終章 きみでなければ駄目なんだ


「そ、そのっ、あれは……っ!」


 恥ずかしくて顔を上げられない。


 うつむき、後ずさろうとすると、逆に腕を引かれて抱き寄せられた。

 広い胸板に頬がふれた拍子に、レイシェルト様の香水の薫りがふわりと漂う。


「わたしも、同じ気持ちだ。どうしようもなく、きみに恋している」


 私をかき抱いたレイシェルト様の真摯しんしな声が耳朶じだを震わす。


 恋? え……っ、恋っ!? 誰が誰にですかっ!?


「えっ、あのっ、その、すみません……っ! 私、いまちゃんと……っ」


 ぐるぐるぐるぐると頭が回る。

 レイシェルト様の美声は確かに耳に入ったはずなのに、内容が理解できない。


「エリシア」

 心の芯まで貫くような声とまなざしが、私の視線を縫い留める。


「きみが、好きなんだ。どうか……。わたしの恋人になってほしい」


 とすり、と矢のようにレイシェルト様の言葉が突き刺さる。


 わ、私が……。レイシェルト様の、こここここ恋人……っ!?


「え? え? えぇぇぇぇっ!?」


 無理。待って。無理無理無理っ!


「そっ、そそそそそそんなっ、畏れ多すぎますっ! わ、わわわ私はただ、最推しのレイシェルト殿下を推させていただければそれだけで十分で……っ! こ、こここ恋人なんて、そんな……っ! とんでもないですっ!」


「さいおし? あの時も言っていたね」


 レイシェルト様が不思議そうに首をかしげる。きらめく金の御髪おぐしがさらりと揺れた。


「さいおしというのは、何だい?」


 最推し様に最推しの意味を問われてる……っ! え? 何これ? 最推しの最推しによる最推しのための祭り? いや、祭りは私の頭の中ですっ!


 というか最推し様のご下問に答えないなんて選択肢があろうかっ、いやないっ!


「さ、最推しというのはですね……っ! そのっ、見ているだけで幸せで、お声を聴くことができるだけで天にも昇りそうで、朝から晩までずっと想っているだけで幸せで、生きる気力の源泉で……っ」


「なら。わたしも同じ気持ちだ。……愛している、エリシア」


「はぅあっ!」


 甘やかな微笑みがクリティカルヒットする。


「わたしもきみをずっと見つめていたいし、いくらでも話していたいし、どれほど愛の言葉を囁いても足りそうにない。叶うなら――」


 レイシェルト様の端正な面輪が近づく――。かと思うと、ちゅ、と額にくちづけられた。


「こうして、きみにくちづけたい」


 い、いまっ!? お、おでこに、く、くくくく……っ!?


 真っ白な柱と化し、立ち尽くす私に、「それとも……」と、レイシェルト様が哀しげに眉を寄せる。


「真実を見抜けず、きみを傷つけてしまったわたしでは……。きみにふさわしくないだろうか?」


「い、いえっ! そんなことは決して……っ! む、むしろ殿下にふさわしくないのは私のほうで……っ!」


 千切れんばかりに首を横に振った私に、レイシェルト様もまた、かぶりを振る。


「そんなわけがないだろう。きみは愛らしくて、優しくて、勇気があって……。何より、わたしの心を救ってくれた」


 碧い瞳が、真っ直ぐに私を貫く。


「きみがわたしのそばにいたいと言ってくれたように……。わたしも、きみの隣にいたいんだ。きみがいてくれなければ……。もう、笑うことさえできなくなる」


 えぇぇぇぇっ!? レイシェルト様の笑顔が見られなくなるっ!?


 それは人類の損失ですっ! 推し様の笑顔が見られなくなるなんて、そんなそんな……っ!


 ファンとして、許せる事態じゃありませんっ!


「ほ、ほほほほ本当に、私なんかでいいんですか……?」


 レイシェルト様を見上げ、震える声で尋ねる。「ああ」とレイシェルト様が力強く頷いた。


「「私なんか」じゃないよ、エリシア。きみがいい。いや、きみでなければ駄目なんだ」


 大きな手のひらが頬を包む。


「愛している、エリシア」


 ぱくんっ、と心臓が跳ねる。


 心の奥底から、尽きぬ喜びがあふれてくる。


 胸に押し寄せる感情が、推し様への崇拝なのか、それとも恋なのか、いまの私には、まだよくわからない。


 それでも。


「私も、レイシェルト様が好きです……っ! ずっと……っ、ずっとおそばにいたいです……っ!」


 レイシェルト様を想う気持ちに、嘘偽りはないから。


「エリシア……!」


 感極まったように私の名を紡いだレイシェルト様が、とろけるような笑みを浮かべる。


「嬉しいよ、エリシア。ありがとう」


 麗しすぎる笑みに見惚れる私の視界に、端正な面輪が大写しになり。


 あたたかく、柔らかなものが唇にそっとふれる。


 ちゅ、というかすかな音を残して離れたレイシェルト様の面輪は、魅入られずにはいられないほど、幸せそうで。


 む――りぃ――っ!


 待って。ねぇちょっと待って!?

 無理。待って。尊いっ! 尊いっ! 尊すぎるぅ――っ!


 いま、私、レイシェルト様と……っ!?


「エリシア」


 蜜よりも甘く囁いたレイシェルト様の面輪がふたたび下りてくる。


 気が遠くなるほどの幸せに包まれながら、私は目を閉じ、レイシェルト様がもたらす熱に酔いしれた――。



                             おわり



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る