第4話 神様の力

「…――――――――んんっ」


 目を開けると、視界に広がるのは見慣れない天井と、自分を囲うベージュのカーテンだった。


 ここ、どこだ? それに、この独特な匂いは……。


 そんなことをぼーっと考えながら横を見ると、


「え――」


 天霧さんがベッドの横にあるパイプ椅子に座って、小説を読んでいた。


「あっ、目が覚めましたか?」

「!! は……はい……」


 俺が体を起こそうとすると、そっと背中に手を回してきた。


 その気遣いにまた心がトクンっと高鳴る。


「あ、ありがとうございます……」

「いえいえ、まだ眠ってなくて大丈夫ですか?」

「これくらい、大丈夫です……。それであの、ここは……」

「保健室です。あの後、先生方に手伝ってもらって、ここまで運んできたのです」

「そう、なんですか……あ」


 このとき、ふとさっきのことを思い出した。


「…………っ」


 天霧さんの前で、あんな恥ずかしいところを……それも、よりにもよってここまで運んでもらうなんて……


 すると、俺の手の甲にそっと彼女が手を重ねた。


「っ!」

「おケガがなくてよかったです」

「天霧さん……」


 俺と彼女の目が合った。


 あぁ……なんて綺麗な瞳なんだ……。


 互いになにも言わず見つめ合った。


 誰も邪魔しない、俺たちだけの空間…――


『遥香ちゃんは、そんなハナちゃんの頬に自分の手を添えた。優しく……』

「ん?」

「天道さん……」


 ……え。


 天霧さんの顔が近づいてきたと思ったら、彼女は徐に俺の頬に手を添えた。優しく……。


「………………」

「………………」


 それから時間を忘れ、お互いに見つめ合っていると、


「……あれ? どうして私……」


 天霧さんは手を離して、困惑した表情を浮かべた。


 ま、まさか……


(神様……)


『ヒュ〜ヒュ~♪』


 完全に口笛を吹いて誤魔化している。


 ……自分の思いのままということか。


「天道さん?」

「は、はいっ!?」


 今、「天道さん」って呼んだ!? そういえばさっきも呼んでたよね!?


「な、なんでしょうか……?」


 それから話を聞くと、どうやら俺が保健室に運ばれた後、クラスでは各々の自己紹介と、これからの日程の説明があったらしい。


「天道さんの紹介は、代わりに先生がしていましたよ」

「あはは……あ、そうなんですね……。あれ? ということは、今って」

「放課後です。まぁ今日は午前で終わりなのでお昼過ぎですけど」

「放課後……そうですか……」


 あちゃぁぁぁ……入学初日としては最悪だな。次に学校があるとき、行きにくいぞ……。


 すると、天霧さんはイスから立って、


「保健室の先生を呼んできますね」


 と言って扉の方に向かって歩き出したとき、あの声が聞こえた。


『――遥香ちゃんは、なにもないところで転んでしまった』


(? なにを言って…――)


「きゃっ!」


(……あっ)


『ワンピースの裾は捲れ上がり、白いレースをあしらったガーターベルトと、申し訳程度の面積しかない白のショーツが丸見えになった』


いたたた……あ、きゃぁーっ!」


 天霧さんはスカートの裾を慌てて戻すと、その場にぺたんと座り込んだ。


「…………」


 ラッキースケベな展開に喜ぶよりも前に、俺の内心はゾッとしたものを感じた。


 こっ、これが……


 ……。


 …………。


 ………………。


 それから、顔を真っ赤にした天霧さんが保健室の先生を呼び、診察を受けた。


 どうやら特に異常はないみたいだが、ちょっとでも体に異変があったらすぐに病院に行くようにとのことだった。


 その先生は、用事がまだ終わっていないということで行ってしまった。


 扉が閉まる音と同時に、天霧さんがこちらを向いた。


「天道さん。あの、その……」


 うん?


 天霧さんの頬は、ほんのり赤く染まっていた。


「お、お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたね……」


 転んでしまったことよりも、下着を見られたことが余程恥ずかしかったのだろう。


「いや……」


 いいものが見られました、なんて口が裂けても言えない。言える訳がない。


 でも……ガーターベルト、いいねぇ……。


 実物を見るのは初めてだった。


「…………あの」


 天霧さんはこちらの方に体を向けると、口の前に人差し指を当てて言った。


「このことは、私たちだけの秘密でお願いしますっ」


 その仕草がなんとも可愛らしくて、俺は目が離せなくなる。


「は、はい……」


 気の抜けた声が口からこぼれた。


「ふふっ。では、そろそろ私は帰ります」

「え、もう少し…――」

「もう少し、なんですか?」

「い、いや、なんでも……」


 もう少しだけ一緒にお話がしたい……とは言えず。


「次に教室でお会いできるのを楽しみにしています」


 と言って帰りの挨拶をすると、天霧さんは行ってしまった――。




「………………はぁ〜」


 保健室に一人だけになったこともあって、口から長いため息が漏れた。


 扉の方に振り返ったときに髪がフワッと舞ったあの光景が、今も目に焼き付いている。


 ……もう少しだけ休んでいくか。


 それにしても、天霧さんとあんなに話すことができたなんて……はぁ、幸せ〜。生きていてよかった~っ。


『嬉しそうだね』

「……嬉しいのは事実だけど、こんなことになったのは、元々あんたのせいなんだからなっ!」

『わかってるよ♪ でもまさか、階段から転げ落ち……ぷぷぷぷっw』

「わ、笑うなーっ! あれは……そう! 全部あんたが仕組んだことなんだろ!」




 ――――――――――――。




『違うよ?』

「今の間はなんだよ! 絶対怪しいじゃん!」

『…………Zzz』

「寝たふりをしても無駄だぞ!」

『おやおや、バレていましたか』

「当たり前だろ? 人をこんな目に合わせやがって……」

『ふゅ〜ふゅ〜ふゅ〜♪』

「!? ああぁームカつくーっ!!!」

『あはははっ。まあ落ち着いて、落ち着いて』

「落ち着いていられるか!!」


 はぁ……。疲れているからなのかはわからないけど、全く頭が機能しない……。


『――このとき、ハナちゃんのお腹から可愛い音が鳴った』


「へっ?」


 ぐうううううぅ〜。


 は、腹減った……。って、神様また……もういいや、腹が減りすぎて文句を言う体力が残ってねぇ。


『ハナちゃんの空腹は限界を超えていた。なにか食べたい、なにか……そうだっ、食堂に行ってみよう!』

「え? 食堂?」

『ハナちゃんの行動は早かった。ベッドから起き上がると、脱いでいたローファーを履いて、扉へと一直線!』

「か、神様? ……あ、あれ? なんだ、体が急に…――」


 俺の体は、なにかに操られるように、俺の意思を無視してベッドから起き上がると、脱いでいたローファーを履いた。


 これって、さっき神様が言ったことそのまんまじゃないか。


 そんなことを考えながら、俺は廊下に出た。


「あら、もう大丈夫なの?」


 すると、目の前に保健室の先生が立っていた。


 どうやら用事が終わって戻って来たようだ。


『もうばっちりですっ』

「もうばっちりですっ」


 ちょっ、また口が勝手に……。


「そう、それはよかったわ。でも、体には気をつけてね」

『はーいっ!』

「はーいっ!」


 くそぉ……。


 俺が軽く会釈えしゃくすると、先生は保健室へと入っていった。


『ハナちゃんは早歩きで廊下を進んでいく。周りの目など気にせず、自らの食欲を満たすために』


「ちょっ、ちょっ…――」


 タタタタタッ……。


 足が俺の言うことを聞いてくれない……。


『そんなハナちゃんの目の前には、楽しく談笑をしている女子生徒が二人』

「「ごきげんよう」」

「!! ご、ごきげんよう……」


 ほんとに言うんだな、『ごきげんよう』って……


『足を止めぬまま、ハナちゃんは前に進んだ』


 待て待て待て、待てーっ!


 俺の呼びかけなど関係なく、歩くスピードがどんどん速くなっていく。


 確かに腹は減ってるけど、こんなに急ぐほどではないぞ……!?


『――と、こんなことを考えてみたものの、腹の虫を抑えることはできなかった』


 いやいや、普通に抑えられるから。


 ぐうううううぅ〜。


 ………………。


『私が今、一番食べたいのは』

「私が今、一番食べたいのは……って、また……はぁ……」


 そんなこんなで食堂へとやってきた。


「はぁ……はぁ……歩き疲れてもっと腹が減ってきたぞ……おぉーっ」


 ここが食堂? 凄いキレイだな。


 食堂の中は白を基調としていて、イメージ通りというか清潔感があった。


 今も、ズラリと並んだテーブル席で食事を取っている人がチラホラ。


 なんだ、あれ? うわぁ……美味うまそう……。


 口の中でゴクリと唾を飲み込み、入ってすぐ横にあるランチ一覧が表示されているディスプレイに体を向けた。


 さすがお嬢様学校、どれを頼むかで一日悩んでしまいそうだ。


 ……あ、そういえば、財布って持ってきてたっけ?


 ワンピースのポケットを確認したが、財布どころか小銭すら入っていなかった。


 新品サラサラだったとしても、財布くらい入れとけよ……。


『ここでハナちゃんは、主席合格者の特権である、食堂無料パスの存在を思い出す』

「えっ、そんなのあんの!?」

『ワンピースの右ポケットに入ってるよ』


 え? そこは今確認したぞ?


『じーーーーーっ』

「はいはい、わかったよ。えーっと、右ポケット……あ、あった」


 ポケットから出したカードには、自分の写真と『フリーパス』の文字。


 これか。


『カードが見つかれば、後はなにを食べるかだ。ハナちゃんが選ぶのは――』

「――ストーップ! あんたに選ばせたりなんかさせないからなっ!」

『…………』


 ふぅ……。さて、なにを食べようかな。


 左上から順番にメニューに目を通していく。


 パスタにオムライス……カレーもあるのか。


「うーん……今回は、パスタでいってみるか」


 これで、数あるメニューから一気に絞ることができた。だが、ここから重要だ。


「明太子クリーム……カルボナーラ……ボロネーゼ……」


 うぅーん……どれも捨てがたい……。


一品いっぴんを決めるまでに時間がかかるのは、いつものことだ』


 そんな毎回かかってないぞ? まぁ、いいや。


「……よしっ、決めた。ここは明太――」

『――カルボナーラにしよう』

「カルボナーラにしよう。……へっ?」

『ふふっ』


 ……。


 …………。


 ………………。


(うぅぅぅぅ……。美味いけど、美味いけども……明太子クリームパスタ食べたかったーっ!!!)


 完全に明太子クリームの口になっていたところでのカルボナーラ。


(神様ぁぁぁ……っ!!)


『チャンチャンッ♪」


 もぉーーーーーっ!!!!!

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