第58話 加入その後、募集、クロンの未来


 商業ギルドに正式に加入してからはや数日。

 今までも仮加入とはいえギルドの機能は使えていたので表向きは変化がないと言えば変化がない。

 が、心持ちというべきか、気持ちの安心感は大きい。

 雪解けの祭りの頃ではすっかり頭の奥にしまいこんでしまっていた再加入の件も、約束の3ヶ月が近づくと胃がチリチリしてきたものだ。

 そこから解放されたのだからその達成感たるや、言葉にはできないほどだ。

 また、気持ちの面以外にも余裕ができる。

 万が一再加入を許されなかった時を考えて前に進めなかったものを前に進められるのだ。

 具体的に言えば……。


「商業ギルドに従業員募集の話、渡してきたっす」

「ご苦労様。これで人が来てくれればいいんだがな」


 昼の準備で厨房に籠っている俺とマリーのところにひょっこりと顔を出したのはクロン。

 店の掃除はそこそこに、商業ギルドにお使いに出て貰っていた。


「でもどうして急に従業員募集なんてするんすか?確かに忙しいっすけど、回せない程じゃないっすよね?」


 例のパン解放騒動の直後は勘弁してくれと言いたくなる程に客が殺到したのだが、今では少し落ち着きを見せている。


 パン解放騒動で一番呷りを受けたパン屋にも流石に矜持というものがあったのだろう。

 これまで固い黒パンしか焼いていなかったパン屋が旨いパンを焼く事の試行錯誤を始めた事で、徐々に町中に旨いパンが流通し始めている。

 酒場などでもでパンを焼き始めるところも現れており、まさにパンの群雄割拠の時代に突入したといえるだろう。

 当然、ウチの最大の好敵手とも言える眠る穴熊亭もそれに漏れずだ。


 そんなわけで、今のところはクロンを含めた3人ならば特に問題なく回せている。

 そう3人ならば、だ。

 

「クロンが居る時は今の状態でも大丈夫なんだが、クロンが居ない時がな」

「あっ」


 そう答えると、クロンはハッとしたように小さく声を上げると、申し訳なさそうに視線を落とす。

 まぁクロンが気づかないのは仕方がない事だ。

 なにせクロンが居る時は特に問題が無いのだから。

 自分が居ない時の事まで把握は出来ないだろう。

 

「申し訳ないっす……ボクもずっとお店に居たほうがいいっすよね……」


 シュンとした様子で尻尾を垂らすクロン。

 しまった、と思った時にはすでに遅し。

 俺の背中にジットリとした視線が突き刺さる。

 

「クラウスさんは言い方が良くないです」

「う、うむ、すまん」


 別段クロンを責めるつもりはないのだが、あの言い方だとクロンのせいだと言っているにも等しい。


「クロンが冒険者を優先する事は最初から承知の上だから、気にする必要はないよ。寧ろ、クロンにはもっと冒険者として経験を積んで欲しいから、気兼ねなく依頼を受けられるように人を増やすんだって、クラウスさんが」

「そうなんすか?」


 マリーのフォローで僅かに上向いた視線が俺を見つめる。

 概ねその通りなので迷うこと無く頷いて見せる。

 

「クロンはかなり伸びそうだからな。もっと積極的に依頼を受けてもいいと思っている。あぁでも勘違いはしないでくれよ?走る子馬亭にクロンは必要ないってわけじゃぁない。辞められると困るからこそ、人を増やすんだ」

「えっと……よく、わかんないっすけど、わかったっす」


 まぁなかなか分かりづらい話だとは思う。

 自分が居ない時の為に人を増やすなら、その人は自分の代わりなんじゃないかって直感的に思うよな。


 すっかり店の店員としてのクロンが定着してきているが、クロンの本分は冒険者だ。

 だが今は、店の店員としてのクロンと冒険者としてのクロンの割合はおおよそ5対1。

 店員としてのクロンの方が割合として高い状態になっている。

 まぁそれ自体は駆け出しの冒険者にはありがちな事なので問題無いのだが、今後クロンが成長していき、その割合を冒険者側に傾けていきたいと思った時、走る子馬亭にそれを許容出来るだけの余裕が必要だ。

 もし許容出来るだけの余裕が無かった場合、冒険者を優先したいクロンはもしかしたらもっと自由の効く職場へと変わってしまうかもしれない。

 そこまで割り切った決断が出来なかったとしても、それは俺たちの都合でクロンに足枷を付けてしまっている事になる。

 どちらにせよ、お互いにとって不幸だ。

 そしてそういった未来は、決して遠くないと、俺は見ている。

 

「まぁ宿もそろそろ稼働させようかと思っていたところだ。人手を増やすにはちょうど良い時期だったんだよ」

 

 実際、今だ手付かずになっている二階はこのまま放置しておいても勿体ないだけだ。

 冒険者が依頼を受けるために訪れ、飯を食い、道具を揃え、拠点とする。

 それらを一つの建物で賄うことこそが本来の走る子馬亭の姿だろう。

 

 それにはマリーも頷いてくれる。

 マリーとしても元の走る子馬亭の姿に戻したいという気持ちは当然あるだろうからな。

 

「ま、やることはやったし、あとは待つだけだな」


 そういって未だに釈然としない様子のクロンの頭をグシャグシャとかき回す。

 ちょっとくすぐったそうに耳をピクピクと動かして首をすくめた。

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