第7話 ハナ、花園に立つ

 週明けの月曜日の朝。俺は、ついにその日を迎えた。


 モグモグ、モグモグ。


「…………」


 モグモグ、モグモグ。


「…………」


 朝から食欲旺盛な妹と異なり、こっちはというと、


 モグ……モグ……。


 いちごジャムを塗ったトースト、サラダ、オレンジジュース、どれも美味しい。なのに、なかなか食が進まない。


「はぁ……」


 こうやって、さっきからため息をこぼしてばかりだ。


 結局、休みの日の間も頭の中は学校のことでいっぱいだった。


 同級生が集まる入学式であんな目立ち方をしたんだ。教室に入ったら、陰でクスクス笑われるんだろうな……。


 想像したら余計に行きたくなくなりそうなので、ここまでにしておこう。


「あっ、今日のラッキー占い見なきゃ!」


 そう言って、美桜はテーブルの上に置いていたリモコンを手に取り、テレビを点けた。


『続いては、ラッキー占いのお時間です』


 おっ、美桜お気に入りのコーナーが始まったな。


 占いはあまり信じてない派だけど、たまに見たくなるんだよなー。


『…――のあなたの今日のラッキーアイテムは――』

「うんうんっ!」


 ……女の子って占い好きが多いのかな?


 ふと浮かんだ疑問の答えを見つけようとしたが、それはキッチンにいる母さんの声によってさえぎられた。


「二人とも~。そろそろ出ないと遅刻するわよー」


 もうそんな時間か……。


 リビングの時計の針は、こうしている間もチクタクと進んでいる。


 さすがに遅刻するのはマズいよな。


 俺は残りのトーストをオレンジジュースで一気に口へ流し込み、手を合わせた。


「ごちそうさまでした」


 それから急いで皿などを片付け始めると、


「あっ、お姉ちゃん待ってよーっ」


 占いに夢中になっていた美桜が慌てて食器を流し台へと運んだ。


「あ。美桜っ、リボンが斜めになってるわよ」

「え?」


 母さんは、ささっとリボンを綺麗な向きに直した。


「うんっ、これでよしっと」

「えへへっ、ありがとっ」


 美桜はキッチンから出てきてソファーに置いていたカバンを手に取った。


 ここで俺はもう一度リビングの時計をチラリ。


 よし、今から出れば間に合うな。


「じゃ、行ってきまーすっ」

「行ってくる〜」

「行ってらっしゃ~い」


 ……。


 …………。


 ………………。


 あれから途中の道で美桜と分かれた俺は、横断歩道の前で信号が変わるのを待っていた。


 ちなみにその間も、


「嫌だな……はぁ……」


 この状態は続いていた。


『朝からため息なんてしていたら、一日持たないよ〜?』


「……誰のせいでこうなってるんだか」

『えへっ』

「えへっ、じゃねぇよっ!!」


 チラッ……チラッ……。


 うん? ……あ。


 ふと視線を感じて周りを見渡すと、信号待ちをしている他の人たちがこっちを見ていた。


「………………」


 これじゃあ、完全に俺が痛い人みたいになってるじゃないか。


 そう思った俺は耳に手を当てて、


「じゃあもう切るよー」


 と言ってワンピースのポケットからスマホを取り出すと、さっきまでこっちを見ていた人たちは各々視線を戻した。


 ふぅ……。


 どうやら、『実はイヤホン越しに通話をしていました作戦』は成功のようだ。


 我ながらいい案だったと言える。


 そんなことを考えていると、信号が青に変わったので、早歩きで横断歩道を渡ったのだった。




「オッスー♪」


 えっと……。


「お、おはよう……」


 教室の扉の前で中に入れずにいた俺に声をかけたのは、この前服屋で会った凪羅塔子なぎらとうこだった。


 初めて会ったときと変わらない満面の笑み。


 朝の憂鬱ゆううつなど彼女には関係ないのだろう。


 正直、その笑顔が眩し過ぎる……。


 てか、胸元が思いっきりいとるがな。ここってお嬢様学校じゃなかったの?


 すると、凪羅は俺と扉を交互に見て、


「ん? はいんないの?」


 扉を指さして首を傾げた。


「え……あぁ……」


 キーンコーンカーンコーン。


 予鈴を知らせるチャイムが鳴り響いた。


「? ほらほら、入るぞ~」

「あ、ちょっ――」


 凪羅がスライド式の扉を開けると、中から視線が集まった。


 み、見られてる……。


 ドキッドキッ……。


 不安な気持ちで第一声を待っていると、


「「ごきげんよう」」


 手前の席にいた女子生徒二人が朝の挨拶をした。


「オッス~♪」


 軽い挨拶で笑顔を向ける凪羅。


 せっかく、向こうが挨拶をしてきてくれたのだから……


「……ご、ごきげよう」


 こっちが挨拶で返すと、二人は柔らかい笑みを浮かべた。


「ほらっ、こっちこっち〜」


 手招きする凪羅の後について行く間も、すれ違うたびに「ごきげんよう」と挨拶を交わした。


 そんなに気にする必要はない……のかな?


 でも、やっぱり場違い感が否めない。


「えへへっ、ここがあたしの席♪」


 そう言って凪羅は、窓際から二列目の一番後ろの席に座った。


「そんで前がハナっちの席だよっ」

「へっ? ハナっち?」

「いい名前でしょ♪ アタシが考えたんだよ♪」

「は、はぁ」


 そっか。お互いの苗字みょうじの最初が『て』と『な』だから、前後になる確率は高いのか。


「よいしょっと」


 俺が前の席に座ると、凪羅が机の上にギターケースを置いた。


 そういえば、初めて会ったときも後ろに背負ってたっけ。カバンの替わりというわけではなさそうだが。


 そんなことを考えていると、前の扉が開き一人の少女が入ってきた。


「ごきげんよう」


 その全てを包み込むような優しい声が聞こえた瞬間、教室にいい香りが広がった。


 今の声は……。


 すると、少女はおもむろにこちらに近づいてきて、俺の目の前で止まった。


「ごきげんよう、天道さん」

「!! ご、ごきげよう……っ」


 あ、天霧さんだ……っ!


「あれから、お身体の方はいかがですか?」

「はっ、はいっ!! もうこの通り、元気ですっ!」

「ふふっ。それならよかったです」


 さっきまでのテンションの低さが嘘のようだ。


 まさか、あの天霧さんと同じクラスだったなんて……。


 えへへっ……。


「オッス~、はるっち♪」

 は、はるっち……!?


「凪羅さん、ごきげんよう」


 なんだ? この異常なまでのコミュニケーション能力の高さは。コミュニケーションおばけかっ!


「うん? ハナっち、なに~?」

「え、いや……なんでもないっ」

「ハナっち~。笑顔だよ、笑顔っ♪」


 と言って、お手本のような笑顔を見せてくる凪羅。


「…………」


 彼女のノリに付いて行くのは、今の俺にはまだ時間がかかるだろう。


 すると、担任らしき教師が教室に入ってきたので、クラスメイトたちは自分の席へと戻ったのだった。




 朝のホームルームを終えると、入学式のときと同じホールに移動して始業式が行われた。


 周りは……全員女の子。まぁ、自分もその内の一人だけど。


『まさに花園だね♪』

「…………」


 否定はできないから、黙っておこう。


 そんなことよりも……。


(うわぁ……さっぱりわからん……)


 あれから教室に戻ってきた俺を待っていたのは、レベルの高さがうかがえる内容の授業だった。特に数学。


(ハナって、どうやってここに入ったんだ?)


『そこはまぁー、設定上の……ねっ♪』


(……単純に考えるのが面倒くさかっただけだろ?)


『ギクッ!』


(……わかりやすい反応だな。わざわざ声に出すんだから。その感じだと、なにか秘密がありそうだな?)


『ひっ、ヒミツなんてな~んにもないよ!? ハナちゃんが、実は遥香ちゃんを追ってこの学校を受験したことなんて……』


(……っ!!?)


『あ』


(マジ!?)


『しまった……マジ』


(ほえぇ……)


『あるときハナちゃんは、遥香ちゃんがこの学校を受験するという噂を耳にして、彼女と同じ学校に通うために猛勉強っ!』


(おうーっ! さすが俺! ……じゃなかった、さすがハナちゃん!)


『周りには無理だと言われても、時には馬鹿にされても、ハナちゃんは諦めず勉強を続けたっ』


(うんうん……っ)


『そして、あの苦難の日々を乗り越えて、ハナちゃんは奇跡を起こしたのだった!!!』


(……いい話や……っ)


 目尻を指で拭う。別に涙は流れてないけど。


 その努力がむすんで、主席になったということか。


 ハナちゃんって、実は天才なんじゃね?


『ゾーンに入ったときのハナちゃんは、まさに無敵』


 へぇー。


「では、この問題を……天霧さん」

「はい」


 天霧さんは席から立って黒板の前に行くと、迷うことなくチョークで文字を書き込んでいった。


 後ろ姿からでもわかるそのたたずまいの美しさたるや……。


 周りのクラスメイトたちも見惚れているようだ。


 同性をも魅了するとは、さすが天霧さん。


 それから書き終えると、元あった場所にチョークを置いた。


「正解です。席に戻ってください」

「はい。…………ふふっ」


 天霧さんは席へと戻ろうとしたとき、一瞬こっちを見てニコッと笑みを浮かべた。


 ああぁ……女神様だぁ……。


 ほんとは近くの席がよかったが、苗字の最初が『あ』だから席が反対なんだよなー。とおいよー。


『ここだけの話、席替えの予定はないよ~っ』


 ガーン……。


「次の問題を……天道さん、お願いします」

「!? は、はい……っ!?」


 急に呼ばれて慌てて席から立ち会がると、また注目を集めてしまった。


 ……が、がんばるぞいっ。


『ハナちゃんは注目を集める天才だねっ』


 そんなんじゃねぇよ……はぁ……。

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