第26話 冬の忘れ物、故郷、祭り

 ゾワリと背筋を這う寒気に思わず目が覚める。

 もぞりと布団の中で小さく体を動かしてから妙な明るさに気づいて瞼を開いた。

 カーテンの外が妙に明るい。

 よもや昼まで寝過ごしたのかと一瞬考えたが、マリーにクロンも居るのだ、流石に3人全員が寝過ごすということも考えづらい。

 ぼんやりとそんな事を考えながら薄いカーテンを開くと、眩しさに思わず目を細める。


 なるほど、寒いわけだ。


 いそいそと着替えて店に出ると、厨房には既に火が入っていた。


「おはようございます、クラウスさん」

「おはようマリー。早いな」

「寒さで目が冷めちゃって。今お茶入れますね」


 マリーも寝起きなのか、眠たそうに目を細めながらポットに茶葉を入れている。

 こちらも店の暖炉に火を入れようと準備をしていると、二階からクロンが寒そうに体を抱えながら降りてきた。


「おはようございます。うぅー寒いっすねぇ」

「おはようクロン」

「おはよう。大分暖かくなってきたと思っていたんだけどな」

「お部屋使わせてもらってなかったらと思うと恐ろしいっすよ」


 クロンは現在、走る子馬亭の2階の一室を使っている。

 

 クロンを採用後、何処に住むのかと聞けば、金がないので野宿すると言い出していたので、俺とマリーが全力で止めた結果だ。

 カーネリアは新しい街にしては治安がそこまで悪くはないが、それでも女子供が近づくべきではない場所もあるし、今の時期で野宿はしんどい。

 何より、女の子一人を外に放り出すような事は流石にできまい。

 どちらにせよ宿の営業はまだ行わない予定だったのだ。そのうちの一室を使うのは何の問題もない。

 まぁ、全く掃除していなかったので、クロンの初日の仕事は自分の使う部屋の掃除になったのだがな。

 それももう10日も前のこと。なんだか懐かしく感じる。


 来た当初は革の鎧に動きやすく丈夫な旅人用の服という無骨な格好だったが、今ではマリーの給仕服に近いものを着ている。

 動きやすい方がいい、という事だったのでサリーネに頼んでスカートの丈をかなり短く加工したのだが……。


 年頃の女の子なんだからもう少し慎みみたいなものを持ってほしいところなんだがなぁ……。


 まぁその服装のお陰か、クロンの明るい性格故か分からないが、既に常連となりつつある客にも名前を覚えられている程で、こちらとしては非常に助かっているのであまり強くは言えない。


「この様子で野宿なんかしてたら、色々と危なかっただろうな」

「ほんとっすよ……」


 クロンが通りに面している店のカーテンを少しだけ開くと、外は真っ白。

 雪だ。

 どうやら昨夜のうちに積もったらしい。


「大分積もったっすねぇ」

「膝下くらいはありそうですね」


 暖炉に一番近いテーブル席に茶を持ってきてくれたマリーも交えて一服。

 今日みたいに寒い日には温かい茶がたまらなく旨い。

 

「そういえば、このあたりは結構降るのか?」


 前回この街に訪れた時はほぼ1年前。丁度今頃の時期だった。

 その時には特に雪が積もった様子も無かったのだが、雪を見たマリーの反応を見るにそこまで珍しいものではないように思える。


「普段はそれほど降らないんですけど、丁度今くらいの時期ですかね。ちょっと暖かくなってきたかなって頃に、必ずドサッと積もるんです。これでも今年は少ない方ですね」

「へぇ……面白いっすねぇ」


 フーフーと茶を必死に冷ましているクロンはあまり関心が無さそうだ。

 しかし、この国で雪というのは比較的珍しいとは思うのだが、クロンは思ったよりも雪に慣れている感じがある。


 俺なんか初めて雪を見た時は感動して積もった雪に飛び込んだものだが……。


 まぁ、国の中でも北の方ではそこそこ降るらしいから、そちらの生まれということなのかな。

 そういえば、10日も一緒に働いているにも関わらずその辺の話をしてこなかったな。


「クロンは雪を見慣れてるようだが、どこの生まれなんだ?」

「ボクっすか?ボクはエルトワールの森っすね」


 エルトワールの森か。

 国の北側に位置する大きな森だな。確か獣人の街があるという話だった気がする。

 なるほどそこならば雪を見たことがあってもおかしくないか。


 ふと、冒険者時代に共に旅をしていた奴の事を思い起こす。

 そういえばあいつもエルトワールの森に縁があると言っていたな……。


 今何やってんのかねぇ。


 まぁ、そこは俺も一緒か。

 パーティーを抜けた後、俺がカーネリアで酒場をやっているなど思っても居ないことだろう。

 

「確か獣人は自分の故郷を姓にするんだったか。となると、クロン・エルトワールになるのか」

「そうっすね。でもあんまり姓を名乗ることは無いっすね。獣人が相手なら名乗る事もあるっすけど」

「それじゃ街の人はみんな家族なの?」

「そんな大層なものじゃないっすよー」


 驚いた様子のマリーが問えば、クロンは少し照れくさそうにして手を左右に降って否定して見せる。

 

 姓はどこの生まれなのか、という指標になる。

 人の姓は家を示す事から、同じ姓を名乗るということは、それはつまり一つの家族なんだという認識だ。

 対する獣人は故郷を示す意味があるのだから、どこの生まれなのか、という範囲が家ではなく故郷になる。

 人の基準で言えば、カーネリアのマリアベール・ブラウン、のカーネリア、に当たるのが姓ということだから、確かに家族という感覚とは少し違うな。

 マリーの反応も、クロンの反応も共にその価値観にそったものなのだろう。

 俺も獣人と初めて知り合った時はマリーと似たような感想を持ったものだ。


 ただまぁ、クロンの様子を見るに、家族と呼ばれる事に照れくささを感じる程度には繋がりがあるようだな。


「ところでクラウスさん、冬の忘れ物が降ったとなると、少し忙しくなりますね」


 冬の忘れ物、というのは今日降ったこれのことだろう。

 暖かくなり冬が去る際に残していく忘れ物、か。中々洒落た名前じゃないか。

 ただ忙しくなるというのは少し分からない。

 これだけの雪だ。ある程度溶けるなりするまでは客足も遠のくだろう。

 雪の片付けで忙しくなるという意味なら分からなくもないが。

 頭に疑問符が浮かんでいる様子が見て取れたのか、マリーがハッとした顔で恥ずかしそうに笑う。


「あ、そうですよね。どこの街も同じことしてるわけじゃありませんよね」

「どういうことだ?」


 マリーの言葉のお陰で余計分からなくなった。

 何かこの街特有の問題があるとでもいうことなのだろうか。

 

「えっと、カーネリアではこの冬の忘れ物が溶けた後に、雪解けの祭りっていう春を祝うお祭りをするんです」

「おぉー、お祭りっすか!」


 雪の話にはあまり興味が無さそうだったが、見てわかる程に乗り気だな。

 凄い勢いで尻尾を振っている。

 こういう所、獣人は本当に分かりやすい。

 まぁクロンは感情が表に出やすいのか、元々表情もコロコロ変わっていたけどな。

 

「商業ギルドが主催で色々催し物もあったり、大通りには露店が沢山出るよ」

「おぉぉぉ!それは楽しみっす!」


 ふむ、なるほど。商業ギルド主催ということは色々と手伝わされる事もあるだろう。

 普段よりも人通りも多くなるだろうし、店も忙しくなるかもしれないな。

 となれば……クロンには悪いが言わざるを得ないな。

 

「楽しみにしているところ悪いが、クロンは店の仕事優先だぞ?」

「ええぇぇぇぇぇ!!」

「さっきマリーが忙しくなると言ったばかりだろうが」

「うぅぅ……わかったっす……」


 へにゃりと垂れ下がる尻尾を見ると申し訳ない気持ちになるのだが、致し方あるまい。

 今ですらクロンが居ないと崩壊寸前なんだ。

 これ以上忙しくなるのにクロンの手が無いのは流石に無理というものだ。

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