第14話 仕立て屋、銀貨、パートナー
掃除を始めて早々ではあるが、掃除は一時中断して俺たちは街の一画へと赴いていた。
隣を歩くマリーはこれまでの給仕服ではなく、俺が予備で持ち込んだお古を着せている。
流石にボロボロになったスカートをそのまま履かせる訳にはいかなかったが、代わりの服は無いということでの緊急措置だ。
当然サイズは合っていないのでなんとも不格好だが、ボロボロの給仕服よりはマシだろう。
時々すれ違う男どもが振り返っているような気がするが、気の所為ということにしておく。
普段は着慣れないパンツスタイルということも有り、どことなく落ち着かない様子のマリーだがそれももう少しの辛抱だ。
ということで到着したのは、この街で一番という話しの仕立て屋だ。
店の前で立ち止まると、マリーが困ったように左右を見回している。
「えと、あの、クラウスさん、古着屋さんはもっと先ですよ?」
マリーがそういうのにも理由がある。
普通庶民は新たに服を仕立てるということはしない。
新たに仕立てるのは概ね貴族や金持ち連中で、庶民はそのお下がりを古着屋で購入するのが一般的だ。
服を買いに行く、という話ししかしていなかったので、マリーはそういった古着を買うものだと思っていたのだろう。
だが違うぞ?
「いや、ここで合ってる」
「いやいやいや、ここ、クラウゼン工房ですよ!すごく高いですよ!」
「そうだな。マリーからそう教えて貰ったしな」
「違うって分かってるじゃないですか!早く行きましょうよ」
グイグイと俺の袖を引っ張るマリーだが、その程度で動く程俺の体も意思も弱くない。
目的地はここで合っている。
俺の目的は、ここでマリーの給仕服を新たに仕立てる事なのだから。
袖を掴んだままのマリーを引きずるようにして商業ギルドの本部にも負けない程の立派な彫刻の入った店の扉を開ける。
「いらっしゃいませ」
店の中に入るとすぐに随分と質の良い服を身にまとった女性が出迎えた。
うむ、やはりちゃんとしてるところは金の使い道がよく分かっているんだろうな。
店員がみすぼらしい服を着ていてはその店の品質を疑われかねないからな。
店内を見回すと見本となる服が何着か飾られているが、どれも高品質に見える。
デザインも、俺の目からすれば中々に良いのではないだろうか。
今まで俺の袖を引っ張っていたマリーも口を半開きにして店の中を見回している。
走る子馬亭はあの規模の建物を所有できていたくらいだからかなり儲かっていたのだろうが、服を仕立てるということはしてこなかったようだ。
これまでマリーの着ていた給仕服は中々に良い仕立てだったと思うが、おそらくはどこぞの貴族のお気に入りの侍女にでも着せていたものの古着といったところか。
「どのような服をご所望ですか?」
「こいつの給仕服を仕立てたい。汚れにくく、丈夫なものが良いな」
「それでしたら、フォレストスパイダーの糸を編み込んだものがおすすめです」
フォレストスパイダーか。確か危険度は5。
中級者への登竜門と呼ばれているモンスターだな。細くしなやかな糸を作り出すのでその収集依頼も何度か受けたことがある。
「わかった、それでいい。いくらになる?」
「はい、お客様の体格ですと……大銀貨1枚といったところでしょうか」
「だ、大銀貨1枚!?クク、クラウスさん!そんなに高いの私には勿体ないですよ!」
マリーが慌てた声を上げると、更にグイグイと袖を引っ張る。
まぁマリーが慌てるのもわかる。大銀貨1枚は確かに高い。
現在流通している貨幣で最も価値の低い貨幣が小銅貨を4分割した銅貨片。
銅貨片4枚で小銅貨1枚にあたり、パン1個の相場が大体それだ。
次いで小銅貨10枚で大銅貨。
大銅貨10枚で小銀貨。
小銀貨10枚で大銀貨。
大銀貨10枚で金貨となる。
大銀貨1枚は単純計算でパン1000個分だ。
切り詰めれば二人でも半年近くは食える金額、決して安くはない。
だが、それに見合うだけの価値はある、と考える。
ならば答えは一つだ。
「それで頼む」
「かしこまりました。採寸をしますのでこちらへ……」
「ダメです!!」
うやうやしく頭を下げた後、部屋の奥へとマリーを案内しようとした店員を拒絶するように1歩下がり、マリーが大きな声を上げる。
「そんな高価なもの、私は必要ありません!私は古着で大丈夫です!」
そう頑なに拒否するマリー。
確かに大銀貨1枚は大した金額だ。それだけの金があれば、万が一店が上手く行かなかったとしても暫くは食っていける。
後々の事を考えて残しておくという選択肢も間違いじゃない。
ふくれっ面でこちらをジッと見つめるマリー。
うーん、なんだろう。単純にお金が勿体ないから、というだけではないような気がする。
金額的に言えば、ウィルソンのところで買ったワイン樽だってかなりの出費だったにも関わらず、マリーは特にこれといって不満げにすることもなく、むしろ購入には積極的だった。
うーん…と唸っていると、そのマリーが答えをくれた。
「いくら……一緒にお店を立て直すパートナーとはいっても、そんな高価な物をいただくわけにはいかないです」
あぁ、そうか。なるほど、マリーはどうやら勘違いをしているようだ。
……いや、あながち勘違いでもないんだが、それだけが目的ではないのでここはしっかりと説明しなければならないな。
「いいか、これは店の為になることなんだ」
「えっ?」
やはり勘違いをしていたようだな。店のため、という言葉を聞きポカンとした表情。
「マリーは店の看板も同然だ。その看板が汚れているようでは入る客も入らない。無理に着飾る必要はないが、それなりの格好はしておかないと」
「それは……わかりますけど……で、でも、いくらなんでも大銀貨1枚なんて」
「高いものにはそれ相応の価値がある。そうだよな?」
俺の説明に納得はしたようだが、どうしても大銀貨1枚という値段が引っかかっているらしい。
確かに古着ならばかなり状態が良く綺麗なものでも高くて小銀貨1枚程で買えるだろう。
それが10着分ともなれば気が引けるのはわかる。
だが、金は出すところはしっかりと出したほうが良いことがままある。
今はそういう場面だと思う。
その証明の為に店員に投げると、恭しく頭を垂れながら回答してくれた。
「はい、給仕服とのことですから、耐久性を重視した作りにさせて頂きます。よほど粗雑な扱いをなさらなければ10年は問題なくご着用いただけることを保証いたします」
「10年!?」
マリーが目を丸くして驚いている。
うん、俺も驚いている。
フォレストスパイダーの糸がかなり耐久性に優れているということは知っていたが、流石に10年保つとは思わなかった。
まぁ多少盛っているところはあるだろうが、大銀貨1枚も出すのだ、それくらいはやってくれないと俺の顔が立たない。
あぁ、それを見越しての10年かもしれないな。
「というわけだ。それでもダメかな」
「うーーーーん」
まだダメかぁ。
大銀貨1枚という金額を聞くと決断できないのも理解はできるところだ。
仕方ない、今回は無かったことにしよう。
マリーと俺はあくまでパートナーだ。経営に関して口を出させて貰う事も多々あるだろうが、俺の独りよがりではダメだ。
特にこうした金に関係するところは、きっちりと二人が納得した上で決定していかなければならない。
……まぁ、ちょっと俺が逸ったところもある。
折角の美人なのだからそれを埋もれさせてしまうのは勿体ない、と思ったのは俺の自己満足だろうしな。
「分かったよ、今回は古着で済ませよう。色々と騒がせてすまなかったな」
店員にそう告げると、店員はニコリと笑った後小さく頭を下げた。
「またのご来店をお待ちしております」
頭を下げる店員にマリーも申し訳無さそうにしつつ、頭を下げ返す。
新品の服を着ているマリーを見たかったな、という残念を顔に出さないようにしつつ、店を出た。
古着屋に向けて二人で歩き始めるが、ここに来るまでは隣で歩いていたマリーが俺の後ろを歩くようになった。
うーん……やらかしたかもしれん。
特に言葉も無く暫くあるき続けたところで、
「あの……」
と、後ろから声が聞こえてきた。
「どうした?」
足を止めて振り返ると、マリーは申し訳無さそうに視線を落としていた。
「さっきの話なんですけど……」
まぁそういう話になるよな。
マリーの表情からすればどういった言葉が続くのかは予想ができる。
マリーの意見も至極まっとうな意見だった。謝られると逆に申し訳なくなる。
むしろ、俺の方がやりすぎていた感がある。
ここで変なしこりは残したくない。だから先制を撃って頭を下げる。
「いや、俺の方こそすまん。これまでの準備が思ったよりも順調に進んでいたからか、少し気分が高ぶっていたのかもしれん。冷静に考えると気が逸っていたなと反省していたところだ」
と、俺の行為に驚いたのか、マリーが慌てた様子で両手を顔の前で左右に振り始めた。
「あ、いえ、違うんです。クラウスさんの言うことは尤もだと思ったんです。大銀貨1枚も無駄な出費ではないんだなって」
そう話しだしたマリーに俺が混乱する。
あれ?高いからダメだって思ったんじゃなかったのか……?
「え、いや、それならなんで反対したんだ?」
「だって、私の服だけで大銀貨1枚ですよ。クラウスさんの分も仕立てたら大銀貨3枚くらいにはなりそうじゃないですか。流石に大銀貨3枚は出費が多すぎますって」
「……え?」
ん?あれ?マリーの服を買うか買わないかという話だったはずなのに、なんで俺の服の話になってるんだ?
「俺は別にこの服でも全然問題ないんだ。俺の分は必要ないだろう」
思った事をそのまま口にだすと、なんとマリーはキッと眉を釣り上げると、腰に手を当てて、いいですか!と語気を強めて語りだした。
「クラウスさんと私はパートナーです。そのパートナーの片方だけが立派な服を着ているのを見てお客さんはどう思いますか?お互い無理に着飾る必要はないですけど、それなりの格好をするなら二人一緒じゃないと」
思わず口が半開きになっていた。慌てて噤むとマリーの言葉を反芻する。
いやー、これは参ったな。
反論の余地もない。俺が言ったことをそのまま跳ね返された。
あぁ、そうだった。
俺はマリーのパートナーなんだよな。
二人で走る子馬亭を立て直すんだと覚悟を決めたはずなのに、いつの間にかマリーだけが主語になっていた。
それと同時に、気持ちが高ぶっている事に気づく。
「もう、笑ってないで、聞いているんですかクラウスさん」
そうか、俺は笑っているのか。
ならばこの気持の高ぶりは、嬉しい、ということなんだろうな。
「いや、すまない。そうだったな。俺はマリーのパートナーだったな」
「そうですよ、もう。クラウスさんってやっぱりどこか抜けてますね」
先の怒りはどこへやら、ふわりと笑みを浮かべるマリー。
「それじゃ、気を取り直して、古着選びと参りましょうか」
「はい」
その顔を見て、この子とならこの先も大丈夫だと、そう確信した。
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