海城王への誓い

リョーガイにアルポート王国の借金返済の催促を終え、7月12日夕方6時になると、ユーグリッドはわずかな従者を連れて、アルポート王国南の外れにあるテンテイイの大農園へと出かけた。


やがて日が沈んでまた上り、翌日の朝6時となると農園に到着する。ユーグリッドが小山の森林を抜けると、久しぶりにアルポート王国の元臣下であったテンテイイが、畑を耕している姿を見つけた。


玉座の間にいた頃の礼服とは違い、農夫の粗末な平服を着て汗水を流している。


「おーい、テンテイイ! 農業は順調に進んでおるかぁ? ユーグリッドが参ったぞぉっ!!」


灰色の馬上から大声を上げると、テンテイイは鍬を持ったままふと振り返る。


「こ、これはユーグリッド陛下! ご無沙汰しております! わざわざお越しいただいて済みません! 今日は私に何の御用でしょうか?」


テンテイイは汗をぬぐい鍬を田んぼに置いて、乗馬する主君に向かって駆け寄ってくる。そのまま長年に渡って根付いていた王への礼拝の姿勢を取った。


「ああいや、特にこれといった用事はない。昨日は俺の生まれたばかりの子供がお七夜を迎えてな。その報告をお主にもしに来たのだ。名前はヨーグと決めてな。父上に似てとても凛々しい顔立ちをしておる」


「そ、それはおめでとうございます! アルポート王国にも次世代の王がご誕生なさったのですね! 何かお祝いの品をお贈りしたいのですが、見ての通り私どもは慎ましい生活をしておりまして・・・・・・」


テンテイイは御子の誕生を祝福しつつもおずおずとした声で言う。祝品を渡すことができないことに非礼を感じているようで、王に対して申し訳なく思っている。相変わらず意気地のない男だった。誰に対してでも必要以上に物怖じしている。


そんな身分を捨てて農夫に戻った元臣下に対して、ユーグリッドは寛大な面持ちで答えた。


「いや、いい。別に俺もお主たちから献上品を出せと言うつもりはない。先程も述べたように俺は挨拶をしに来ただけだ。アルポート王国も今落ち着いており、平和そのものだ。俺はその無事を伝えに来ただけだ」


ユーグリッドのおおらかな報告に、テンテイイはますます畏まる。


「陛下、ありがとうございます。ですがやはり私どもも、せっかく陛下にご足労頂いてまでご子息の出産を報告頂いたのに、何も祝いをせぬというわけにも参りませぬ。今ちょうど四季咲米の収穫が終わった時期でございまして、よろしければそれをお贈りしようかと・・・・・・」


テンテイイは懐かしい特産品の名前を口に出す。


ユーグリッドもそれには感慨深いものがあり、顎をさすって頷きを見せる。


「ふむ、そうだな。ではありがたくいただくとしよう。四季咲米は美味であるからな。俺もあの味には病みつきになっている。だが、それほど多くはいらぬ。お主が気の済む範囲で米を贈ってくれ」


「はい、わかりました陛下。では、あまりきれいな場所ではございませんが、あの小屋に米を備蓄しております。どうぞこちらへいらしてください」


テンテイイは家来を数人連れて、掘っ立て小屋の食料倉庫の中へと王を案内する。見るとそこには確かに大量の四季咲米の米俵が幾重にも積まれていた。


「ほう、これだけ収穫ができたのか。やはり四季咲米は素晴らしい名産品なのだな。毎日この米を食べられれば、どんなに宮廷の食卓も豊かになるだろう。今度リョーガイに相談して我が国でも農業の開拓でもし直そうかな?」


「ハハハ、それは無理でございましょう。リョーガイ殿は国の金にならないことは絶対に許可しません。四季咲米は誰でも栽培できるが故に、希少価値が高くないのでございます。例えどこか他国に売ったとしても、それほど収益は得られないでしょう。我々アマブル家一族も四季咲米の生産を持て余しているぐらいです」


テンテイイは後頭部を手で擦りながら穏やかに話す。その豊穣の実りにささやかな充実感を得られているようだ。鼻には泥が付着しており、口元には先程食べたばかりの米粒がくっ付いている。テンテイイにとってその清廉潔白な生活が一番自分に合っていたのだ。


「そうか、それは残念だなぁ。ここだけの話だが俺もリョーガイには頭が上がらんのだ。あいつのおかげでアルポート王国の治世は成り立っているのだからな。無茶を言い過ぎて海賊王の所にでも逃げられては敵わぬ」


「ハハハ、そうでございましょう。宰相の位も楽ではございませんから。その責務を担える者もこの国では限られております。そして私自身も、その職務を務めきることに限界を感じてしまったのですから・・・・・・」


テンテイイは声を小さくして自嘲気味に笑う。その過ぎ去りし過去の名誉ある功績について、わずかに思いを馳せているようだ。


ユーグリッドはその元臣下の諦めてしまった様子を見遣り、やはり勿体ないという気持ちになり、思わず勧誘を持ちかける。


「・・・・・・なあ、テンテイイ。もしよければ、またアルポート王国の文官にならないか? 今は国の人手が足りておらぬ状況でな。今人材を募集している所なのだ。宰相の位はもうお主にやることはできぬが、他の大臣の位なら空きがある。いつでも好きな時に戻ってきてもいいのだぞ」


ユーグリッドは声を潜めながら真剣に願い入る。王は本気でテンテイイに国に帰ってきて欲しいと思っていたのだ。その叡智の才能は十分にアルポート王国に貢献することができるだろう。


だが、テンテイイは首を振りはっきりと断りの意思を見せた。


「申し訳ありません、陛下。私はもうアルポート王国に仕えるつもりはありません。正直に言ってしまうと、私も疲れてしまったのです。諸侯たちとの権力争いに巻き込まれてしまったり、敵国との戦争で冷酷な戦略を迫られてしまったり、とても私には荷が重すぎます。


私はこうして、自分たちの一族と慎ましく生活を続けることが一番性に合っているのです」


テンテイイは物静かに今の生活に満足していることを告げる。テンテイイの過去の農民時代の生活は悲惨だったが、それ以上に政治に身を投じるということは人の醜さをまざまざと見せつけられる凄惨なものだったのだ。


敵の王に勝つために敵国の全ての領民を虐殺したり、敵軍を滅ぼすために何の罪もない農民たちを見殺しにして毒を敵に食らわせる。


そうしたユーグリッドの容赦のない陰謀深い人格に、テンテイイはもはやついていけなくなったのだ。ユーグリッドは国を守るためならどんな手段も厭わず冷徹に敢行する。そんな押しつぶされそうなほど畏怖の念を抱いてしまう主君に仕えることは、もはや自分にはふさわしくない。そう考え、宰相の位も自ら辞退してしまったのだった。


テンテイイは今の生活に安寧を覚えており、そのささやかな幸せを壊されたくなかった。


「・・・・・・そうか、残念だ。お主が戻ってくればアルポート王国も千人力なのだがな。だが、お主がそう言うのであれば仕方がない。お主の意志を尊重するとしよう。だがもし気が変わってアルポート王国に再び仕えたくなったならば、いつでも俺に声をかけてくれ」


「ええ、ありがとうございます陛下。その時は陛下にお声をかけさせていただきます。


あっ、米を用意ができましたので、外までお運びしましょう」


テンテイイは形だけの礼を述べると、家来たちに米を運搬させる。


ユーグリッドはもはやテンテイイが二度と王宮に戻ってこないことを悟った。


やがて10俵ほどの米俵がユーグリッドの従者たちの元に届けられると、ユーグリッドはこんなにいいのだろうかと気が引ける。


だがテンテイイはどうぞどうぞと遠慮なく勧め、それが見栄や誇張などではなく本当に米が余りに余っているのだということを示唆した。


「・・・・・・ではな、テンテイイ。お主たちがここでずっと平穏に暮らせることを祈っている。山賊に襲われぬよう、ちゃんと兵の鍛錬も欠かさずしておくのだぞ?」


「はい、ありがとうございます陛下。陛下からこの農園を頂いた御恩は一生忘れません。私もここの農園の統括者として、一つ農村でも拵えようかと考えております。四季咲米以外の作物も栽培しようと計画中で、今種の苗を育てている所です。もしその農業に成功しましたら、またアルポート王国にも作物を贈らせていただきます」


「ああ、楽しみにしておる。俺もアルポート王国で何か良い知らせがあったら、定期的にお主に連絡しにくる」


そしてユーグリッドと従者たちは、米俵を馬に乗せてテンテイイの農園を去っていった。


このアルポート地方はもはや平和そのものだ。何か変事がない限り、二度と略奪の悲劇など起こらないだろう。


テンテイイも田畑の開発に精を出し、その生涯を終えるまで農業の研究に勤しむ心積もりをしていた。




そしてまた半日が過ぎ、7月13日の夜8時になる。その時間になると、ユーグリッドは海城王の墓がある王宮の庭園の中へと足を運んでいた。そこからしばらく歩を進め、ユーグリッドは父である海城王の墓の前に立つ。


その墓石の隣には、最も海城王を敬愛し、命を捧げて尽くしてきたアルポート王国の忠将、タイイケン・シンギの墓も建てられていた。


覇王との決戦で戦死を遂げて以後、ユーグリッドの命令により海城王の墓がある庭園で、その尊い忠臣の葬儀が執り行われたのである。それはユーグリッドが、タイイケンが死後も海城王の家臣として仕えられることを願ってのことだった。


ユーグリッドはその偉大なるアルポート王国の前王と、覇王との戦争で散った英雄の前で膝を付き、予め持ってきていた百合の花束を献花する。そしてその宮廷の墓守によって毎日綺麗に掃除されている二つの貴い墓の前で、両手を組み祈りを捧げる。


その長い黙祷が終わると王は立ち上がり、やがてアルポート王国に君臨してきた自らの過去について回想する。


(思えば、随分と長い間アルポート王国の王として務めてきた気がするが、その実まだ1年少ししか経っていない。ここまで来るのに、まるで悠久の時を超えてきたかのように錯覚される)


そして王は瞼を静かに閉じ、その長いようで短い歴史の追想を始めた。




ユーグリッドが初めて王の位を授かった時には、臣下たちの誰からも信用されてなかった。覇王との戦いを恐れ、ついには父である海城王を手にかけて、降伏を選んだ不肖の王だった。


その卑劣で臆病な青年の決断は覇王の奴隷国家となることを決定づけ、アルポート王国を存亡の危機へと追いやったのだ。その王の属国として生き長らえる決定には、誰もが不信を示し、反意を露わにする者さえいた。


王は誰からも信頼されず、誰からも愛されない。その絶望の淵に追いやられた王は、自らの命さえ絶とうと考えたのだ。


だが、王に初めてできた忠臣、シノビ衆ユウゾウが、海城王が息子を愛していた真実を告げると、王は慟哭しながらその父の遺志を継ぐことを決意したのだ。


王はまず反乱者であるリョーガイを炙り出し、その罪を許すことで懐柔を果たした。そして諸侯たちからの信望の厚いソキンと盟約を結び、娘のキョウナンと政略結婚することで、一気に国内統一を進めたのである。


その頃には王自身の信望も各諸侯たちから集められるようになり、由緒正しきアルポート王国の王として認められることとなる。国家統一が果たされた後は、ついに積日の宿敵である覇王との決戦に臨む決意を下す。


その後ユーグリッドは、長年敬愛していた海城王を殺されたことで自分に反感を抱いていたタイイケンを説き伏せることで、その具体的な覇王打倒の戦略を授かるに至る。


その後王は覇王との決戦のために様々な謀略を巡らし、そしてついに覇王の城に攻め込む好機を作り出した。覇王の油断を誘い、彼の王の根城であるボヘミティリア王国を攻め滅ぼす勝利を達成した。


その結果覇王軍は一挙に弱体化し、覇王は兵糧不足という弱点を曝け出すことになる。そしてその覇王軍の陥穽かんせいを予め見極めていたユーグリッドは更に謀略を張り巡らせ、敵軍に毒の兵糧を略奪させることによって全滅させる策に成功した。


こうしてユーグリッドは侵略者である覇王の大軍を滅ぼし、アルポート王国に平和を齎したのだ。


今となっては誰もがその王の覇王討伐の大功を称賛し、国中の人々から偉大なるアルポート王国の王として認められている。そのユーグリッド王の赫赫かっかくたる数々の偉業は、このアーシュマハ大陸の歴史の中で未来永劫語り継がれるものとなるだろう。そのアルポート王の栄光は計り知れないほど至高たるものだったのだ。




ユーグリッドは長い長い回想を終え、再び海城王の墓碑に双眸を下ろす。その墓の下に埋められているはずの亡骸に思慕を寄せる。


「父上、俺はあなたの遺志を受け継ぐことができただろうか? あなたを殺した俺の罪は永遠に消えない。だがなればこそ、俺はあなたと同じようにアルポート王国を、俺の生涯を懸けて平和に導くことを誓おう。このアルポート王国の繁栄が、レグラス家の子孫代々に渡って受け継がれるように守り抜いてみせる!」


ユーグリッドは祈りを捧げ、天の果てにいるはずの海城王へと誓いを立てる。その祈願の行く末は遥か遠くにあり、見通すことができず、どれだけうずたかそびえ立つ険しい道程みちのりなのかわからない。


だがユーグリッドは、その亡き父との約束が決して断ち切られないものだと信じている。このアルポート王国を守り続けたいという思いは、ユーグリッドただ一人だけのものではなく、このアルポート王国に集う臣下たち皆の願いでもあったのだから。


その人々が宿す希望の灯火は決して消えることはなく、この先の未来へと永遠に引き継がれていくのだろう。


ユーグリッドはその国家の存続を己の信念とし、若き王の熱き魂は愛国と報国の志によってどこまでも燃え滾っている。そしてユーグリッドはアルポート王国の真の王となった。その偉大なる王者は海城王の魂をしかと受け継ぎ、その赫赫かっかくたる前王と比肩しうる主君となったのだ。


ユーグリッドは王としての風格を纏い、海城王の墓碑を後にしようと歩を進める。


その瞬間だった。


駿馬の如く庭園を駆け抜ける者がいた。その者は影すら残さず、まるで疾風の如くユーグリッドの傍まで近づいてくる。やがてその黒装束の男は王の前で跪き、深々と頭を下げて己の忠を示した。


そのユーグリッドに初めてできた家臣、ユウゾウはハキハキとした声で王に注進を告げる。


「ユーグリッド様! 緊急の報せでございます! アルポート王国に皇帝マーレジアの使者がやって参りました!


8月20日に開かれる諸王議会の折、朝廷コルインペリアまで来朝し、ユーグリッド様直々に皇帝マーレジアに拝謁せよとのことです!」


そしてユーグリッドは皇帝の勅命により、朝廷の王臣となることが天命づけられたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る