6. 俺と鉄砲と弟

 天文15年春、俺たちは元服して史実に知られる名前となった。

 烏帽子親と呼ばれる元服時の世話役には、織田家でも影響力を持つ重鎮たちが名を連ねる。結婚式の仲人や名付け親と同じ理由で、俺たちには頭の上がらない相手となったわけだ。

 吉法師改め、織田三郎信長。

 通称が分かりやすい名前で安堵したのは、ここだけの話である。

 これで素行を改めるだろうという周囲の思惑は見え見えで、もちろん最初のうちは大人しく振る舞ってやった。いつの間にか元服の儀を終えていた弟の信行が、やけにツンケンした態度をとるのが気になる。

 こいつは真面目な性格だから、遊びまくっている兄が納得いかないのだろう。

 勝手に一週間に区切って五日間勉強していたんだが、教育係の沢彦を城に呼ぶことはあんまりない。そんなわけで俺はほぼ毎日外に出ていたし、信行は土田御前と共に古渡城で暮らしているから顔を合わせることもない。

「放蕩がすぎると、政秀が嘆いていましたよ。少しは嫡男らしくなさってはいかがですか」

 わざわざ的場まで追いかけてきての小言だ。

 爺が嘆いているのは、頼ってくれないっていう部分なんだがな。平手の爺は尊敬しているし、個人的にも好きだ。それでも主君の命令には従えない。俺のことは親父殿に適宜報告していると思う。だから言えないし、言わない。

 俺としても「うつけの三郎」の噂は史実通りで安心している。

「兄上! 聞いておられますかっ」

「聞こえているとも。なあ、信行」

 は、と返事しかけた声が発砲の音にかき消された。

 鉄砲はいい。

 確実に命中させなくても、大きな音で人馬を怯えさせることができる。弓のように鍛え続けた筋力を必要とせず、女子供でも扱える。

 そして命中すれば、ひとたまりもない。

 急所なら死ぬ。それ以外でも苦しみのたうち、掠めただけで火傷をする。種子島銃はまだまだ発展途上だ。火縄も銃身も、更なる工夫が不可欠になる。

 一発撃って、代わりを預かる。

 既に火薬を仕込まれた火縄銃はじりじりと音を立てる。

 狙いを定め、引き金を引く。

 ばぁんと爆ぜて、信行が飛び上がらんばかりに反応した。耳栓をしていないのに近くにいたから、頭の芯まで響いただろう。完全にびびっている。それでも目が合えば、虚勢で取り繕って怒った顔を向けてきた。

 うんうん、えらいぞ。ポーカーフェイスは大事だよな。

「城にお戻りください。遊びはここまでです」

「遊び?」

「そうですっ」

「俺が遊んでいるように見えると、そうか。なるほど、なるほど」

 くつくつと笑う。

 片膝をついて控えていた小姓が顔を引きつらせていた。

 修羅おやじに似ない地味顔では恐怖伝説なんて無理だろうと思いきや、どうにも血は争えないらしい。悪役になりきって振る舞えば、十分に周りが勘違いしてくれる。将来、俺や俺の大事な奴を殺す運命を呪うだけで簡単に憎悪がわいてくる。

 そうだ、信行の取り巻きも呪うリストに入れておこう。

 俺の弟が素直でいい子なのを利用して、あることないこと吹き込んでいる節がある。史実通りに後継者争いに発展したらどうするんだ。俺は信行を殺したくない。

 とかなんとか考えつつ、火縄銃のチェック続行。

「兄上!」

 少年らしいキンキン声が頭に響く。

 せっかく弟の方から来てくれたんだし、マイナス値の好感度を上げていきたいのになー。なんで火縄銃のチェックしてるんだろなー。日頃の評価(と刷り込み)がひどすぎて、火遊びしているようにしか見えないらしい。グレるぞこの野郎。

「おい、これら三つとも修理に出せ。一つ目は縦の歪みがある。二つ目は銃口を真円に。三つめは先の二つの長所を見習った上で、再調節。仕上がり次第、俺のところへ届けるように」

「かしこまりました」

「ああ、藁で包むなよ。木綿もダメだ。燃えるぞ」

「は、ははっ」

 青ざめた顔で、裏返った声を出す小姓。

 犬千代改め、前田又左衛門利家は正式な小姓ではなかったらしい。じゃあ、ただの舎弟か。とにかく俺の元服と同時に、別の少年が傍仕えとして控えるようになった。

 貧乏くじを引かされた、などと陰でぼやいていたのは知っているぞ。

 一応は嫡男だから、とも言っていた。

「三郎様、運んでまいりました!」

「おう、そこに置いとけ。チェック……確認済みの種子島と混ぜるんじゃねえぞ。親父殿に叱られるのは俺なんだからな」

「え、父上?」

 さすがに気付いたか。信行が怪訝そうに首を傾げている。

 真面目な努力家だけあって頭がいい、俺と違って。

 優男風の細身でありながら剣術の腕がいい、俺と違って。

 だが舎弟たちの質で言えば、俺の方が上だ。物腰柔らかく丁寧な応対に家臣たちの評判もいいから、舎弟たちと引き離されることもないんだろう。年寄りどもの策でバラバラにしたつもりだろうが、俺たちの連帯力を侮っては困る。一緒に行動する時間が減った分、奴らには奴らの子飼い衆を集めるように命じていた。

 次の集会が楽しみだ。

 もちろん信行は何も知らない。ただでもダメ兄貴のイメージしかないのに、陰でコソコソ活動していることまでバレたら見限られてしまう。聞いた話は上書きが簡単でも、実際に見聞きした印象を塗り替えるのは難しい。

 せめて一緒にいる時くらいは、カッコイイ兄貴でいたいじゃん。

「安心しろ、これも仕事だ。どこぞの誰かから貰った鉄砲が、本当に道具として扱えるのかどうか確認せよとな。親父殿に言いつけられた」

「そんな、馬鹿な! 父上は兄上を殺す気ですか」

「大げさだな。ぴんぴんしてるぞ、この通り」

 そりゃあ暴発しかねない粗悪品もそこそこ見つかったが。

 親父殿の指示はそういう意味だと受け取ったし、俺はそっち方面でも素人だ。ちょっとでも形がおかしいと感じたら弾くようにしている。粗悪品の修繕は鍛冶職人がやってくれるだろ。直しても使えないと判断されたら鋳溶かせばいい。

 蓋が空いた木箱に歩み寄れば、後方からキンキン声が飛んでくる。

「兄上! 鉄砲など、武士の持つべきものではありません」

「はあ?」

「戦場で刀や槍でなく、鉄砲を持ってゆけば良い笑い者になりましょう。これ以上、織田家を貶めるのはお止めくださいませ!」

「だから依頼したのは親父殿だっつの」

「素直に受ける兄上も兄上です。何故お断りしなかったのですか」

「いや、できるわけないだろ」

 小姓が戻ってきたのを視界の端で捉えながら、袖を戻す。

 弓を放つ時の真似をして片腕を抜いてみたんだが、普通に寒かった。ぽかぽか陽気だからって甘くみちゃいけない。この時代の医学はあやしさ一杯、冷暖房設備だってないのだ。体調を崩したら、沢彦の煎じたクソ苦い薬を飲まされる。

 毒かと疑いたくなる味だ。良薬は口に苦しなんてレベルじゃねえ。

 イイコちゃんな我が弟はきっと、文句ひとつ言わずに我慢して飲むんだろうな。俺のように口直しに甘い果実を用意してくれなきゃ絶対飲まない。死んでも飲まないと駄々をこねたりはしない。一度はお市に応援してもらう策も出たんだが、その後に苦さで悶絶する俺を見て軽くトラウマになったらしい。

 トラウマの対象は薬だよな、兄ちゃんだとか言わないよな。

「……そんなことより、信行」

「何ですか、兄上」

「鉄砲、撃ってみたくないか?」

 食わず嫌いはよくないぞ。人殺しの道具だがな。

 的は半里先の案山子だ。遠く離れているためによく分からないかもしれないが、残念ながら無傷である。いくつか掠っただけで、命中していない。

 わ、わざと外したに決まっているだろ。

 マトモそうな火縄銃を選んで具合を確認。とりあえず触ってみるだけでも印象変わると思うんだが、信行に差し出しただけで逃げられてしまった。

 ついでにめっちゃ睨まれた。悲しい。

「やっぱ、嫌われてんのかなあ」

「そのようなことはありません! 三郎様は素晴らしいお方です」

 傍で補助していた小姓がクソデカボイスで叫ぶ。

「あ、うん」

 どうした、お前。

 大うつけ様の小姓とか真っ平御免でござる、って言ってたよな。

 陰口叩かれていても、俺は全く気にならない。織田家のために働いてくれたら十分なんだが。顔を真っ赤にして、媚びを売られても俺が困る。前世でダメ人間だったし、今の人生でも馬鹿にされまくっているし、おべっかを使われると戸惑ってしまう。

 あるいは親から嫡男矯正命令でも出ているんだろうか。

 褒めて伸ばすってやつだな。こうかはばつぐんだ。

「おい、飴やるよ」

「よ、よろしいのですか!?」

「他の奴には内緒な。一個しかないから」

「ありがとうございます!」

 腰の巾着から、小さな壺を取り出して投げる。

 慌てて両手に受ける小姓の必死さに、思わず笑みが浮かんだ。この時代の甘味は果物がほとんどで、砂糖は貴重品。壺の中身は水飴で、いつぞやの商人から買ってみたがめちゃめちゃ高かった。蘭丸に褒美として金平糖を与えたというから、どれだけ信長が森蘭丸という小姓を気に入っていたかが分かる。

 俺は金色の菓子が好きだがね、ふへへ。




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的場:おもに弓などの練習に使う場所(野外)

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