56 全部あなたのせいでしょう!?


「レイシェルト様っ!?」


 夢中で駆け寄ろうとした私の腕を、ジェイスさんがぐいと引く。


「待てっ! 行くなっ! どう見ても様子がおかしいだろうが!」


「でも……っ! レイシェルト様の身体から黒いもやが……っ!」


 ジェイスさんが私を背にし、庇うように前に立つ。掴まれた手を振り払いたいが、私の力ではかなうはずがない。


「黒い靄……っ!?」

「そうですっ! 早く祓わないと……っ!」


 レイシェルト様だけじゃない。会場のあちらこちらからからも、黒い靄が立ち昇っている。


「落ち着け! 騎士達は不審者への対処を! 誰か、状況を報告せよ!」


 国王陛下が指示を出す声が遠くに聞こえる。貴族達があわてふためく声や、騎士達が無武装の者達に下がるように叫ぶ声、令嬢達の絹を裂くような悲鳴が聞こえるが、それどころではない。


 ゆらりと立ち上がったレイシェルト様が腰の剣を抜き放つ。


 まるで感情が抜け落ちたかのように顔には表情がなく、全身から燃え盛る炎のように黒い靄を立ち昇らせている。


 全身を闇で染め上げたかのようなレイシェルト様の姿は、まるで闇から生れ出た騎士のようだ。


「ジェイスさん! 放してくださいっ! レイシェルト様の靄を祓わなきゃ……っ!」


「馬鹿っ! あの状態のレイシェルト殿下になんか近寄らせられるかっ! ここでおとなしく待ってろ。俺があの野郎を叩き伏せてくるから! 祓うのはその後でいい!」


 掴まれた腕を振り払おうとする私に怒鳴ったジェイスさんが、後ろに突き飛ばすように私の手を離してレイシェルト様へ駆け寄る。


 獣のうなりのような声を上げ、あてどなく剣を振り回す姿は、とても正気には見えない。私が近づいたとしても、ただ斬られるだけだろう。そんな罪を、レイシェルト様に背負わせたくない。


 駆けるジェイスさんの背を見送る間も惜しんで、私も身を翻す。駆け寄った先は、愕然がくぜんとした表情で身を震わせるセレイアだ。


「セレイア! いったいレイシェルト殿下に何を飲ませたの!? あれは……っ! 聖水なんかじゃないんでしょう!?」


「あ……っ」


 問われたセレイアがびくりと身体を震わせる。


「し、知らない……っ! わたくしはただ、アレをレイシェルト殿下に飲ませたら、望みが叶うって……っ! そう言われたから、だから……っ!」


「誰に言われたの!? それに、望みって……っ!?」


 尋ねた瞬間、セレイアに伸ばしていた指先をぱんっ! と払われる。じん、と指先に痛みが走った。


 憎しみに燃えたセレイアのまなざしが私を貫く。


「全部あなたのせいでしょう!? 汚らわしい邪悪の娘のくせにっ! なのに、レイシェルト殿下のお心を射止めようとするから! だからわたくし……っ! そうよっ! わたくしが悪いんじゃないっ! 邪悪の娘が分をわきまえようとしないからっ! 全部ぜんぶ、あなたが悪いのよ……っ!」


「セレイア……? 何を言って……っ?」


「知らないっ! わたくしのせいじゃないっ!」


 狂ったように叫ぶセレイアが底冷えする視線を私に向ける。


「そうよ、レイシェルト殿下を助けたいならあなたが助ければいいのよ……っ! 邪悪の娘なんですものっ! なんとかできるでしょう!?」


「っ!?」


 矢のようにセレイアの言葉が私に突き刺さる。


「そう、ね……」


 セレイアの言う通りだ。レイシェルト様を助けたいと願うんだったら、私こそが頑張らなきゃ……っ!


「ありがとう、セレイア!」


 まさかお礼を言われるとは思っていなかったのだろう。ぽかんとするセレイアを放って、ふたたび身を翻す。


 目指す先はジェイスさんと戦うレイシェルト様だ。


「レイシェルト! てめぇ……っ! 闇になんか踊らされてるんじゃねぇよっ!」


 レイシェルト様が振るう剣を受け止めながらジェイスさんが叫ぶ。


「勇者の血が聞いて呆れるぜ。正気を取り戻せよ! どこまでエリシアを失望させる気だっ!?」


 ジェイスさんの声に反応したように、言葉にならない叫び声を上げながら、レイシェルト様が剣を振りかぶる。


 その碧い瞳は闇に染められたように真っ黒に淀み、明らかに正気を失っている。


「く……っ!」


 上段から振り下ろされたレイシェルト様の剣を受けとめたジェイスさんが苦しげに呻く。


 まるで、剣ごと叩き折ろうとするかのように、レイシェルト様が力をめる。二人の剣がきしむような音を立てた。


 明らかに常人の力じゃない。もしかしたら、セレイアに飲まされたもののせいで、常人以上の力を無理やり引き出されているのかもしれない。


 だが、そんな風に無理やり力を引き出させられて、レイシェルト様の身体がいつまでも持つとは思えない。


 考えた瞬間、ぞっと全身から血の気が引く。


「レイシェルト様っ! おやめくださいっ! 黒い靄になんか負けないで……っ! 剣を放してくださいっ! 私が祓ってみせますから……っ!」


 私の声が届いたのか、ほんの一瞬だけ、レイシェルト様の動きが止まる。


「うらぁっ!」


 一瞬の隙を逃さず、ジェイスさんが鎧に覆われたレイシェルト様の腹部を蹴り飛ばす。騎士らしからぬ荒っぽい攻撃に、レイシェルト様がたまらず後ろによろめいた。


 その隙を逃すジェイスさんじゃない。


 ジェイスさんの剣が巻き取るようにレイシェルト様の剣を跳ね上げる。

 手から離れたレイシェルト様の剣が、がらんっ、と音を立てて地面に落ちた。


「レイシェルト様っ!」

「おいっ!?」


 ジェイスさんが止めるより早く、レイシェルト様の胸元へ飛び込む。


「お願いっ、消えて……っ!」


 レイシェルト様に縋りつき、必死に黒い靄を祓う。


 けれど。


 祓っても祓っても、奔流のように黒い靄が湧き出してきりがない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る