戦場に聖女は───

『急患一名です! 腹部に槍が刺さっております!』


 ───『南北戦争』渦中、ライラック王国国境線後方部。

 戦火の粉が降り注がないセーフティーゾーンに設営された仮説テントにて、兵士の慌ただしい声が響き渡る。

 運び込まれたのは、兵士二人がかりで慎重に担がされた一人の兵士であった。


「そのベッドに寝かせてください! それと、槍が刺さったままでは治癒ができないので、引っこ抜いてください! すみません、手伝ってくれませんか?」

「はっ!」


 テントにて待機しているのは一人の騎士と一人の少女。

 その少女は横に控えている一人の騎士に命令という名のお願いを飛ばす。

 不釣り合いな修道服の袖口には白を汚す赤が滲んでいたが、そのことに誰も指摘しない。子供が来る場所じゃないとも言わない。

 ───それこそが彼女の役割だからと、誰もが戦場の一部として認識する。


『あァァァァァァァァァァァァ!!!』


 横に控えていたはずの騎士が槍を抜いたことによって、兵士の悲鳴がテントいっぱいに響き渡る。

 悲鳴とは不幸の象徴だ。更に生々しい血が吹き出れば、か弱い女の子など卒倒するはず。

 しかし少女───聖女と呼ばれるミリスは、顔を歪めるだけで逃げ出したりはしない。

 彼もまた、救わなければならない人間なのだから。


「聖女様……」

「分かりました」


 少女は抜き終わり、ベッドいっぱいに赤い染みそつける兵士に近寄った。

 そして───


ものに癒しを」


 少女が患部に手をかざすと、淡い光が包み込んだ。

 魔術ではない、手品でもない───正体不明、原理不能。魔力を持たないミリスが使える、女神の恩恵。

 それが、この光の正体だ。

 光を当てた者には、不幸など残らない治癒が約束される。


『……うァ』


 兵士の腹部に空いた穴がみるみる塞がっていく。

 破れた服はそのままであったが、血の気を失っていた兵士の顔は徐々に平常を取り戻していった。


「お疲れ様です、もう大丈夫ですよ。可能であれば、体に異常がないか確認したあとしばらく安静にしてください」


 と言いうが、あくまで可能であればの話だ。

 状況で優勢であったとしても、数字の勝負になる戦争では一人の兵士も貴重な戦力。

 早い平和を望むのであれば、怪我が治った兵士ですら喜んで走り出さなくてはならない。

 それは本来複数人いるはずの護衛騎士が一人で護衛しているのを見れば分かるだろう。


 加担してくれる働き手があれば、本人の許可さえ取れれば働かせてしまうのだ。

 ───それが戦場というもの。

 一刻も早く戦争を終わらせるために必要なことだ。


『ありがとうございます、聖女様!』


 一人の兵士がそう言うと、二人がかりで肩を貸しながらテントを出ていく。

 その後ろ姿がどこに向かうのか? 可能であれば柔らかいベッドの上か家族の下であってほしいと願うミリスであった。


「はぁ……」

「お疲れ様でした、聖女様」

「いえ、これぐらいのことでは……」


 労いの言葉をもらうが、実際のところミリスは疲れていた。

 優勢の戦場だからか、ミリスのところに運ばれてくる重傷者の数は少ない。

 恩恵もそれほど使ってはいないため、肉体的な疲労は言葉の通りだ。

 だが、彼女は特別な立ち位置に立たされているだけのか弱い女の子。大義名分という名の戦争で生まれる臓物と血飛沫を見れば精神的な疲労は溜まるはずだ。


 それでもミリスは否定をする。

 ついてきてくれた護衛の騎士に不安を与えないために。

 ただでさえ、戦場という場所に連れてきているのだ───、戦争に参加させてしまっているにもかかわらず、これ以上余計な不安事は与えたくない。


「……それにしてもよかったのですか、フィル殿にお伝えしないまま『南北戦争』に参加してしまって」

「大丈夫ですよ、フィル様に余計な心配はおかけするわけにはいきませんから」

「しかし───」

「過去に一度命を救われ、更にはもう一度身を守って下さり、住む場所も提供してくれました……恩を重ねすぎです。私達の方からサンドイッチを提供できないのに、これ以上積み重ねるわけにはいきません」


 ミリスは聖女という恵まれ、不自由のない立場にいるにもかかわらず、フィル・サレマバートという少年には何も返せていない。

 恵まれただけ。与えることはしていない。

 それなのに、厚かましくも心配をかけてもいいものだろうか?

 いや、その答えは───ノーだ。


「フィル様であれば、心配して「ついて行く」などと言ってしまうかもしれません。それは私が困ります───何せ、今回の『裁定派』の大司教様からいただいたお願いは教会の問題です。それこそ、フィル様を派閥争いに巻き込んでしまいます」

「フィル様は派閥争いに首を突っ込みたいとは思わないでしょう……その様子はありありと伝わってきました」

「であれば、尚更です。これ以上フィル様を関わらせるわけにはいかないでしょう」


 それに、と。

 ミリスは護衛の騎士に微笑んだ。


「ここはセーフティーゾーン。戦況が不利に変わったとしても、即時撤退できる場所だと聞きました。大司教様からのお願いはあくまで優勢であるライラック王国の後方支援。救える人がいる限り救いたいというのが本音ではありますが……あなた達に心配をかけてしまいますもん、命は大事にします」

「ありがとうございます、ミリス様。私共としても、聖女様の身が最優先でございますから。よく考えれば同じ聖女様であるキラ様もこちらにいらしています───負傷者が明らかに減らせる戦場です。万が一にも負けはないでしょう」

「そうです、ですから安心してください───」


 ミリスは拳を握ると、もう一度気合いを入れ直した。


「私なら、大丈夫ですからっ!」



 ♦♦♦



「違う、そうじゃねぇ!」

「どうしたのよ、フィル? 別に聖女が戦争に巻き込まれることはないでしょう? どうせ後方に置かれるわけだし───」

「考えてもみろ! 過去に聖女が戦場に参加した事例はあるか!? ねぇだろ、聖女は後方支援職じゃなくてあくまで信徒だ! 本来、どんなことがあっても聖女は戦場には参加しない!!!」

「何が言いたいの……?」

「確かに安全かもしれねぇ、逃げられる場所にいるかもしれねぇ、傷を癒してくれるからおあつらえ向きかもしれねぇ。だけど、戦場なら! 聖女が敵国の奴らじゃなくて他派閥に殺されても「仕方ない」で終わる! つまり───」


 屋敷で、フィルは焦りを滲ませて叫ぶ。


「戦争に乗じてされてもおかしくねぇんだよ! 戦場は護衛の騎士でも一箇所で纏まることなんてさせてくれねぇんだから!!!」

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