第96話 死出の旅路①

 ジャッ――!


「ロロ!?」


 主の声を背後で聞きながら愛剣を神速で抜き放ち、その言葉を発した男を振り返る。


(魔物の甘言に屈したか――!)


 きっと、あの魔物は、いつかのように絶望に膝をついて嘆く男へと囁いたのだろう。


 ――助けてやろうか?……と。


(迂闊だった……!契約について、俺たちは全貌を知っているわけじゃない……!油断した……!)


 戦況から、闇の魔法遣いはまだ王都にいるのだと思い込んでいた。

 だが、魔物との契約については未知のところが大きい。

 同時に複数人と契約することが可能なのかもしれない。魔物側の意志で、契約者を乗り換えることが可能なのかもしれない。あるいは、王都の契約者が何らかの理由で死亡した可能性もある。

 魔物の居場所に近くなったこれからは、敵はなりふり構わず仕掛けてくるだろうと告げたのは、自分自身だったのに――


(要因などどうでもいい――!大事なのは今、この恐怖と絶望が蔓延する本陣のど真ん中に、闇の魔法遣いが現れたという事実だけだ――!)


 この状況下で闇魔法を放たれれば、混乱は一気に加速する。同士討ちも増え、徒に戦力と士気を減らすだけだ。

 地面を蹴って飛び出そうとしたところで、隻眼の男がバッと顔を上げた。

 潰れた左眼から流れ出る真っ赤な血潮と対照的に、透明な滝を溢れ出させる遺されたたった一つの眼が、カッと見開かれる。


 その瞳に映るのは、絶望と――怨嗟。


 ぞわりっ……


「く――っ!」

 

 背筋を奔り抜けた不快感に正直に従い、男へと飛び出そうとしていた慣性に逆行するようにして無理矢理身体を捻る。

 一瞬遅れて、隻眼の男が手を前方へと翳したかと思うと、ヴァッ――と空気が唸りを上げたと錯覚するほど濃密な魔力の塊が、焼き印を掠めるようにして後方へと飛んでいった。

 ザッ――!と音を立てて地面を踏みしめてつんのめりそうになる身体を逆方向へと捻る。筋肉が悲鳴を上げていたが、痛覚など頭から意識的に吹き飛ばした。


 魔力の塊が飛んでいった先――

 その先には――


「姫――!」


 世界で一番、大切な人が――!


 何かに祈るような気持ちのまま振り向けば、危惧したことがそのまま現実になっていた。

 少女の傍に居た兵士が三名、虚ろな瞳でミレニアへと剣を抜いて襲いかかる。


「っ――!」


 息を詰めて、地面を蹴り出す。


(間に合え――!)


 心臓が冷えて、世界がスローモーションになったかのような錯覚を起こす。

 何十回とやり直した、”最期”の記憶が脳裏に過り、すぐそばまで絶望が押し寄せた。

 脳内で、愛しい少女に襲い掛かる兵士たちの急所へと双剣を叩き込み、一瞬でその首を刎ねるシミュレーションをする。


(行ける――!)


 長年の勘が囁き、ぐっと双剣を握る掌に力を込めた、その時――



『お願いだから――なんて言って、私が愛した無実の民の命を奪わないで――!』



 ――数日前に聞いた、少女の悲痛な叫び声が、鼓膜の奥で、響いた。


 一瞬、迷いが生じる。

 今、虚ろな瞳で少女に襲い掛かろうとしている兵士は、ミレニアがかつて愛した『無実の民』。

 今まで繰り返した沢山の時間軸の中、何度も、彼女を生き返らせるためにと地獄の業火に沈めた犠牲者の一人だ。


『俺はいつだって、最後に、アンタの幸せよりも、俺のエゴを取る。アンタが泣くとわかっていても、俺がアンタを失いたくないために、アンタを助けるんだ』


 今、彼らの首を落として、少女を救ったとして――ミレニアは、喜んでくれるだろうか。

 また、哀しみに涙を流してしまわないだろうか。

 いや――涙を隠して、必死に笑うのかもしれない。

 ロロが彼らの命を絶ち、エゴに塗れて血で染まった手を差し出しても――きっと、この女神は、気丈に微笑んでくれるだろう。

 清廉潔白なその美しい掌を穢すことがわかっていても、何ということはないという顔で美しく微笑み、真っ赤な汚い手を取ってくれるはずだ。

 血塗られた世界など知る由もなかった、高貴な世界で生きていたくせに――争いも流血も全ては恐怖の対象である幼気な少女のはずなのに――恐怖も嫌悪も、全てを飲み込んで、女神のような顔で、微笑むのだ。


 それこそが彼女の優しさであり、器の大きさであり、ロロを惹きつけてやまない一面であり――


 ――ロロが、最も忌避する行いの、一つ。


『一秒でいい。――必ず俺より後に死ぬと、約束してください』


 今まで、何万回と繰り返した、少女への言葉を思い出す。


『最期まで――死出の旅路のその先まで、貴女の供をさせてください。そのためなら、何でもします。どんなことでも、成し遂げます。だから、どうか――』


 それは、『懇願』に近い願い。

 初めて出逢ったときから、ずっと、ずっと、変わらず描いてきた――何十年も、少女を失うたびに強く願った、自分の”最期”。



 答えは、初めから――にあった、気が、した。



「姫――!」


 叫びながら、無我夢中で必死に手を伸ばす。

 その手に――剣は、握られて、いなかった。

 驚きに硬直し、悲鳴の一つさえ凍り付かせてしまったらしい少女の手を取り、必死に腕の中に掻き抱く。


 ドドドッ……と、小さな衝撃が、身体を襲った。


「――――ぇ……?」


 腕の中で、凍り付いた喉からやっと小さく声を絞り出した女神が、小さく身じろぐ。


「ロロ……?」


 掠れて震える声。

 それでも、腕の中の小柄な体は、いつもと変わらず温かい。

 それが、とんでもない安堵を生む。


 もう――冷たい亡骸を抱えて慟哭する必要は、無いのだ。


「ご無事……ですか……?姫……」


 安心させようと絞り出した声は、か細かった。

 声を発することすら難しいことに気付き、最期の力を振り絞る。

 そっ……と己の身体を包むマントに触れて、魔力を放った。


 すべての闇を払うイメージ。

 少女が愛した民を、狡猾な魔物の呪縛から解き放つ、イメージ。


 カッ――!


 マントから視界を焼く熱線が放たれ、周囲が光で満ち溢れる。


「ひっ……お、俺たち、一体、何を――!?」


 後ろから、我に返ったらしい男の声が聞こえて、危機が去ったことを知る。

 ほっ……と安堵に気が緩んだ瞬間、全身から最後の力が失われ、少女の前でみっともなく頽れるのが分かった。


「っ――ルロシーク……!!!!」


 色を失った少女の悲鳴が、鼓膜に届く。


 あぁ――


 ――最期に聞く、少女の言葉が、これで、よかった。


 これできっと――この宝物なまえも、死出の旅路に、持っていける。



 人生の最大の幸福を噛みしめて、ロロはどしゃっ……と身体ごと足元へと崩れ落ちる。

 おそらく噴き出した自分の血液のせいだろう。足元のぬかるんだ地面は、穢れた奴隷の最期に相応しい場所に感じた。

 だが、泥で汚れた、いつもはピクリとも動かないその口の端には、満足げな微笑がふっと浮かんでいる。

 


『――最期は、貴女を守って、死なせてください』



 何度も何度も願い、描いた”最期”を、全う出来た喜びを噛みしめるようにして――

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