第39話溢れる(4)

「お疲れさまでしたー」


 十八時を少し過ぎて、店長に挨拶をしてお店を出る。ドアをくぐった瞬間に、セミの声が空から響いてくる。それだけで、じっとりとした暑さに包まれているような感覚がする。


「お疲れ」

「ごめんね、待たせちゃった」

「俺が待ちたかっただけだしね」


 スマホをポケットに仕舞いながら、彼がこちらに近づいてくる。彼って何かで怒ることってあるのかな。

 並んで、私の家の方へと歩く。等間隔の電柱と、ぽつぽつと並ぶ飲食店。駅近くのその通りを抜けると、後はもう住宅が続くだけの道。


「これってもしかしてすぐ愛花ちゃんの家に着いちゃう?」

「んー、後十分位かな」

「どっか公園とか寄り道しようよ、後十分は短すぎる」

「んー、少しならいいけど」

「コンビニとかある? アイス食べない?」


 いつもの道から逸れて、左に曲がる。車一台が通るくらいの細い道を抜けて、もう一度曲がると七と書かれた看板が見える。店内に入ると、冷気が熱くなった体を冷やしてくれて気持ちいい。

 奥に進むと、アイスのコーナーがあって、色んな種類のアイスが並んでいる。


「愛花ちゃんどれにする?」

「じゃぁこれ」

「おっけー」


 手に取ったアイスを、彼の手が奪っていく。レジへと進む背中についていって、お会計の時に財布を取り出したけれど払う隙は無かった。罪悪感のようなものが募っていくのは、私が変なのかな。


「ねぇお金」

「バイトお疲れ様ってことで」

「んー、」


 開封して齧ったソーダ味は、いつもよりほんの少しだけおいしくない。コンビニ前の公園には、夏休み中の小学生たちがサッカーボールを蹴って遊んでいる。それを見ながら、ベンチに座って一緒にアイスを食べる。何かがあれば気は紛れる、けれど、今この瞬間に理歩とあの子が会っているのだと思うと、どうしても気分は沈む。


「バイト疲れた? 元気ないね」

「まだ始まったばっかりだし、流石にそうなのかも」

「そっか。 夏休みの間だけなん?」

「ううん、一応続けるつもりだよー。 ご飯もね、ちょっとだけメニュー教わったりできるし。 美味しいんだよねあそこの料理」

「そういえば家でご飯作ってるんだっけ」

「夜はねー」


 小学生達の笑い声、隣で話す彼の声、セミの音、時折揺れる木々の音。どれも一枚膜を通したようにぼんやりと聞こえてくる。溶けだしたアイスが指に伝って、少しべたつく。最後のひとかけらを口に含んで、棒を袋の中に捨てる。


「雄一郎君はかぼちゃ好き?」

「え? どちらかと言えば?」

「そっか」

「突然だなぁ。 好きなん?」

「うん、かぼちゃのサラダがね、得意料理」

「なにそれ、めっちゃ食べたくなってきた」


 本当にそう思っていそうな顔。少しだけ期待の籠った、少年みたいな無邪気な顔。ママも昔は、パパのこんな顔を見て作ってたのかな、なんて。ダメだね、こんな自傷行為。


「帰ろっか」

「作ってくれないんかい」

「ふふふ、だって作る機会もないしー」

「愛花ちゃん、なんかどんどん辛辣になってくよね」

「そうそう、だから諦めた方がいいよー」

「逆に心開いてってくれる感じあるけどね」

「本当ポジティブだねー?」

「あはは」


 おかしそうに彼は笑うけど、どうしてそんなに強いんだろう。どんな言葉も真正面から受け止められるのは、十分に凄いことだと思う。私には持っていないものをたくさん持っている人だと思う。


 立ち上がった彼が大きく伸びをする。それに続いて立ち上がって、一緒に公園を出る。子供たちはまだ、ボールを夢中に追いかけている。


「またお店行ってもいい?」

「いいけど、雄一郎君は楽しいの?」

「俺? 俺はやりたいなってことしかやってないよ」

「ならいいんだけど」

「応えられないことに罪悪感感じる必要はないよ。 こっちも諦めてないし」

「……そうかもね」


 気持ちよく上がる口角。自信を伺わせるその笑い方は、最初から変わらない。どんな言葉も受け止められるのは、それだけ自分に芯があるからなのかな。分からないけど。


「あれが愛花のお家」


 年月を感じさせる塗装の剥がれに、ところどころ茶色や黒色の汚れが付いた、シンプルなマンション。パパが頑張って買った、中古のマンション。


「じゃぁまた、今日はゆっくり休んで」

「ありがとう」

「じゃぁね」


 手を振って、彼が引き返していく。小さくなっていく背中を見つめていると、その奥から一人、男の人がこちらに向かってくる。雄一郎君とすれ違って、その人は振り返って雄一郎君をじっと見つめる。くたくたの作業服、帽子でぺちゃんこになった髪。その人が、パパが、振りかえって私を見る。


「……彼氏か」

「違うよ」

「……本当に、どんどんあいつに似ていくな」


 パパがそう言い捨てて、先にマンションへと入っていった。

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