9  糖分は当分おあずけ

「タヌキ、ってタヌキ親爺おやじとかの比喩じゃなくって?」

 僕の言葉を隼人はやとが馬鹿にして笑う。


「バンちゃんじゃ、タヌキを見抜けなかったか。まぁ、頼みのつなさくさえ捕らえられている。バンちゃんが役に立つはずもないか」

きばなら立つんじゃないか、とそうさんが冗談を言って笑う。


 いつもなら面白がって、更に僕をいじめる隼人が、

「笑い事じゃない」

と珍しく奏さんをたしなめた―― 僕が役に立たないって、冗談ではなく本気で隼人は思っているってことか。


「ボクたちは大して遅れずあの場所に到着している。どんなに長く見積もっても、せいぜい5分だ。その5分で、双子を捕らえてどこかに隠している。みちるだけならともかく、あの慎重な朔も一緒に、二人そろってだ ―― 満、腹が減ったって泣いてないかな。イヌワシ、食わせてやれば良かったかな」


 いつになく隼人が深刻な顔で、下手をすれば泣き出しそうだ。思った以上に双子の行方不明に、隼人はダメージを食らったようだ。


 ダメージと言えば、隼人の場合、人形ひとなり、頭部のみハヤブサの人形ひとなり、そしてハヤブサの三種類に姿を変えられるが、中でもハヤブサに化身したとき、一番エネルギーを消費するらしい。


 もともと人形ひとなりだったものが、いつの間にか頭部がハヤブサに変わり、あげくの果てにハヤブサそのものに化身するようになったと言っていた。一番楽なのは人形ひとなりだけど、興奮したり、気を抜いたりすると、頭部がハヤブサに変わっちゃう時もあるんだよね、と笑う。


「鳥類ってさ、少なくとも空を飛べるヤツは消化時間が短くて、常に下痢気味。しかも、骨粗しょう症」

と、隼人が冗談を言ったことがある。さっさと消化して排泄する、わざわざ大と小を分けたりしない、そして骨はスカスカ、体重を軽く保って飛ぶためにね。


 実は結構ひ弱だから、ハヤブサの状態でのダメージは人形ひとなりの時の何倍にもなる。そんなワケで移動にどうしても必要な時しかハヤブサになりたくないんだ、とも隼人は言っていた。


 ひょっとしたらハヤブサになって飛んできたことで、少なからず隼人はへいしているのかもしれない。そこへもってきて、朔と満がいなっくなった。二人は隼人にとって、大事に育てた子どもたちだ。それが誘拐されたようなものなのだから心配するのも、ダメージを受けるのも無理はない。


「さっき、昼ごはん、食べたから。たっぷりのレバーを嬉しそうに食べてた。満が空腹に泣くことはないよ」

ダイニングのベンチに隼人と並んで座る。すると隼人が僕に寄りかかる。


 引き締まった身体を感じる前に、フワッとした何かが触れる。目に見えないその『フワッ』を、隼人は気のせいと言うけれど、感じるのは僕だけじゃない。隼人の周囲の誰もが、この『フワッ』とした感触で隼人に魅せられたのだと僕は思っている。この『フワッ』はいやしであり、憧れだった。もちろん、人間には感じられないものなのだけど。


 コーヒーのいい匂いが漂って、目の前にマグカップが置かれる。奏さんが気を利かせてれてくれたのだ。隼人が僕の肩から顔をあげる。


「砂糖は?」

隼人が問うより早く、奏さんが小皿をテーブルに乗せる。小皿には白いキューブが山盛りだ。


「おぅ、角砂糖があったぞ」

「ピッ!」

 一瞬、隼人の頭がハヤブサに変わり、すぐ人形ひとなりに戻る。大好物の角砂糖を目にし、寸時、理性が崩壊したようだ。が、ハヤブサ頭ではかじれない。


 これも隼人から聞いたが、基本、鳥類は餌を丸呑みし、砂肝で砕くらしい。味覚がないわけではないけれど、人間と比べると大したものじゃないとのことだ。


 隼人は角砂糖を一つ摘まむと口に放り込み、すぐさまバリバリと齧り始める。


「うんめぃ!」

一つずつ、でも次々と口に角砂糖を放り込み、バリバリとくだく。それを奏さんがニコニコ顔で眺めている。隼人の頭の中から、今は双子の事なんか消し飛んでいることだろう。奏さん、隼人をうまく元気づけたようだ。


 最後に角砂糖が5個残り、それを隼人はコーヒーに入れた。大満足、満面の笑み。


「さて、コーヒー飲んだら双子を探しに行くよ」

「村人に任せるんじゃなかったの?」

「バンちゃん、あの村長に任せたままで、双子が帰ってくると本気で思ってる? そこまで間抜け?」

いつもの隼人に戻っている。僕は苦笑しながらホッとする。


 ミルクポーションをいつも通りふたつ入れ、スプーンでくるくるき混ぜてから隼人がコーヒーを一口すする。


 僕と奏さんのコーヒーはブラック。せっかくの香りと味わいをわざわざ砂糖とミルクで消すなんてもったいないと、この点では奏さんと意見が一致している。


 奏さんがタバコを出して火をつけると、隼人がねだる。タバコでコーヒーの香りが台無しになるとは、奏さんは思わないようだ。二人の煙から逃げるように僕はカップを持ったまま、なんとなく広縁に出た。


 ガラス戸越しに庭を見ると、やっぱり雪は降り続く。それにしても、庭に積もった雪の高さは朝と大した変化がない。


「いや、違う・・・」

咄嗟とっさに僕はガラス戸を開け、濡縁ぬれえんに出た。おかしい、変だ! 


 すぐさま上を見上げれば、そこにひさしなんかなく、でも、雪が落ちてこない。濡縁に積雪は、ない ――


 すぐ後ろに隼人が来て、

「寒いよ、バンちゃん」

と、苦情を言う。


「隼人、この雪、ヘンだ」

「ヘン?」

「ずっと降り続いて、庭はこんなに積もっているのに濡縁には一切雪がない」


「濡縁なのに、濡れてもいないね」

隼人、冗談言ってる場合じゃないぞ?


「濡れてないってことは、濡縁にヒーターを通して溶かしているってことでもないね」

クスクス笑いながら隼人が言う。って、それ、笑いごとなのか? てか、僕にタバコの煙を吹き掛けるなっ!


「そうだ、それに、今日、僕はウサギにしんして、この庭から出掛け、この庭に帰ってきた。その時と、庭に積もった雪の高さは変わっていないのに、ウサギの足跡も、そうそう、さっきイヌワシが落ちた跡もない」


 ふふん、と隼人が鼻で笑い、火のついたままのタバコを庭に放った。タバコはスッと雪に飲み込まれて見えなくなった。あとにはタバコ大の長方形の穴が開いている。


「……どういう事?」

火がついたタバコだろうが、こんなに早く雪に沈むか? 積雪の表面に暫く乗ったままじゃないか?


 空を見上げる隼人の瞳がオッドアイに変わった。


「ボクは空を飛んでこの村に来た。上空に雪雲はなかった。そして今も、僕には雪が降っているようには見えないし、庭の雪も10センチくらいにしか見えない。車道の雪と同じだ。タバコはその雪の上でくすぶっている ―― 石灯籠いしどうろうの横にイヌワシの羽根が何本か散っているね」

「そんな……」


「きっと、次に見た時、タバコが沈みこんだ穴は無効化されて消えているだろう。最初に仕掛けた幻術通りの姿になるんじゃないかな。欠損を維持し、降雪を加味して幻覚を更新する・・・までの力はないと見た。だから積雪量はずっと変わらず、有ったはずの痕跡は消えたってことだろう。でも、この家の玄関に積まれた雪は本物だった。ここに来た時、あの場所は駐車場みたいだったと言ったよね、雪はなかった、と。雪がなかったのが幻覚なのかな?」

「幻覚?」


「駐車場はもともと雪置き場で玄関までは道があった。幻術に掛かったバンちゃんたちには広場に見えていて、で、家の中にバンちゃんたちが入った後、故意にか自然にか、積んであった雪が崩れて玄関を塞いだ。そんなところじゃないかな。バンちゃんたちが庭から外に出ないよう、庭にも雪が積もっているように見させているんだと思うよ」


「幻術、って、掛けたのはあの村長?」

「うん、ボクたちはどうやらタヌキに化かされているようだね」

面白そうに隼人が笑う。


「それこそ笑い事じゃないよ。あ、ボクたち、って隼人も幻術にかかった?」

「うん、ウジャトの目じゃなきゃ判らなかった。バンちゃんを笑えないね」

そう言うと、寒いから窓、閉めて、と、隼人はダイニングに戻る。


 ガラス戸を閉めてダイニングに行こうとすると奏さんがやってきて、僕越しに庭を見た。


「隼人、積雪1メートル20ってとこだ」

と、ダイニングに向かって奏さんが言う。奏さんもタヌキに化かされているらしい。


 奏さんと並んでダイニングに戻ると、隼人はコーヒーを口に含んでうっとりと甘さを堪能しているところだった


 隼人がウジャトの目で見た景色を、隼人に変わって僕が話すと、

「なんだい、ご同類か」

と、奏さんが笑う。


「それならやり易い。人間相手なら遠慮もするが、同類なら遠慮いらねぇ」

「そうは言うけど奏さん、僕ら、相手の術中にまってるんだよ」


飲み干したカップをシンクに置きながら僕がそう言うと

「あー、まぁ、その辺りは隼人が何とかするだろう? なぁ、隼人?」


すると隼人、ちらりと奏さんを見て

「角砂糖、まだある?」

と、物欲しそうな顔をする。ハヤブサに化身して、どれほど空を飛んできたんだろう。今日の隼人は少し疲れ気味のようだ。


 グッと、怖い顔をするのは奏さんだ。

「今日はもうだめ。あきらかに糖分の取り過ぎだ。でも……」

ニタッと奏さんが笑う。


「双子を助け出せたら、その時はごほうを考えてもいい。どれほどエネルギーを消費できたかにもよるな」


くやしそうに隼人が奏さんをにらみ付けた。

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