登城前
―――あれから一ヶ月の月日が経ってしまった。
街へ出ればこの前みたいにパレードになるからと引き籠り、時折ザンがミリスを見かけてはフィルの犠牲によって退けたりと、特段何かあったわけではなかった。
そして『影の英雄』の噂も留まることを知らず、「人の噂も七十五日? なんぞやそれ」という空気を醸し出していた。
一方で、以前までのフィルの評判はなりを潜めている。
それは『影の英雄』に助けられた誰かが「クズ息子」を否定したからか、はたまた娼館に行っていないため「遊び人」という汚名が返上されたのかは分からない。
全てはフィルのマイナス方向に進み、日に日に涙を流す量が増えていった。
そして迎えた王太子の生誕パーティー当日。
フィルは執務室でパーティー用のコーデに身を包むと、不在間の仕事を処理するために執務室で筆を走らせていた。
(しっかし、こんな日まで仕事とか社畜根性が板についてきたな……いつになったら自由な時間が味わえるんだか?)
フィルのいる屋敷から王都までは半日で行ける距離だ。
田舎にもかかわらず距離が近いのは、王都の位置する場所が少し悪いからだろう。
国一番の栄えている街の近くがどうして田舎なのか? 楽して生きたいフィルにとっては、不便要因が全て愚痴になる。
―――とはいえ、それは余談。
出発する時間を迎えそうになっているにもかかわらず書類にサインをしていく自分を見て泣きそうになるフィルは、自由とは程遠い環境を嘆きつつも一人作業をこなしていく。
(あれから一ヶ月……聖女を取り巻く危険因子は音沙汰がない。そろそろ帰してもいい頃合いか? かといって、こればかりは俺だけで判断がし難い)
聖女はあくまで客人。行動を縛る権利は、フィルには持ち合わせていない。
襲撃されたから屋敷に逗留させてはいるが、帰りたいと言われれば帰らせる。いたいと言われればいさせるしかない。
―――あれから一ヶ月経ったが、それ以降の襲撃は訪れていなかった。
単純にフィルの傍を離れていないからというのもあるだろうが、そろそろ頃合いなのでは? と考えてしまう。
「今度、ミリス様に聞いてみるか。最悪、俺の予定を空けてでも教会まで送れば―――」
そう考えている時だった。
ガチャリと、執務室のドアが開いた。
「フィル様、そろそろ出発するみたいですっ!」
そこから顔を出したのは、艶やかな金髪を揺らす一人の美少女。
歩きづらそうにしながらも、トテトテとフィルの下へと向かう。
「おぉ……!」
フィルはミリスの姿を見て感嘆とした声を漏らした。
首から下げている信徒の証のロザリオと、小さな装飾を散りばめた黒のドレスで着飾った彼女は、フィルの予想通り小悪魔になっていた。
可愛らしい容姿に大人びた雰囲気をあてることで、ギャップという名の魅力を引き出す。
清廉潔白を示す聖女であるため露出こそ控えめであるが、しっかりと体のラインを見せることで更に女性らしい魅力も引き出していた。
長く艶やかな金髪はふわりとカールだけ巻き、あどけなくも端麗な顔立ちには薄く化粧がされている。
どう表現すればいいだろうか? 予想通りではあったが、素材のよさが予想外のところまで突出してしまったために『小悪魔』だけだと物足りなくなってしまった。
「よくお似合いです、ミリス様。一瞬、小悪魔さんのお誘いで地獄へと堕とされたかと思いましたよ」
「えへへっ、ありがとうございますっ! ですが、お連れするのは天国がいいですね♪」
「なら、今のうちに善行を積んでおくとしましょう。小悪魔さんは天国をご所望のようなので」
「ふふっ、もうフィル様はいっぱい善行を積んでいますよ? 助けてもらった私が胸を張って女神様に主張します!」
可愛らしく「むふんっ!」と胸を張るミリス。
凹凸のはっきりしているドレスを着ているからか、程よく実った胸部が強調された。
鼻の下を伸ばしていいだろうか? そう思ったフィルはすでに鼻の下を伸ばしていた。
本当に、このような場面でも残念な男である。
「しかし、こんなに素晴らしいデザインをされるなんて、フィル様はデザインの才能もあるみたいですね」
「仕立て屋さんにジョブチェンジなんてできませんよ。ただ、素材がよかったってだけです。素人が高級食材を料理しても「美味しい」と思えるように、ミリス様が可愛かったっていう一点です。素朴な素材でデザインを作ったところで、俺には美しくは見せられないでしょう」
「あ、あぅ……そうでしゅか」
褒められたことによってクリティカルヒット。
ミリスは顔を赤くして俯いてしまう。
「それと、その……フィル様、とてもかっこいいです」
頬を染めながら、一生懸命に絞り出したその言葉。
褒めるのが気恥ずかしいのか、自分が褒められた時以上に朱色が目立った。
「そうですかね? 俺なんて、顔面偏差値かなり低いボーイさんなんですが? 往来を歩くと景色に溶け込んでしまうほどでしょうに」
「そんなことありませんっ! 本当にフィル様はかっこいいんです!」
「うーん……まぁ、これ以上否定するのも男らしくないでしょうし、素直に受け取っておきます」
フィルはどこか嬉しさを感じ、ミリスの髪を崩さない程度に優しく撫でた。
気持ちいいのか、ミリスは目を細めながら「えへへ……」と、されるがままだった。
「フィルー、あなたまだ仕事やってるの? そろそろ出発するから出て来なさい」
その時、またしても執務室の扉が開いた。
姿を現したのは、メイドというポジションで常に横に立ってくれる少女。
赤い炎髪は上で綺麗に纏め上げ、丈の長さでいつも見せる肢体を隠していた。
大人びた雰囲気は純白のドレスにより緩和され、清楚さが滲み出ている。シルバーのネックレスや、透き通ったレースの生地を装飾のようにつけたことによって、差し込んだ光に反射し輝いていた。
これが会場のシャンデリアの光に当てられた場合はどうなるだろうか? 煌めく彼女の姿を想像するだけで、誰もが目を惹くだろうというのは容易に想像がつく。
言うなれば、絶世の美女。
着飾ったカルアは、普段以上に魅力的に映っていた。
「あら、結構似合ってるじゃない。フィルもいつもピシッとしていればかっこいいのに、普段はだらしないんだから」
「…………」
からかいを含めた誉め言葉に、フィルは何も返さない。
いや、返せなかった。
「そ、そうかっ! なら早く行くしかないな! 可愛い家臣が拗ねないように、主人は飴を持って行こうじゃないか!」
フィルは呆けてしまった自分から我に返ると、そのままそそくさと執務室から出ようとする。
しかし、その腕をカルアによって掴まれてしまった。
「少しは、着飾った女の子を褒めてくれてもいいんじゃないかしら……?」
物寂しそうに、カルアは口にする。
上機嫌なミリスを見れば、彼女は褒められたのだと理解できる。
だったら私は? そんなに似合っていなかったのか? 似合っていなかったとしても、少しぐらいはお世辞を口にしてくれても、と。
カルアの内心が黒く荒んでいく。
だが―――
「ッ!?」
腕を掴んだフィルの顔が、朱に染まっていた。
普段は滅多にお目にかかれないような、余裕のない顔。
カルアはそんな顔を見て、荒んでいた心が一気に晴れてしまった。
「ふふっ……そっかー、そうなのねー」
「うっさいなぁ、もう! 察しのいい女は男にうざがられてモテないんだぞ! 分かったら、その顔をやめろっ!!!」
「はいはい、分かったわよ。察しのいい私はこれ以上口は開かないわ」
「ちぃ……ッ!」
いつもの軽口が叩けない程余裕がなくなったフィルは舌打ちをして先に進む。
その後ろを、カルアは上機嫌なままついていった。
―――フィル・サレマバートは遊び人である。
それなりに女性との交流も経験もあり、ミリスという美少女を見ても平然としてみせた。
しかし、ことカルアという少女にだけは何故か余裕がなくなってしまう。
その理由は、至って単純であり―――
(あぁ、くそっ……めっちゃ可愛かった。誰だよ、メイドに見蕩れる
―――相棒に、見惚れてしまったからである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます