第22話弾む理由(4)


 ホイッスルが鳴り響く。最後に無理やり放たれたボールは、ドラマのような大逆転を呼ぶこともなく、あっけなく私と絵里ちゃんのクラスマッチの終了を告げる。

 

 七組の女子たちが歓声を上げるのを横目に、まぁこればかりは仕方ないと皆で肩を寄せ合う。現役バスケ部が二人に元バスケ部らしき人がいては、どうあがいても勝てはしない。


「まぁしょうがないよね。 応援頑張ろ」

「そうだね」


 体育館の出入り口に、理歩と沙耶が立っていた。二人と合流して、しばらくの自由時間。理歩は入学式以来の、ポニーテール姿。あの時とは違って髪はまっすぐに重力に従い肩へと流れていて、あの日は少し巻いていたのだと知る。


「髪、まとめてるのやっぱり可愛い」

「え? あー……ありがとう」


 なんとなしに出た言葉に、理歩はまとめた髪を指で撫でて、視線を下に逸らす。透けるような白い肌が、赤みを帯びて。私の言葉に、理歩が初めて心臓を早めたのだと知るシグナルに、私はつられるように鼓動を早くする。


 どうして、たったのそれだけで、捕まえてしまいたいような逃げ出したいような気持ちになるのだろう。


「つ、次、何時だっけ」

「次は十一時だから、運動場いって少しボールでも触っとく?」

「うん、そうしようかな」

「おぉ、理歩がやる気で嬉しいねぇ」


 まだ頬に残る温度の意味を、知っているのは私と理歩だけ。その温度が、少しでも長く、理歩に残ればいいのにと思った。


***


 運動場は、試合の他にもボールで遊んでいる生徒もたくさんいて、体育館以上に賑やかなことになっていた。テニスコート横の空いた場所で、小さな円になって少しパスの練習をする。体育委員が集合の合図をかけ、理歩と沙耶がコートへと向かう。


「それじゃぁ、応援頑張りますか」

「うん、頑張ろう」


 初戦と違って、試合は接戦だった。サーブを落とすことはお互いほとんどなくて、ラリーもそれなりに続く。相手のチームにも、バレー経験者がいることはすぐに分かる。声援にも熱が入って、コートの周りには結構な人が集まっていた。


 外で動き回れば、六月でも汗は流れる。理歩が首元を手で拭うと、髪が一筋首に張り付いているのが見える。上を見上げる真剣な表情は、いつもの涼し気な雰囲気とは少し違っていて。


 相手チームのパスがふわりと放物線を描く。バレー部経験者と思われる人が綺麗な助走をつけジャンプする。ぴたりと綺麗な連携で、ボールがまっすぐにコートへ飛んでいく。


「っ、理歩」


 ボールは勢いよく角度をつけて理歩へと飛んでいって、それは避けるよりも早く理歩へとぶつかる。鈍い音が響いて、理歩が後ろへよろめく。ホイッスルが鳴ると、理歩の元へ沙耶が駆け寄る。


「いった……」

「理歩、大丈夫?」

「た、ぶん」

「理歩」


 駆け寄って顔を覗き込む。鼻血なんかは出ていないけど、硬く瞑った瞼に、押さえた頭。結構鈍い音したし、このまま試合を続けるのはやめた方がいいに決まっている。


「保健室いって休もう、理歩」

「でも、試合」

「すみません、代わりの子入れたりとかって大丈夫でしたっけ」


 沙耶が審判へと駆け寄っていく。手を取って、肩を支えて立ち上がる。足取りはしっかりとしているし、しばらく休んでいれば問題ないとは思うけれど。


「歩ける?」

「うん、ほんと、ボールに当たっただけだから」

「絵里が代わりに入れるって。 気にせず保健室で休んでて」


 沙耶が確認を取ってくれて、絵里ちゃんも理歩のポジションに入ってくれてようやく理歩も納得できたようで、ゆっくりとコートから離れる。ふらついたりはないし、意識もはっきりとしている。


 保健室に着いた頃には、表情もだいぶ和らいでいる。保健室の先生に状況を伝えて、ひとまずお昼まではベッドを借りれるようになった。大げさだと渋る理歩を、半ば無理やりベッドに寝かせて、近くの椅子に座る。


「ちゃんと休んで、午後からまた出ればいいよ」

「……うん」


 窓の向こうで、生徒の歓声が聞こえてくる。窓とカーテンを経たその音は、心地いいBGMにも似ている。

 喧噪の中に、ぽつんとある空間には、外とは違う時間の流れがあるようにさえ感じられて、静かな時間がじんわりと染み込むような感覚。


「なんか、寝そうかも」

「ふふ、ちょっと分かる」

「理歩はベッドだし、余計にじゃない?」

「目瞑ったら寝ちゃうかも」

「痛み、もう平気?」

「うん、ありがとう、優」


 綺麗な瞳が、私を見上げる。少しだけ緩やかに細まるそれは、すっかりと私を内側に入れているような、そんな形をしている。その瞳に、私はどんな言葉を返せばいいか分からなくて。ただ、体だけが全部をわかったように、どくどくと血液が巡っていく。


 ゆっくりと閉じていく瞳。深くなっていく呼吸の浮き沈み。力の抜けた手が、枕の横に置かれている。外の喧騒は、私の心臓の音をかき消してはくれない。


 閉じた瞼。額を滑る前髪。白く透けるような肌に、薄く彩るピンク色の唇。

 目が離せない程に、それはあまりに綺麗で。


 普通は、面倒ごとから一番遠い。例えばくだらないいじめとか、クラスのカースト制度とか、恋愛事情とか、そういうことに失敗しないようにしなくてはと、そう思っていたのに。


 立ち上がって、ゆっくりとベッドへ近づく。ベッドの縁に手を置いて、上体をゆっくりと傾ける。遠くの喧騒、どこか遠い場所で警鐘を鳴らす、私の理性。


 普通、って、なんだっけ。


 心臓が飛び出しそうなほどに騒いでいて、私を止めてくれるものすべてをかき消して。


 ただ、唇に触れた、その柔らかさだけが残った。

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