7. 政略結婚

天文17年(1548年)になりました

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 親父殿から呼び出しを受けた。

「うへえ。今度は何言われんだろーな、っと」

 侍従に案内され、当主の待つ部屋へ向かう。

 この時代の一般的な親子関係がどうかは知らないが、織田信秀は要件がある時にしか俺と会わない。生みの親である土田御前も同様だ。というか、彼女はかわいい信行むすこをかわいがるので忙しいらしい。夫が冷たいから依存している可能性もあるな。側室との間に、また子供が生まれたって聞いたし。

 俺も冷たいか? あの二人は親、っていう感じがしないんだよなあ。

 少なくとも信行は、母親によく懐いている。

 妹のお市はどうかといえば、乳母をはじめとする女衆が蝶よ花よと育てているそうだ。俺もたまに顔を見に行くのだが、可愛らしい笑顔で「にーたま」と呼んでくれる。妹可愛い。めっちゃ可愛い。絶世の美女ならぬ、絶世の美幼女だ。

 女衆が嫌がっても、お市が歓迎してくれるならにーたま頑張れる。

 相手は修羅の国の人でも負けない、きっと。

「お呼びでございますか、親父殿」

「三郎、嫁をとれ」

「…………は」

 うん、なんだって? ヨメ?

 いやいや、落ち着け俺。三郎は俺、ノブナガ。ぴっちぴちの15歳。現代人だった俺の感覚が、結婚なんてまだ早いと喚いている。初恋もまだだっていうのに、嫁?!

「それで相手は、どこの……」

「美濃の蝮よ」

「まむし」

 マムシって、あのマムシだよな。俺でも知ってる美濃のマムシさん。

 平手の爺によれば、松平・今川家とやり合った後に斎藤利政(後の道三)とやり合っている。なんでも守護職・土岐氏が追放されて尾張国に逃げてきたから、これを支援するための出陣だったとか。大垣城を奪って稲葉山城まで攻め込んだが、マムシに追い返されたという話だ。

「和睦の条件に婚姻ですか」

「仮にも嫡男に、どこぞで子を作られても困るからな」

 いや、和睦の条件として俺が引き合いに出されたんだろ!

 俺だってあちこち遊び歩いて、舎弟たちも使って情報を集めている。

 国内外の情報はもちろん、美濃の情勢も知っているんだからなっ。道三と息子・義龍は不仲、という気になる噂もある。当てずっぽうに情報をかき集めても時間の無駄だから、平手の爺にちょくちょく話を聞くようにしている。

 それにしても、濃姫の嫁入りはこのタイミングだったのか。

 美濃の将来を憂いたとしても可愛い娘を敵地へ送るなんて、俺は絶対に嫌だけどなあ。そもそも「尾張の大うつけ」に娶らせようなんて、博打もいいとこだ。いや、俺のことなんだが。

「五郎左に感謝せよ」

「え?」

 五郎左って、鬼五郎左のこと?

 しばらく姿見ないと思ったら何やってんだ、長秀あいつ

 もっと詳しく聞きたかったが、話は終わりだと言わんばかりに追い払われた。食い下がれば怒りの暴投がくるのは分かりきっているので、大人しく従う。痛いのヤダ。

 部屋を出ると、平手の爺が待っていた。

「若様」

「どうした、爺。親父殿に用か? 俺はもう済んだから入れよ」

「いえ、若様にお話が」

「俺?」

 まあいいか。

 と促されるままについていけば、縁談の話だった。

 なんと平手の爺が、美濃の斎藤利政と和睦の話をとりつけた立役者というのが判明した。五郎左は爺のことだった。さすが爺、すごいぞ爺。うちの傅役、有能すぎ。

「よく和睦までこぎつけたな。俺の初陣は稲葉山城攻めだと思ってたぞ」

「若様は、尾張の未来を背負って立つお方。大事な姫をお預かりするに何ら不足なしと訴えましたところ、利政殿も若様に対して常々興味を抱いていたらしく」

「待て待て待て!」

「ほほ、照れずともよいではありませぬか。蝮の娘とはいえ、なかなかの器量良しという評判ですぞ。若様も年頃なのですから、幼い姫様ばかり構っていては格好がつきませぬ」

「俺の妹が可愛くて何が悪い!」

 むしろ世界一可愛い。宇宙一可愛い。

 弟も思いっきり可愛がりたいのだが、周囲の邪魔と反抗期のせいでままならないのだ。他の弟はまだ小さいとか、側室の産んだ子供だからとかで会わせてくれない。せめて愛らしい妹で癒されたいと思うのは人間心理として普通だ。何もおかしくない。麗しい家族愛だ。

 最初に覚えた言葉が「にーに」である。

 その事実を知った晩は、感動のあまりに眠れなかった。

 熱く語りまくる俺を、平手の爺はとっても生温い目で見守っている。

「若様」

「ぜえはあ…………なんだ、まだ聞きたいか。俺の妹の可愛さを!」

「そのようなことを、信行様にもお伝えすればよろしいのではないでしょうか」

「!!」

 爺、天才か。

 思わぬ天啓に目を見開けば、爺は厳かに頷いてみせる。あの蝮の道三、もとい斎藤利政をも和睦の席につかせた男の言葉だ。万に一つも間違いはないだろう。

「分かった、行ってくる!!」

「斎藤家の姫様に、ご挨拶の文を送るのもお忘れなきよう」

「分かった!」

 その場のノリで飛び出した俺だが、冷静になった途端に青ざめた。

 前世では嫁どころか、彼女もいないまま終わったのだった。それなのに本人も知らないうちに話が進んでいる政略結婚。拒否はもちろん不可。美濃国との和睦が決裂しかねない。平手の爺の努力も水の泡だ。

 いやだって蝮の娘だぜ?

 初夜に短刀握っていたとかいう話をどこかで聞いた。気に入らなかったら、この短刀で殺して美濃へ帰ってこいとか父親に言われた云々。

 結婚相手は俺、ノブナガ。ちょっと待って、まだ死にたくない!

「兄上? 酷い顔色ですが、また父上に何か言われたのですか」

 今度は信行か。

 待ち伏せしていたように廊下でバッタリ会ったな。

 取り巻きの姿が見えないことを不思議に思いながら、俺はぎこちない笑みを浮かべた。死ぬのは怖い。濃姫怖い。閨で殺しに来るとか、まるでくのいちじゃないですかやだー。

「ああ、言われたといえば言われた……」

「……っ、そうですか。お叱りを受けるは当然。兄上が普段の行いを改めないからです。廃嫡する、とでも言われたのでしょう?」

「ん? 俺は信行が好きだぞ」

「な、にを馬鹿な……そんな戯言で、僕が絆されるとでも思っているのですか。甘いですよ、兄上。僕を好きでいてくださるのなら、次期当主の座をください。兄上は織田家の存続など、どうでもいいと思っておられる。家督を継ぐことの意味を、ちっとも理解しておられない!」

 胃の中を吐くように、一気にぶちまけた。

 俺はそんな信行の姿を呆然と見る。なんか初めて本人の言葉というか、本音を聞いた気がするぞ。そっか、うん。そうなんだな。

「信行も苦しんでいるんだな」

「はっ、おかしなことを。重責から逃げ出した苦しみなら、自業自得ですよ。あなたに対する失望を、何度も聞かされる辛さが分かりますか。どれだけ陳情を受けても、訴えられても、次期当主でない僕には何の権利もない。何もしてあげられないんです!」

「何を訴えられたんだ、信行。治水工事の遅延か? それとも先日の長雨で落ちた橋の修復についてか」

「え」

「ちなみに年貢の取り立てについては、庄屋と交渉中だ。来年の収穫には間に合わせる予定だが、まず何がどこで滞ってるのか分からなくて難儀している」

「は、あ?」

「違ったか。ん~、じゃあ何だろうな。俺が知っている案件は農民関連で、商売まで手が回ってないんだ。ごめんな」

「あ、あに……兄上!? あなたは一体、何をなさっておられるのですか」

「仕事」

 嫡男って案外忙しいんだよなあ、知らなかった。

 ちなみに親父殿から直接言い渡されたのは、鉄砲の件だけだ。他はサボり……もとい、散策中に直接訴えられたので解決せざるを得なくなったというか。日吉も農民代表として色々頼みこんでくるの困る。ああ、早く天才軍師がほしい。

 あれ? 稲葉山に今孔明いるんじゃなかったっけ。

 親父のやつ、今孔明に負けたのか。なにそれ羨ましい。

「仕事、って……騙そうったってそうはいきませんよ!」

「いやいやマジだから。実際に解決するべく動いているのは俺の舎弟たちだから、仕事の割り振りが俺の仕事かなあ」

「そんな、まさか。私は父上から何も言われていないのに」

「ああ、それから山賊討伐も何件かあるんだが、腕の立つ暇人に心当たりないか? 規模が小さくて陳情が却下されたらしくてさ。斥候によれば、元武士くずれが賊に身を落とした集団が厄介なんだよ。俺がもっと強ければ真っ先に潰してくるんだが」

「嫡男が何を言っているんですか。正気ですか!?」

 あれ、怒られた。

 さっきまで呆然としていたのに、すっごく怒っている。俺、何か変なことを言っただろうか。真面目君の考えることは分からんよ。

「やはり兄上は、次期当主に相応しくありません」

 俺もそう思う。

 うっかり頷きそうになるのを、かろうじて堪えた。

 ここで同意してしまったら、それこそ跡目争いで家臣たちを巻き込んだ兄弟喧嘩に発展してしまう。家督を継がずに済むなら是非そうしたいが、信行では荷が重すぎる。

 修羅の国の人を主として仰いできた家臣たちにとって、信行では温い。

 そして若いくせに頭が固くて融通が利かない。数年前までは素直でいい子だったのになー。正義感が強くて真っすぐな気性といえば聞こえはいいが、権力を握りたい奴らにとっては扱いづらくて仕方なかろう。ちなみに俺は傀儡にもならない「大うつけ」なので問題外。

 平手の爺が苦言を呈しつつ、サボりを戒めなかった理由がそこにある。

 実は城内よりも、外の方が安全なのだ。

 これも舎弟情報なんだが、俺って命を狙われているらしい。城内で出される食事には当然、毒見役がつく。この毒見役が毒を仕込んだりする。犬千代が野生の勘で気付いて以来、なるべく外で食べるようにしている。

 川で魚釣ったり、山で鳥獣を狩ったりするのも慣れた。

 っていう話をしたら信行のやつ、もっと怒るんだろうなあ。嫡男らしくないとかなんとか。暗殺対策だって言っても信じてもらえなさそう。

「うーん、参った」

 ぽりぽりと頭をかきつつ、肩を怒らせながら去っていく背を見送った。





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若様ご一行:城下町の名物。身分の隔てなく話が通じる相手なので、民からの評価が高い。とある事件を解決して以来、若様本人に相談しにくる人間が出てきた。

万千代チェックを通過するのが条件

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