第10話 価値、値段の意味、新たな縁
新参者故の消費者開拓というのはそれだけ難しいということなのだろうか。
もしくは、値段の付け方に問題があるのかもしれない。
カーネリアの葡萄酒は概ね中の下といったところ。これだけの葡萄酒であれば相対的にある程度の高値は許容されるだろうが、あまりに高値をつけてしまえば手がでなくなる。
その辺りを踏まえて、彼に問いかけるのはこれだ。
「これは1樽いくらで売っているんだ?」
「こんなもんです」
そういって提示した額に、俺もマリーも驚愕した。
安すぎる。
これまで回ってきた酒蔵ではこの額の3割から4割くらいは高い。
更に言えば、カーネリアの外であってもこの値段は下の中程度の質の葡萄酒の値段だ。
ポカンとしたまま硬直しているマリーに代わり、男に問いかける。
「カーネリアの葡萄酒の相場を知らない、のか?」
カーネリアに来たのは半年前ということだったので、もしかすると相場を知らなかったのではないか、と問いかけてみるが、男はそれに手を左右に振る。
「いやいや、流石にそれはないですよ。ただ…高くすると売れないじゃないですか。これでも高いですかね?」
そういってこちらの顔色を伺うように覗き込む男。
男はこれでいいと、本気で思っているようだ。なんならもっと安くすると言っている。
これはチャンスだと、そう思っている自分がいる。
この値段のままこの品質の葡萄酒を仕入れる事ができれば、ウチに取って大きな利益になることは間違いない。
この品質であればそれなりの高値をつけても買い手はいるだろうから。
だがしかし、と思う自分もいる。
それはこの男を騙す事になるのではないか、と。
食うか食われるかの商売の世界でそれは甘い、という人もいるだろう。
だが、
「クラウスさん」
自分を見上げるマリーを見てすぐに結論は出た。
「えっと……正直に言うが」
「は、ハイ」
こちらの言葉にビシッと姿勢を正す男。
「安すぎる」
「え?」
「だから、安すぎるよ、これ」
「……え?」
どうも自分の言うことが理解出来ていないようで、フラフラと泳ぐ視線に困惑が見て取れる。
「この品質なら……そうだな。さっきの値段の2倍で売ってもいい」
「いやいやいや、それじゃ高すぎて売れないでしょう」
そうだろうなぁ…。
彼ならそう返答するだろう。
だからこそこの値段なのだし、更に値下げしようなどといい出すわけだから。
ここは…丁寧に説明する必要があるな。
「いいか?物の値段というのは、謂わばその商品の肩書だ。人に例えれば役職や爵位のようなものだ」
「……はぁ」
どうもピンと来ていないらしい。まぁいい、説明はこれからだ。
「仮に君が酒場に飯を食いに行ったとしよう。そこでその店のオススメ料理を聞く時に、店主と給仕ではどちらに聞く?」
「えっと、そりゃ店主じゃないですか?」
「何故そう思った?」
「だって店主なら店の事全部知ってますよね?」
「実は店主は料理には一切手を出していなくて、むしろ給仕の方が料理に詳しかったとしてもか?」
「えっ!なんですかその引っ掛け問題みたいなの。ずるいですって。それなら給仕に聞きますよ」
「つまり、肩書っていうのはそういうことだ」
「………いや、わかんないですって」
あれー?俺結構わかりやすい説明したはずなんだけどなぁ。
隣で小さくため息が聞こえてくる。
あのぉ、マリーさん、そんな呆れたような顔しないで欲しいんだけど。
見かねたマリーが助け舟を出すかのように続ける。
「えっと、貴方は、その人の能力には関係なく、店主という肩書だけを見て質問した、ということです」
「あぁ、なるほど。いや、それと葡萄酒の値段がどう関係するんです?」
「この値段は質の悪い葡萄酒のそれです。つまり、この値段で売るということは、私の葡萄酒は質が悪いですよ、と言っている事と同じなんです」
「そ、そんな事はないです!飲んで見ればわかる……いや、そうか、そういうことなんだ」
何か心当たりがあるのか、強く否定していたにも関わらず、スッと腑に落ちたかのように語気を弱める男。
「実はですね、いろんな酒場に葡萄酒を売り込みに行ったんですけど、皆値段を聞くと試飲もしてくれなくて。新参だからといってもこの対応はいくらなんでもあんまりな対応だなと思ってたんですよ。あぁ、なるほどなぁ」
ウンウン、と何度も頷く男。
こうして人の意見を素直に聞き入れる事ができるのは美徳だ。
葡萄酒の質は文句ないのだ、これから商売についての知識が身につけば良い酒蔵になることだろう。
「あれ、でもそう考えるとなんで値段について教えてくれたんですか?あなたの話じゃ僕の葡萄酒は2倍の値を付けてもいいって言う話でしたから、安いまま仕入れれば物凄く儲けられたんじゃないです?」
確かにその通り。
あのまま安い値段で仕入れていれば店に出した時の利益はかなり大きくなっていただろう。だがそれは望んでいない。それ以上に重要なものがあるからだ。
とはいえ、素直に話すのは流石に気恥ずかしいのでやめておく。
「それは、あれだ、その、一種の投資、みたいなもんだと思ってくれ。良い葡萄酒を作る酒蔵をこのまま潰れさせてしまうようではこの街にも不利益だからな」
「うーん……、まぁそういうことにしておきます。僕としては純粋に有り難いですし」
おっと中々鋭い。
動揺が顔に出ないようにせねばなるまい。
「で、どうしますか?僕の葡萄酒、買います?値段2倍ですけど」
そういって挑戦的な笑みを向けてくる男。
早速やってくれるな、とこちらも思わず笑みを浮かべていた。
「そうだな、1.5倍で手を打とう」
「いやいや、投資って言ってたじゃないですか。1.9で」
「俺が居なければもっと安く売っていたんだろう?1.6」
「僕の葡萄酒、気に入ってくれたんじゃなかったんですか?1.8」
「1.7だ」
「1.8です」
「……いいだろう、1.8で買おう」
「お買い上げありがとうございまーす!」
互いに右手を差し出し合い、グッと手を結ぶ。
「クラウスだ。こっちはマリアベール」
「マリーと呼んでください」
「ウィルソンです」
実を言えば、元々2倍の値段でも仕入れるつもりではいた。が、向こうがやる気だったのでついつい乗ってしまった。
これくらいの役得は許されるところだろう。
もしかしたら、ウィルソンもそれを理解していた上での遊びだったのかもしれない。
それにしては中々折れてくれなかったが……まぁいい。
こうして有力な仕入先を一つ確保出来たのだから。
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