自身の考えを客観的に見るために言語化してるだけ
それからしばらくは大変だったものの、俺が家にいない間はベビーシッターに来てもらって補助してもらいつつ、誠一を育てた。ちなみにベビーシッターは、児童相談所の栗原の紹介で来てもらった、
<事情を抱えた母子のケアに慣れた人材>
だったことで、羅美に対しても余計なことは言わず、ただ必要なことを淡々としてくれる人だった。これも本当にありがたかった。
世の中にはとにかく持論を展開しそれを押し付けようとする奴も多い。まあ、俺もこうしてあれこれ並べ立てちゃいるが、これは何度も言うように俺自身に対して言い聞かせてるのと、自身の考えを客観的に見るために言語化してるだけに過ぎない。羅美に対して説教臭くくどくどと言わないようにはしてるんだ。
俺自身、そういうのは好きじゃないからな。
「オッサンはなんでそんなことができんの……?」
羅美に問い掛けられてそれで持論を展開した時には、
「キモっ! 普通にキモっ!」
って引かれたしな。自分以外の誰かに面と向かって語るとたいていはそういう反応になるだろうなってのは分かってるんだよ。
だから、必要な時に簡潔にしつこくならないように口にするだけにとどめてるつもりなんだ。
大事なのは、
『長々とお説教を垂れる』
ことじゃない。親自身が<手本>を実際の振る舞いとしてやって見せることだ。それを実感する。
『赤ん坊が泣いててもすぐに抱っこしたりしなくてもいい』
と言われてたりするらしいが、俺の実感としてはそれはちょっと違う。
『母親一人で赤ん坊の相手をしなきゃならない場合には、無理はしなくていい』
というだけだと感じるんだ。だから、<抱き癖>を付けるつもりで俺は誠一を抱き上げた。ベビーシッターもそうしてくれてたしな。
母親一人で赤ん坊の相手をしてて精神的な余裕がなくなってると、それを赤ん坊も敏感に感じ取って余計にぐずることもあるだろう。だから無理をする必要はないってだけだろうな。
対して俺は、仮にも長女をあやした経験もあるから、その分だけ慣れてるし、精神的な余裕もある。だからか、羅美があやすよりも俺があやす方が確実に泣き止んでくれた。こういう意味でも、父親も積極的に関わる必要があるんだろうなと感じるよ。
人間はロボットじゃない。心があって感情があって、どうしてもつい苛々してしまうような時だってある。そのために、気持ちを落ち着かせるための余裕が必要なんだと思い知らされる。
苛々した状態で顧客と接してもいい結果は出ないことが多いだろう?
それと同じだと俺は思うね。
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