第28話理歩は私の、(2)


 中学に入って少し経った位に、私は結構モテるんだなぁって気づいた。同級生からも先輩からもよく声がかかったし、それを純粋に、嬉しいと思っていた。


 けれど家に帰ると、そんな気休め程度の幸福は途端に鳴りを潜めた。物苦しい空気が家全体を包んでいて、私はそれを知らないふりで、少しでもその空気が明るくなればいいと、明るく努めた。


 三月十九日、日付まで覚えている。

 学校は春休み目前で、空気は新しい風の匂いを含ませていた頃、学校から家に帰ると、母が荷物を整理していた。正確には、全部の荷物を整理してテーブルで私を待っていた。


「愛花ちゃん、ごめんね」


 ママはたくさんの言葉を語った。

 素敵な家庭を築こうと頑張ったこと、頑張って私をいろんな塾や習い事に通わせていたこと、パパは金の無駄遣いだと怒ったこと、価値観がどんどんとずれていったこと、三十三歳はやり直すために猶予がないこと、ママを本当に愛してくれる人が出てきたこと、パパは自分を引き留めてはくれなかったこと。

 それは結局、どれも簡単に言えばここを出ることは仕方のないことだ、ということで。当時の私は、その言葉をたくさんの涙で受け止めることしかできなかった。


「嫌だ……ママ大好きだから、愛花頑張るから、ここにいてよぉ」


 私の言葉に、ママはまた同じことを語った。私の大好きは、その顔も知らない愛人にも勝てないのだと知った。ママは、自分の免罪符を私に言い聞かせるために、わざわざ私を待っていたのだと知った。


 それなのに、それでも私はママが大好きだった。ママが出ていったのはパパのせいだと思うことにした。そうすることで、ママが私を捨てたことから目を逸らそうとした。結局、私はママと同じように責任転嫁した。


 パパに強く当たると、パパはだんだんと私をママを見るのと同じような目で見るようになった。けれど、それを口には決して出さなかった。


 そうやって少し経った日の終業式。午前中で終わった学校に、私は家に帰りたくなんかなかった。ママがいない家、私を鬱陶しそうに見降ろす目も、見たくなかった。夜は全然眠れなくて、思い返せば涙は際限なくあふれて、私にとって、その日々は人生の中で一番つらい時期だった。


 立ち寄ったのは図書館で、春の暖かい陽気と、図書室の静謐な空気と、終業式に学校に残ってる人の少なさと、とにかくそこは、ひどく静かで。誰もいないのだと思ってた。


 静けさの中に包まれて、限界だった瞼が次第に閉じていって、気づいたらそこで寝てしまっていた。

 そこで、理歩に出会った。


 理歩は、私を起こさずに待ってくれていた。

 最終下校時間になるまで、明るかった外がオレンジ色になるまで。


 久々の睡眠からゆっくりと浮上した時に見た、彼女の横顔を今でもはっきりと覚えている。オレンジ色に照らされて、本を読む横顔の、まつ毛がキラキラとしてて。丸い耳の形だって、はっきりと覚えている。


「あ……起きました?」

「え、と……ごめんなさい、帰ります」

「大丈夫です。 それより、大丈夫ですか?」

「え?」

「あの……」


 少しだけ戸惑うように揺れた瞳が、ゆっくりと私を見つめなおして、理歩の手がゆっくりと私の目尻に触れる。濡れた感触に、あぁ、泣いてたんだ、とその時になって気づいた。

 その手が、すごく優しかった。手だけじゃなくて、理歩の全部が優しくて、それがたまらなく痛くて。私はまた涙をこぼして、枯れはてるまでひたすらに泣いて。理歩はただ、何も言わずに私の背中を撫でてくれた。


 理歩だけが、私が泣き止むまで、ただじっと、隣にいてくれた。

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