第38話溢れる(3)


 祭りというものには、あまり縁がなかった。それは昔から母は夜遅くまで働いていたのもあるし、友達を作るのが苦手だったというのもある。夜の催事に、子供で一人参加する勇気ももちろんなかった。


 駅に貼られたポスターは、毎日私の視線を奪った。誰かとこういうものに行ってみたかった。少し、いや、すごく憧れていた。だから、空から太陽の色が消えていく時間に友達と二人で祭りに来ている、それはとても新鮮で、鮮やかな景色だった。


「優は何が食べたい?」

「そうだなぁー、焼きそばかたこ焼きと、ラムネかな」

「どっちも祭りって感じするね」


 でしょ、と笑った優は空になった氷と書かれたプラスチックカップを私の腕から取って、近くにあったゴミ箱に捨てた。なんでもないように優しくふるまえるのは、彼女が人気者の所以だと思う。

 一分も歩けば焼きそばとたこ焼きの出店は見つかる。分け合いやすいたこ焼きに落ち着いて、たこ焼きを一つと、ラムネを二つ買う。店の前で、優のを盗み見ながらラムネの蓋をあける。カシュ、という炭酸の抜ける音の後に、泡が吹きこぼれていく。


「ゆ、優、泡が」

「理歩下手くそだなぁ」


 器用にビー玉を押し出した優はこちらを笑いながらラムネの瓶を私にくれる。泡が溢れて少しべたついた瓶を取って、何でもない様に口をつける。鞄からハンカチを取り出して優に渡すと、無邪気に笑って彼女がそれを受け取る。

 優、という名前は、そのまま彼女を表していると、たこ焼きが入った袋を当たり前に持ってくれる所も含めて思う。


「どっかで座って食べたいね」

「うん、どこかあるかな」

「あっちに公園あったよね」


 大通りを抜けると出店の数が減って、それに伴って人数も減る。人のざわめきが遠ざかって、代わりにどこかから蝉の鳴き声が聞こえてくる。夜になったせいか、人込みを離れたせいか少しだけ涼しい。

 少し歩くと住宅が増えてきて、そこに小さな公園がある。名前も知らない、ベンチとブランコがあるだけの簡易的な公園。けれどそこには同じ目的と思われる人たちがいた。


「考えることはみんな同じだね」

「確かに」


 結局公園の入り口の塀に並んで座る。結構歩いたせいか、足の裏にじんわりとした疲れを感じる。ビニール袋がガサガサと音を立てて、中から熱々のたこ焼き。二人で箸を分け合って、たこ焼きを食べていく。口の中でとろとろの生地が広がる。


「おいしい」

「出店のっておいしいよね」


 半分に切って、冷やしてから食べていく優は、猫舌なのかもしれない。半分に切って、更に入念にふうふうと冷ましてから食べていく姿は見ていて少し愛らしい。


「優、青のり口についてるよ」

「え、嘘」


 優の人差し指が上唇に触れる。鞄からハンカチを取り出そうとして、そういえば先ほど貸したのだったと思い出す。まぁ、ちょっと位ならいいかな。


「取れた?」

「んーん、こっち」


 青のりのついた下唇に触れる。親指の腹で拭うと、リップと一緒に青のりが取れた。ポケットティッシュをだして、親指に付いたそれを拭う。もう一度優を見ると、彼女がこちらを見たまま一向に動かない。


「優? 取れたよ」

「いやいや……言ってくれたら自分で取るのに」

「あ、そうだよね、ごめん」

「いや、ありがとう、なんだけど」


 優の人差し指が唇をまた撫でる。ゆっくりと左から右へ滑っていくそれは、なぜだか少しだけ艶めかしくて、少しドキッとする。街灯に照らされた優の顔は、いつもより赤い。


「理歩はさ」

「ん?」

「好きな人いる?」

「え?」


 伏せた目が、ゆっくりと持ち上がって私を見る。赤い頬、少しだけはがれたリップ、私を覗き込むように見つめる、丸い黒の瞳。いつもと違う優に、なぜだろう、心臓が少しだけ早くなった。

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