56話 壁ドン


 ともあれ、もちろんキスに関しては雪菜さんのおちゃめなジョークということで笑い話になったのだが……俺だけは知っていた。


 あれが決して冗談から出た言葉ではないということを……。



「じゃあハグとかはどうかしら? 感動の再会とかでもハグはするし、キスとは違って全部が全部いやらしい感じではないでしょう?」



「まあそうなんだけどさー、でも密かに雪菜のおっぱいを狙ってる照からしたら〝ぐへへ〟って感じじゃん?」



「姉さんは俺を一体なんだと思ってるの……」



 がっくりと俺が肩を落とす中、雪菜さんが「うーん」と可愛らしく考えを巡らせる。


 そして思いついたようにぱんっと両手を合わせて言った。



「あ、そうだわ。〝壁ドン〟なんていいんじゃないかしら? それならおっぱいもぐへへにならないだろうし」



 おっぱいもぐへへ……。



「壁ドン! それあたしも気になってたやつ! やっぱアオハルと言ったら壁ドンだもんね!」



 雪菜さんの提案に姉さんがぱあっと瞳を輝かせる。


 確かに少女漫画とかでも壁ドンはきゅんきゅんポイントだからな。


 憧れるのは分かるんだけど……。



「はい。じゃあどうぞ、弟くん」



 ささっと期待したように雪菜さんが壁に背を預ける。


 行動早いなぁ……、と思いつつ、俺は半眼で彼女に問うた。



「え、本当にやるんですか……?」



「ええ、もちろん。……ダメ、かしら?」



「うっ!?」



 だからそういう上目は卑怯だと思う……。


 あーもう!? と頭を掻きつつ、俺は雪菜さんの前に立つ。


 すると雪菜さんはほのかに赤い顔ですっと両目を閉じ、顎を少しだけ前に出した。



「……あの、壁ドンですよね?」



「ええ、そうよ。でも目が合っていたらお互い恥ずかしいでしょう?」



「まあそうですけど……」



 てか……、と俺は横でスマホを握っていた姉さんに半眼を向ける。



「とりあえず110番押そうとするのやめてくんない……?」



「いや、だってなんか凄い犯罪臭が……。一応聞くけど、あんたは今壁ドンをしようとしているのよね?」



「当たり前だろ? ほかに何をしようとしているように見えるんだよ?」



「え、ぱいドン?」



「ぱいドン……」



 なんだその単語。


 はじめて聞いたわ。



「……やだ、そうなの? 弟くん(ぽっ)」



 そしてなんでちょっと期待したような顔してるんだこの人は……。



「いや、そんなことするはずないじゃないですか……」



「あら、残念。じゃあその役はひよりに譲ることにするわ」



「ふふん、悪いわね、照。これが女の子特権というやつよ」



 むふんっ、とどや顔で胸を張る姉さんだったのだが、



「じゃあどうぞ」



「ふっふっふっ、せいぜい羨ましがることね、照。あんたの大好きな雪菜のおっぱいはこのあたしが……はわあっ!?」



 雪菜さんの胸に触れる直前で愕然と固まっていた。



「「?」」



 一体どうしたのかと俺たちが揃って小首を傾げていると、姉さんがまるで化け物でも見るかのような目で雪菜さんのおっぱいを見やりながら言った。



「ね、ねえ、雪菜……。〝ぱいドン〟ってことは当然このおっぱいに触るわけだよね……?」



「ええ、そうね。〝ドン〟っていうくらいだし、両手で勢いよく鷲掴む感じかしら?」



「りょ、両手で勢いよく……」



 その瞬間、ぶわっと姉さんが崩れ落ちる。



「む、無理です雪菜先生ぇ~!? そ、そんなことしたらあたし、きっと一生立ち直れなくなっちゃいますぅ~!?」



「えぇ……」



 いや、姉さんが言い出したんだろ……。


 さっきまでの威勢はどうした……、と嘆息する俺だが、姉さんが崩れ落ちた理由はなんとなく分かっていた。


 そう、背筋を伸ばしたことで雪菜さんのおっぱいが突き出すようにバストアップしていたのである。


 そんなものを《持たざる者》の姉さんが真正面から迎え撃とうとしていたのだから、そりゃ心もぽっきり折れるわなぁ……。



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