返上する。世の中は混迷を極めるであろうが、必ずや天下泰平に導く者が現れる。お前に会うて、余は確信した」

「そうか。頑張れ」

 ぽんっと肩に手を置けば、義輝がぐりんと振り向いた。

「余を手伝ってくれぬのか!? だから話したのだぞ」

「三好家とやり合うことになったら、色々面倒なんだよ。堺商人たちが困るし、六角氏が元気になっちまう。そうすると長政が近江統一できなくなって、お市が苦労するじゃねえか」

「む、む……っ」

「だから刀もいらん。あんたに残された武器を人に預けようとするな」

「本当にいらぬのか? 足利の宝刀、三日月宗近だぞ」

 ほれほれっと掲げられた太刀を視界に収める。

 とんでもなく素晴らしい刀なのは、鞘から抜かなくても何となく分かった。できたての刀にはない、重く淀んだ空気を纏っている。平然と握っている義輝がちょっと信じられない。

 脳内で断り文句を捻くり回して、ふと思い出した。

「雨墨。将軍は死んだが、足利の姓まで捨てることはないだろ」

「どういうことだ?」

「兄弟で幕府を潰すんなら、兄が足利のままじゃないと可哀想じゃねえか」

「……確かに」

 納得した様子の義輝が太刀を下ろしてくれたので、俺は安堵した。

 太刀の存在感もさることながら、国宝級の刀を所持したくない。桶狭間記念に刻印をした左文字と同じ運命を辿らせたくないし、俺は天寿を全うするつもりでいる。実用性あってこその刀であって、飾って愛でるようなものじゃない。

 茶道具だってそうだ。使ってこそ、道具として存在できる。

 魚屋与四郎のくれた茶碗は「天目茶碗」という名品で、今井と天王寺屋からも茶碗が贈られた。いらないから好きな奴にくれてやると言ったら、恒興と信純に全力で説得されるような品である。投降してきた美濃国の豪農、土豪も忠誠の証だと言って刀を献上してくるし……一体、どうしろっていうんだ。

 どうせ贈られるなら美女が――もとい、嫁たちからのプレゼントがいい。

「しかし困ったな。刀以外で何か」

「いらねえって言ってんだろ」

「我が名は雨墨。刀一本で生きるもののふよ。命を救われた恩は、命で報いる」

「だが、ことわ」

「拒否は認めぬ」

 分かった。最初からその心算だったのだ。

 もう少し東山道を進んだら、京へ向かう覚慶たちと別れる。雨墨にはその護衛を頼んだので、今夜しか話せる機会はないと思ったのだろう。三日月宗近を受け取らないと分かっていて、話のついでに引っ張り出しただけだ。存在感ありすぎて、そっち方向に顔が向けられない。

 大事な妹を嫁がせるだけでも気が重いのに、また何を背負わせてくれるのか。

 重くて、重くて、俺の方が先に潰れそうだ。

「とりあえず義昭、じゃねえや。義秋様を無事送り届けてくれ。京には細川様がいるから大丈夫だと思うが、うっかり敵討ちするんじゃねえぞ。必ず、その機会は作ってやるから」

「手伝わぬと言っていなかったか?」

「俺は身内に甘いらしい。元将軍・義輝様の手助けはしたくないが、白頭巾の雨墨は俺の刀だからな。場を整えるくらいはしてやるよ」

「三郎!」

「ぐえっ」

 俺はその日、感極まった男に絞め落とされるという屈辱的な方法で眠りについた。

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