55 選びたい乙女は――。


「まあっ! もう一人の優勝候補の登場ね!」


 と王妃様が華やいだ声を上げる。


「でも、選びたい乙女って……」


「王妃様、ご観戦いただきありがとうございます。申しあげた通りですよ」


 王妃様に恭しく一礼したジェイスさんが、不意に私に向き直り、片膝をついて私の手を取る。


「エリシア嬢。俺の勝利をきみに捧げさせてほしい」


「っ!?」


 予想だにしていなかった言葉に、息を飲んで顔を上げる。ジェイスさんの濃い茶色の瞳が、真っ直ぐに私を見つめていた。


 何か言わなくてはと、焦る私が口を開くより早く。


「駄目だっ!」


 叩きつけるようなレイシェルト様の鋭い声が天幕を震わせる。


「そんなこと認められるわけがないだろう!? エリシア嬢はわたしが……っ!」


「わたしが……、何と言うおつもりですか?」


 たまらずと言った様子で叫んだレイシェルト様に、私の手を持ったまま立ち上がったジェイスさんが、射貫くような視線を向ける。


「あれほどエリシア嬢を泣かせた殿下に、彼女を選ぶ権利などないと思いますが?」


「っ!」


 ジェイスさんの言葉に、まるで斬られたようにレイシェルト様の面輪が苦痛に歪む。


「俺は、譲る気などありません」


 言うやいなや、さっと身を屈めたジェイスさんが、ちゅ、と私の手の甲にくちづけを落とす。


「ジェイス!」


 レイシェルト様の声が激昂にひび割れ、ジェイスさんの腕を掴んだ瞬間。


「レイシェルト様!」

 セレイアの声が緊迫を打ち破る。


「どこに行かれたかと思いましたわ! まさか、王妃様のところにいらしただなんて……」


 銀の杯を持ち、足早にレイシェルト様に歩み寄ったセレイアが、豪奢ごうしゃな白いドレスに包まれた腕をレイシェルトの腕に巻きつける。


「わたくし、レイシェルト様の勝利を祈願して、祈りを込めた聖水をご用意しましたの」


 セレイアがあでやかな笑顔をレイシェルト様に向ける。


「セレイア嬢……?」


 横入りしたセレイアに、レイシェルト様がぼんやりとした声を出す。


 呆気に取られていた王妃様も、我に返ったようにレイシェルト様とジェイスさんを見比べ、「あらあらこれは……」と楽しげな声で呟いた。


「なんだかとっても楽しいことになっているようですわね……っ! 凛々しい美青年達が、決して譲れないもののために火花を散らす姿……っ! 素晴らしいですわ……っ!」


 王妃様が感極まった声を上げる。


「レイシェルト様にエランド男爵……。二人とも、心から推せますわ……っ!」


 私はレイシェルト様単推しだけど、王妃様はジェイスさんも推しに昇格したらしい。


 推しが多いのはそれだけ心の栄養源が豊富にいるってことですもんね!


「ですが、セレイア嬢。レイシェルト様は試合前の大切な身。お心を乱――」


「王妃様。お言葉でございますが、大切な試合前だからこそ、わたくしは聖女としてレイシェルト様の勝利を祈願させていただきたいのでございます」


 顔をしかめて告げた王妃様の言葉を遮るように、セレイアが決然とした声で告げる。


「どうぞ、レイシェルト様」


 セレイアが砂糖をまぶしたような打って変わった甘ったるい声で、銀の杯をレイシェルト様に差し出す。


「わたくし、心からの祈りをめましたのよ。レイシェルト様が優勝されますようにと、そして……」


 セレイアのまなざしが私を捉える。邪悪の娘などお呼びではないと言いたげに、勝ち誇った笑みを浮かべたセレイアが、すぐにレイシェルト様に向き直った。


「さあ、どうぞ。聖女の祝福をお受けくださいませ」


「……わかった。ありがとう」


 セレイアに引く様子がないと察したのだろう。仕方がなさそうに吐息したレイシェルト様が、銀の杯を受け取り、一気にあおる。


 途端。 


 口元を押さえたレイシェルト様が杯を落として地面に両膝をつくのと、その全身から闇のように真っ黒なもやが噴き上がるのが同時だった。


 それに合わせたかのように、会場のあちらこちらから黒い靄が立ち昇り、貴族達の悲鳴が巻き起こる。


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