第17話解く(1)
お昼休みとは思えないほどの、暗い空。梅雨に入ったことを告げたニュースの通り、窓の外ではとめどなく雨粒が降り注いでいる。運動場はたっぷりと水を吸い、まだら模様に水たまりを作っている。
「あーあ、雨だし、テストだし、六月っていいとこないなぁ」
「来週からはテスト一週間前で部活もないしねぇ」
二人の会話を聞きながら、お弁当に入ったハンバーグを口に含む。テスト勉強は当然のように進んではいない。図書室は人が多くなって、まるで違う場所のように賑わっている。
「部活ない間さ、皆で勉強しようよ」
「おー、優が教えてくれるって」
「優ちゃんさすが~」
「いや、教えられるほど頭良くないし、沙耶のがいいよ普通に」
「え、マジ?」
「誤差だよ誤差。 それ言ったら理歩とか、めちゃくちゃ頼りになりそう」
「……」
「……理歩ー?」
「へ」
お弁当を見つめていた視線を持ち上げると、三人がこちらを見ている。梅雨に入ったって話だっけ。あれ、テストの話、部活の話。何を話していたんだっけ。女の子たちの会話は次々と色を変えて、少しの間に置いて行かれてしまう。
「来週から絵里ちゃんも沙耶も部活ないから、四人で勉強会でもどうかなって」
「一人だと数学無理」
「私は英語」
「あー、うん。 大丈夫」
「理歩は結構成績いい?」
「全然だよ。 友達に教えてもらって、それでようやくここに入れたような感じだし」
私達が通う中学は、そんなにいい学校じゃなかった。いつだって誰かが問題を起こして、校則は厳しくて。愛花がこの高校を提案してくれて、私たちは図書室や私の家でよく勉強をしていた。
あれから、彼女からの連絡はない。私も、彼女とのLINE画面を眺めては、結局何も送れない夜を繰り返している。受験期間は本当に一緒にいたのに、こうしてクラスが違って、少し距離があけば、こんなにも一瞬で遠くなるんだ。
「んー、理歩」
「なに、沙耶」
「なんでそんなに落ち込んでるの」
リンゴジュースを飲みながら、なんでもないことの様に沙耶は聞く。私はそれにドキッとして、頭の中がぐるぐるとしてうまく言葉が出てこなくなる。
そんなに分かりやすかったかな、私。
「まぁ話したくないならいいけどね」
「じゃぁ聞かないのー」
「気にはなるからさぁ」
絵里が沙耶を宥めてくれる。何をそんなに落ち込んでいるのか、か。
私はどうしてあんなことを言ってしまったんだろう。どうしてあんな態度をとってしまったんだろう。私の言動はめちゃくちゃで、きっと愛花を困らせたし、流石に今回は呆れられたかもしれない。そういうのをひっくるめて、自分の幼稚さに落ち込んでいる。
「……友達と、喧嘩してて」
「え、理歩が?」
「喧嘩っていうか、私が我儘言ったっていうか……それから向こうから連絡がなくて」
「早く謝っちゃった方がいいやつだ」
「わかってはいるんだけど」
沙耶の言葉に、思わずそんな弱音を吐く。難しいよね、という絵里の言葉に思わず肩を落としてため息を吐く。たったそれだけのことが、私たちは難しい。
隣にはいたけれど、いつだって超えてはいけないラインが愛花にはあって、それを越えようとすると距離が開くようにできていた。愛花の教室まで行ったって、愛花は私を見なかった。私はその時、その境界線の存在を知った。
きっと、その境界線を、今回は踏み込んでしまった。
「この学校の子?」
「うん」
「ふーん、誰?」
「ちょっと沙耶」
「宮崎愛花って子。 七クラスの」
「え、めっちゃ可愛い子じゃん」
これまでで一番の反応をする沙耶。確かに愛花は本当に可愛くて、中学の頃からいろんな噂はあった。けれどそのどれも、愛花からはめんどくさいよという言葉で終わってしまって、その噂がどれだけ本当かなんて知らない。
「いいなぁ、私も仲良くなりたい」
「えぇ?」
「沙耶は脳直でしゃべりすぎ」
「えー? でもさ、理歩の事一番気にしてたのは優じゃん」
「そ、うかもしれないけど……人には言いたくない事情っていうのもあるかもしれないし……」
弱々しく優は答え、それ以上突っ込まれるのを阻止するかのように飲み物を飲み始める。
優はあの日のことを断片的にとはいえ知っているから、余計に気を遣わせちゃっているのだろう。それでも何も言わずにいてくれているのが、優なりの優しさなのだと思う。
「まぁテスト勉強にも身が入らないなら、ちゃちゃっと謝るのがいいと思うけどね」
「そう、だからテスト勉強の話してたんだった。 ね、理歩」
そう言って優が笑いかけてくれる。喫茶店でも、教室でも、図書室でも、誰かの家でもいい。そう言って計画を進めてくれる優に、なにも聞かずにいてくれる優に、少しだけ安心してしまう。
けれど、沙耶のいうことは正論だから。このまま逃げてばかりいるのもダメなのは分かっている。今日の夜、もう一度愛花に連絡できるように頑張ってみよう。
窓から眺めた曇天に、私は一つ決意をした。
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