第24話あなたの隣(2)


 ふらふらと廊下を歩く。どこの教室もまるで昼休みのように賑やかで、窓越しに見える運動場も気合に満ちた生徒たちがせっせとボールをパスしている。


 歩いた先に、一年三組の札が見えて立ち止まる。

 嫌なことがあるとすぐにここに逃げちゃうのは、私の悪い癖なのかもしれない。今はもうきっとたくさんの生徒がいて、突然私が理歩を訪ねたらきっと周りにびっくりされちゃうよね。


 頭の中で、女の子の冷たい声が反響する。

 あの声が、視線が、理歩にまで向けられてしまうことだけは嫌だ。


 ゆっくりと踵を返して、適当にまた歩き始める。迷子みたいにふらふらと歩けば、きっとそのうち時間が過ぎて、全部忘れられる。


***


 体育教師の熱い激励を受けて、クラスマッチが始まった。何をやることもなく、講堂で一人知らない人たちの卓球のラリーを見ている。他の種目と違って、比較的緩やかな競技なのは、すごく有難い。


 軽い音を立て、板の上をオレンジの球が跳ねているのは、妙な可愛さがあるかもしれない。


「次一年七組と五組の女子集まってくださーい」


 体育委員の掛け声に、立ち上がる。頑張れ、と手を振ってくる知らない男の子に手を振り返す。誰だっけ、同じクラスじゃないと思うんだけど。


 三人一チームで、二人勝った組の勝ち、十一点先取。簡素な独自ルールの説明を受けて、適当にじゃんけんで順番を決める。台の前に立って、何回か軽く練習したら、もう本番。盛り上がりポイントは今のところどこにもない。

 

 カコン、カコン。


 軽やかな音、決めた方向にボールを返すくらいなら私にもどうやらできるみたいで、それなりにやっているうちにマッチポイントになった。相手も私と同じくらいクラスマッチとは縁遠いようで、逆転を目指して闘志を燃やしている様子もない。


 何回かのラリーの後、相手が空振りをしてボールが床を転がっていく。


「ありがとうございました」


 挨拶をして、次の人と交代。事務的な作業のような、そんな感覚だった。どこかの台で、男の子たちがはしゃぐ声が聞こえてくる。さっきと同じ場所で体育座りをして、ぼんやりと様子を眺める。


 なんていうか、平和だなぁ。

 試合とか関係なく、今日はもうずっとここにいようかな。流石にお尻がいたくなっちゃうかな。


 同じクラスの子の試合を眺めていると、次の子も勝ったみたい。審判の子がトーナメント表の七組から伸びる線を赤い太ペンでなぞっていく。次は二組とぶつかる、らしい。


「おー、いたいた」

「ん?」


 影がかかって、見上げると彼が私を見降ろしていた。何してるか、なんて聞かれても、見ての通り試合を見ているとしか答えられない。


「卓球も七組勝ってんじゃん」

「らしいねー」

「はは、他人事」


 楽しげに笑いながら、彼は隣に座りこむ。誰にでも、かと思ってたけど、本当に私にばかり、らしい。

 バスケの話、手に入れた色々なクラスマッチ情報、彼の横顔を見つめながらその話を聞く。バスケ終わりのせいなのか、いつもより少しだけ髪が乱れている。


「後なんか、けが人が出たって、バレーで」

「ふうん?」

「三組の女子らしいんだよねー。 でも結局三組が勝って、次七組とあたるらしいんだけど」

「え、大丈夫なの?」

「んー、なんか保健室に運ばれたって聞いた」


 まさか、と思う。

 バレーが何人チームなのか分からないし、どれくらいひどいのかも分からない。でも、それは多分大事なことじゃない。理歩かもしれない、理由ならそれだけで十分で。


「ごめんちょっと用事できた」

「え、次の試合そろそろじゃ」

「私の代わり、誰か探してくれる? 本当にごめんね」


 講堂を飛び出す。保健室ってどっちだっけ。分からなくて、とりあえず左の方へ走り出す。違ったらぐるっと一周すればいい。何人かの生徒とぶつかりそうになりながら廊下を走っていると、職員室が見えた。そういえば、職員室の近くだった気がする。


 職員室を通り過ぎて、第二視聴覚室、それを超えて、保健室のプレートが見えた。


 そこから、一人の女の子が出てきた。

 最近よく見る、理歩のお友達。慌てた様子で出てきた彼女の頬は、まるで夕焼けに照らされているみたいに真っ赤に染まっている。保健室のドアで一度顔を覆った彼女が、くるりとこちらを向いて、ようやく彼女がこちらを見る。


「あ」

 

 分かりやすい動揺が、その視線の揺れから伺える。まるで何か秘密を暴かれる前のような。私はそれで、保健室にいるのはやっぱり理歩なのだと確信する。


「あの」

「ご、ごめんなさい!」


 声をかけた瞬間、びっくりするくらいの声量で謝られて、彼女は反対方向へと走っていく。一歩だけ進めた足は、けれどそれ以上彼女を追いかけることはできなかった。


 両手で顔を覆った彼女の、その真っ赤な頬と。彼女の人差し指が、ゆっくりと自身の唇をなぞるのを見てしまった。その彼女の、溶けだしそうな表情が、網膜に焼き付いて離れない。


 ねぇ、待ってよ。どうして。

 ごめんなさいと、謝るのは何故?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る