第27話理歩は私の、(1)
腕を引かれて、そのままついていく。廊下を抜けて、入ったのは使われていない空き教室。昔はもっと生徒が多くて、十クラスくらいあったらしい。中に入ると埃っぽい匂いと、端に寄せられた机や椅子がある。
「ここねー、俺たちの秘密の場所。 愛花ちゃんにも教えてあげる」
いつも通りの、誰も拒絶しない声。その軽さが、信用できないのに、こういう時ばかり甘えたくなる。埃だらけの机や椅子の中に、明らかにきれいなものがいくつかあって、この人の言う通り、日ごろから使われているのが分かる。
一番窓側にある椅子に座ると、彼は前の机を椅子代わりにして、壁に背中を預けた。
「バスケの男子も、次は決勝って知ってた?」
「え……時間大丈夫なの?」
「後三十分位はね。 応援、来てくれるんでしょ?」
「あー、そうだったね」
「あはは、他人事すぎ。 愛花ちゃんの為に、頑張るのになぁ」
「私の為に頑張ったって、意味ないよ?」
「少しでも愛花ちゃんが元気になるなら、意味あるかもしんないし」
「……」
「今日どうしたの。 自分のこと私って言ってるくらい、いつもより余裕ない」
私をまっすぐにみる目は、真剣なのにどこか緩く弧を描いている。ずっと笑ってるから、それの癖がついているようにも見えるし、全部を包んでくれるような優しさにも見える。どっちかは、わからないけど。
余裕がないっていうのかな。取り繕えない、から、そういうことなのかな。
「これでも言わないか……愛花ちゃんは意外と頑固だね」
「言わないっていうか、どう言ったらいいかわかんない」
「気ままに生きてるのかと思ってたけど、本音は隠すタイプだ」
「そっちこそ女の子にモテたいだけかと思ってた」
「それは正解。 でも誰でもいい訳じゃない。 愛花ちゃんじゃなきゃね」
そういうものなのかな。私のめんどくさい部分を知っても、それでも私がいいなんて、あるのかな。私も、理歩じゃなくて彼をそんな風に思えたら、そっちのほうがいいのかな。なんて、そんなの、きっと無理だけど。
「好きな人が、私から離れてくかもしれない」
零れ落ちた言葉は、そのまま私の頭上に落ちて私の体を真っ二つに引き裂く。私の大切な人、大好きな人、本当は独り占めしたくてたまらない人。貴女が、私の隣から離れていく。それが、たったそれだけが、私の心をこんなにも引き裂く。
「良い人だもん。 あんな子が隣にいたら、そっちがいいに決まってる」
「……それは、そいつに直接言われた?」
「聞きたくない、そんなのもう、二度と聞きたくない」
ママの声は、何度も何度も繰り返し私の頭で反響する。出ていったあの日に言われてからずっと。あんなの、もう二度と嫌。理歩からそんなこと言われたら、私はもう私ですらなくなってしまう。
目頭が熱くなって、思わず机に突っ伏す。真っ暗な視界の中で、ぎゅっと硬く瞼を閉じる。胸が痛くて、触れば血が噴き出しているかもしれない、それくらいに、ジンジンする。
「大丈夫?」
「わかんない」
もうわかんないよ。
理歩はああいう子と仲良くなった方がいいって思ってるし、私なんかと仲良くして誰かに陰口とか言われたりするのは嫌だし、でも、理歩のあの可愛い笑顔を見せてくれるのは私だけがいい、私だけ見ててほしい、他の人になんか笑わないでほしい。
「じゃぁ、愛花ちゃんの気持ちはちゃんと伝えた?」
大きな手のひらが、頭に触れる。動くことなく、ただじっと、その重さと温かさだけを感じる。
「伝えちゃ、ダメ」
「どうして?」
「大好きって何度言ったって、ママは困ってばかりだった」
私のこんな気持ちなんて、理歩に知られたくない。きっと戸惑って、困ったような顔をされる。あの時のママみたいに。
理歩の私への気持ちは、私と一緒なんかじゃない。私のこの重たく縛り付けるそれとは全然違う。理歩にとって私は特別かもしれない。でもそれは、私が初めての友達だっただけだ。理歩のいろんな苦しみを、私が初めて受け止めてあげた、たったそれだけのことだ。理歩のそれは、初めて親鳥をみた小鳥のそれとさほど変わらない。
「俺はね、伝えなきゃ始まらないなって思ってるよ」
真っ暗な中に響く、独り言のような声色。
「愛花ちゃんに好きって言われたら、部活毎日頑張れるけどね、俺なら」
そう言って励ますような明るい声に、ぎゅっと拳を握る。私が隣にいることで、彼のステータスが上がる、だから嬉しい。違う、彼がそんな人じゃないことを私はもう知っている。
それでも、その気持ちを受け入れることができないのは、その気持ちが理歩からじゃないからだ。
私にとっては、やっぱり理歩だけが特別なの。
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