第167話 神域外干渉

ああ、駄目だ。これは絶対死ぬやつだ。


一つ目の炎の怪物がその頭部から伸ばしてきた燃えさかる管は、クロードの胸部に突き刺さり、熱い何かを送り込んできた。

その熱に耐えきれずクロードの肉体は沸騰し、その全身は炎に包まれた。


臓腑が焼かれる痛みと何か体の内側が引き出されるような言いようのない感覚に叫び声を上げたくなるが、気道が焼かれ声を上げることができない。

否、もう全身の筋肉は硬直し、肺は失われたようで、声だけでなく指一本動かすことができなかった。


手足の末端と体の内側から、瞬く間に炭化が進み、痛みを感じなくなった。


≪自己再生≫のスキルで、どの程度治せるのかわからないが、もし仮に再生できたとしてもこの火力では再び焼き尽くされる。再生には魔力を消費するので、魔力枯渇に陥った時点で再生は不可能となり、最終的に死が確定することになるだろう。


ちょっと待て。何を冷静に分析しているんだ。

このままでは死ぬんだぞ、俺は。


クロードは身動きすることもできず、かつて自分の体であったものが燃え尽き、黒ずんだ無機物と化していくのを眺めていた。


妙だ。気を失わないどころか意識がはっきりしている。

物を考えるべき脳は消し炭と化し、全身の骨も残らず燃え尽きたというのに、俺はどうやって思考しているんだろう。

目玉は疾うに燃え尽きたのに、視認できているし、匂いや音らしき情報も認識できている。


やがて少しずつ目の前の炎の化身の如き存在と自分が一本の管のようなものでつながり、その境界があいまいになっていることに気が付く。


肉体は無いのに自分は確かに存在し、しかも管の先の炎の化身から何かが少しずつ自分に送り込まれていることに気が付く。


それは言語の形ではなく思念にも似た漠然としたイメージあるいは記憶の断片のようなものであった。

途切れ途切れ古い映像フィルムを映し出すかのように脳裏に浮かび上がる。



目の前に存在する一つ目の炎の塊はかつて≪火神オグン≫と眩い光輝く存在に呼ばれていた。火神オグンは≪世界≫を作り、そこに彼を信奉する人々を住ませたが、平和的な文明を定着させることができず、繰り返される戦争による滅亡でやがてその信徒の全てを失った。人々を教え、諭し、時には人の姿をとって地上に赴き、その世界の人類を導いたが、自らの力の根源でもある火と野獣から身を守るために与えた武器の知識が結局は滅亡につながってしまったという事実に火神オグンは悲しみ、後悔した。


火神オグンは神々の中でも最下層に位置する存在で、二つ目の世界を作る力も、その世界の土くれから再び信徒たちを作り出す力も残っていなかった。


全ての信徒を失い、彼が作り出した世界は荒廃し、生物のいない死の星となった。


自らの存在を維持するために必要な信徒を失った彼にできることは他の神が作り上げた世界に行き、他の神の信徒を奪うことしかなかった。


気が遠くなるような年月を漂い、漂着したのがルオ・ノタルという世界であったが、他神の信徒を奪うことは、弱り切り、もはや神とは呼べぬほどの力しか残っていなかったオグンにとって困難だった。


ルオ・ノタルの創世神たるルオネラとその眷属たちに追い立てられ、消滅の危機に陥ったオグンは深き地の底に、残された力を振り絞り不完全な神域を展開し、息をひそめ続けた。


消えたくない。忘れ去られたくない。力を取り戻し、過去の過ちをやり直したい。


日に日に四散していく、己の存在に怯えながら、地殻のエネルギーを啜り続けていた。


地殻のエネルギーは温かく、かつて火神であったオグンにとっては心地の良いものであったが、神としての存在を保つには不十分で、赤き髪の雄々しい男神の姿を保つことができなくなり、やがて醜い亜神となり果てた。


思考は衰え、残された自我は、消えたくないというただその一念のみだった。


そんなある時、彼が展開した神域の外から、次元の隔たりを越え、干渉してくる存在に気が付いた。意識的にではないようだが、その存在が発する声、その存在感が、深き地の底の物質界の裏側にまで響いてくる。


その存在がクロードだった。


人の姿をしているがその内側に秘めている膨大なエネルギーはオグンがいた下層次元には存在しえないものだった。


あのエネルギーを手に入れれば、もう一度神としてやり直せるかもしれない。


オグンは自らの神域に、この得体のしれない人型の存在を招き入れることにした。


ここで脳裏に浮かぶヴィジョンが途切れた。



気が付くと自分であると認識していた存在は、まるで肉体という軛から離れ、自由を取り戻したかのように膨張を始め、オグンの作り出したらしい神域とかいうものを突き破ってしまった。


紐のようなもので繋がったオグンが胸元にとまり血を啜ろうとするかのような矮小さに見える。


オグンを見ると自らが突き刺したはずの管を必死で抜こうとしており、その様子からは恐怖と動揺が見て取れた。

身をよじり、必死に離れようともがいているが、同化し太さを増していく管から逃れることができないようだ。


オグンの方から何か送り込まれていると思っていたが、そうではなかった。

オグンが俺を吸収しようとする力よりも、自分が有する何らかの取り込もうとする力が勝っていたようで、無意識の綱引き状態になり、オグンの力がこちら側に逆流してきているようだった。


(嫌だ。こんな最後。こんなはずではなかった。なんだこの怪物は。このような存在を私は知らない。こんなことになるために私は創造されたわけではないはずだ。嫌だ。嫌だ。消えたくない)


オグンが考えているらしいことが、未知の言語として認識され、聞こえてくる。

この世界の種族たちの言葉ではなく、古代言語とも違う、まったく別の言語だった。


オグンから、彼の中に残っていたわずかな記憶と力が流れ込んでくる。


いや、少し違う。


流れ込んできているのはオグンの存在そのものであるようだった。

オグンの存在はどんどん小さくなっていき繋がっていたくだもろとも完全にクロードの中に取り込まれてしまった。

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